↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
76/168

第76話:父上、なんでこの人こんなに土地持ってるの?

フィリップ側もちょいちょい出していく予定です(`・ω・´)

アキテーヌでアリエノールが「避難という名の里帰り」を満喫し、

リチャードに葡萄を食べさせていた頃。


フランス王国の中心、パリ。


王宮の一室では、今日も静かな時間が流れていた。


窓の向こうにはセーヌ川。遠くから聞こえる鐘の音。

机の上には羊皮紙と書類が積まれ、

その向こうでルイ七世が一枚ずつ目を通している。


「フィリップ。今日はもう終わったのかい?」


ルイが顔を上げると、部屋の隅に置かれた小さな机から、幼い息子がこちらを見た。


「はい、父上」


「そうか」


ルイは満足そうに微笑んだ。


長く待ち望んだ息子だった。

二度の結婚で娘が四人。

三度目の妻アデルとの間に、ようやく生まれた男子。


”フィリップ”


後に「神から授かった者」と呼ばれることになる、カペー家待望の後継者である。


もちろん、今はまだそんなことなど知らない。

ただの、好奇心旺盛な子どもだった。


フィリップは自分の机を離れると、父のそばまで歩いてきた。

そして、机の脇に広げられていた地図を覗き込む。


「父上」


「うん?」


「ここも、父上の国なのですか?」


小さな指が、地図の西側を指した。


ノルマンディー

その南にはアンジューやメーヌ

さらに遠くには、広大なアキテーヌ


ルイは少しだけ考えてから答えた。


「そうだね。そこもフランス王の支配する王国に属する土地だよ」


「では、父上が治めているのですか?」


「いや」


ルイは苦笑した。


「そこが少し難しいところなんだ」


フィリップが首を傾げる。


ルイは地図の中央、パリ周辺を指した。


「父上が直接治めている土地は、この辺りだ」


「……小さいですね」


「…………」


子どもは容赦がない。

ルイは一瞬だけ遠い目をした。


「まあ……そうだね」


フィリップは気にせず地図を見る。


「では、こっちは誰が治めているのですか?」


「それぞれ領主がいる」


「このアンリという人ですか?」


ルイの指が止まった。


「……どこでその名前を?」


「先生からいただいた一覧です」


フィリップは自分の机から羊皮紙を一枚持ってきた。

そして、小さな指で文字を追う。


「ノルマンディー公……アンリ」


「うん」


「アンジュー伯……アンリ」


「……うん」


「それから、イングランド王……アンリ」


「…………うん」


フィリップは父を見た。

それから地図を見る。

もう一度、父を見る。


「父上」


嫌な予感がした。


「なんでこの人、こんなに土地持ってるの?」


ルイの右手が、無意識にみぞおちへ伸びた。


「父上?」


「なんでもない」


「お腹が痛いのですか?」


「……少しだけ」


フィリップは心配そうに父を見る。

ルイは深く息を吐いた。


どう説明したものか。


アンリ

ヘンリー二世


ノルマンディーを父から受け継ぎ、アンジューやメーヌを手にし、

アリエノールとの結婚によってアキテーヌとも結びつき、

さらにイングランド王になった男。


ただし、それらすべてが一つの国になったわけではない。

ノルマンディーも、アンジューも、アキテーヌも、

それぞれ異なる土地であり、異なる権利を持つ。


そしてフランス国内にあるそれらの土地について、

アンリはフランス王の臣下でもあった。


「……話すと長いんだ」


ルイは言った。


「長いんですか?」


「とても長い」


「どれくらい?」


「父上が少し疲れるくらい」


「じゃあ、いいです」


「ありがとう」


優しい子だった。

だが、地図への興味は失っていない。


フィリップは再び西側を指差した。


「でも、アンリ殿は父上の臣下なのですよね?」


「そうだ」


「なのに、父上よりいっぱい土地を持っているのですか?」


「…………そういうこともある」


「変ですね」


「父上もそう思うよ」


ルイはまた少し胃を押さえた。

フィリップはそれをじっと見ている。


「父上は、この人が嫌いなのですか?」


今度はルイが少し黙った。


「嫌い、という言葉だけでは説明できないな」


「では、怖いのですか?」


また直球が飛んできた。

ルイは困ったように笑った。


「怖いというよりは……油断できない、と言った方が近いかな」


「ゆだん?」


「そう」


ルイは息子を膝の近くへ呼んだ。


「王だからといって、何でも好きにできるわけではないんだよ。

力のある領主には、その人たちの権利がある。王には王の権利がある。

その間で、話し合ったり、争ったり、時には協力したりする」


「難しいですね」


「とても難しい」


「アンリ殿は強いのですか?」


「強い」


そこだけは即答だった。


ルイは苦笑しながら続ける。


「土地も多い。兵もいる。海の向こうでは王だ。そして、とてもよく動く男だ」


「よく動く?」


「ああ」


ルイは遠い目をした。


「あの男は、本当にじっとしていない」


まるで昔の何かを思い出したような顔だった。


フィリップはしばらく父を見つめた。


「だから父上は、アンリ殿のことをいつも見ているのですか?」


「そうだね」


「嫌いだからじゃなくて?」


「見ていなければならない相手だからだよ」


ルイは地図へ視線を戻した。


「王より広い所領に関わる臣下がいる。それだけで、王にとっては大きな問題になる。

だから、何をしているのか、誰と争っているのか、何を望んでいるのか。

知らないままではいられない」


フィリップは黙って聞いていた。


「敵だから倒す、では駄目なのですか?」


「世の中は、そこまで簡単ではないんだ」


ルイは優しく答えた。


「戦えば、多くの人が死ぬ。こちらが勝つとも限らない。

それに、今日の敵が明日の味方になることもある。逆もある」


「……もっと難しくなりました」


「大人になれば、嫌でも分かるようになるよ」


「嫌です」


「父上もそう思う」


二人で少しだけ笑った。


やがてフィリップは自分の机へ戻った。

羊皮紙を広げ、また文字を書き始める。


ルイも仕事へ戻った。

ただ、その前に一度だけ、地図の西側へ目を向ける。


そして

また無意識に、みぞおちを押さえた。


フィリップは顔を上げた。

何も言わなかった。


まだ幼い少年に、アンリを倒そうなどという考えがあるはずもない。


父の敵を討とうとも

土地を奪おうとも

王国を広げようとも

そんなことは、まだ何一つ考えていなかった。


ただ、ひとつだけ覚えた。


地図の西側には、アンリという、とてもたくさんの土地に関わっている男がいる。


そして父上は

その名前を見ると、だいたい胃を押さえる。


幼いフィリップにとっての最初の政治教育は

案外、そんなものだった

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。