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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第69話:王妃、再雇用のお知らせ(※ただし現場は海外支社)

一難去ってまた一難?(`・ω・´)

1154年10月、イングランド王スティーヴンが崩御した。

その報せが届くや否や、我が夫アンリは渡英の準備を始めた。


船。兵。使者。書状。

ついこの間まで「次の王に決まったぞ」と騒いでいた男が、今度は本当に王冠を取りに行くらしい。


相変わらず、決まってから動くまでが異常に速い。


そして、同年12月19日。

ロンドン、ウェストミンスター寺院。


石造りの堂内には聖歌が響き、列席した諸侯や聖職者たちが祭壇を見つめていた。

その中で私は、毛皮のマントをきっちり身体に巻きつけながら、小さく震えていた。


「……寒い」


ボルドーやポワティエの太陽が恋しい。

なんで私は、こんな寒い北の島まで来て、また王冠を被ろうとしているんだろう。

私の隣には、真紅の外套をまとったアンリが立っていた。


二十一歳

なのに、その立ち姿から漂う圧だけは五十八歳の叩き上げ部長である。


大司教が祭壇の前へ進み、厳かに儀式を進めていく。


やがて王冠がアンリの頭へ載せられた。


「――ヘンリー王、万歳!」


堂内に歓声が響く。

私は拍手しながら、ふと隣の夫を見た。


(……ん?)


もう一度、周囲から声が上がる。


ヘンリー

ヘンリー王

ヘンリー陛下


「…………」


私はゆっくりと瞬きをした。

そして隣に控えていた書記官へ、小声で尋ねる。


「ねえ」


「はい?」


「今、アンリのこと……なんて呼んだ?」


「ヘンリー陛下でございます」


「……ヘンリー?」


「こちらでは、そうお呼びします」


「アンリが?」


「はい」


私はもう一度、王冠を載せた夫を見た。


アンリ

ヘンリー


アンリ

ヘンリー


頭の中で二つの名前を何度か往復させたところで、急に何かが引っかかった。


(……ヘンリー)


どこかで聞いた。


いや、絶対に聞いたことがある。


二十一世紀


高校

世界史の授業

黒板

教科書


そして答案用紙に燦然と輝いていた、伝説の「8点」。


その記憶のどこかに、この名前がいた。


「……ヘンリー二世?」


私は口元を押さえた。

もう一度夫を見る。


王冠

二十一歳

ノルマンディー公

アンジュー伯

今度はイングランド王


「…………」


数秒遅れて、脳内で盛大な鐘が鳴った。


(お前かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!)


危うく声に出すところだった。


名前、知ってる。

さすがの私でも、ヘンリー二世という名前くらいは聞いたことがある。


イギリス史で出てくる王様だ。


たぶん有名人だ。

かなり有名なはずだ。


(……で?)


私は必死に記憶の引き出しを開け始めた。


『ヘンリー二世』


何した人?

戦争?

法律?

教会?


誰かと喧嘩した?

なんか事件あった?


「…………」


何も出ない。

本当に何も出てこない。


ヘンリーという王様が何人もいたことくらいは覚えている。

でも、一世と二世と三世と八世の区別なんて、世界史8点の私に求めないでほしい。


「……名前しか知らん」


これが現実だった。

せっかく「歴史上の有名人だった!」と気づいたのに、その先の攻略情報が何ひとつ出てこない。

未来の危機を回避するどころか、何が危機なのかすら分からない。


(いや、でも……有名ってことは、たぶん何かしたんだよね?)


私は横目でヘンリーを見る。

堂々と王冠を載せ、いかにも「当然こうなると思っていました」という顔をしている。


(この男なら、何かはやるな、というかやらかすな。)


そこだけは確信できた。

ただし、何をやるかは分からない。


世界史8点とは、そういうものである。

私が一人で悶々としていると、大司教が今度はこちらを向いた。


次の瞬間、別の王冠が掲げられる。


「――イングランド王妃、アリエノール陛下に祝福を」


「…………」


ずっしりとした重みが頭に載った。


私は目を閉じた。

脳内に、ありもしない社内通知が流れる。


**人事異動のお知らせ。

前職:フランス王妃。

退職理由:婚姻無効。

再雇用先:イングランド王室。

勤務地:海外。**


「……王妃、再雇用のお知らせ」


思わず小声で呟いた。


フランスで十五年も王妃をやって、ようやく退職したと思ったのに。

わずか二年ほどで、今度は別の国から再雇用通知が来た。


しかも夫は前より若く、前より強く、前より動きが速い。

待遇が改善した気がまったくしない。

むしろ悪化している。


戴冠を終えたヘンリーが、満足そうに私を見る。


「これでイングランドも加わった」


「……そうね」


「次は、これらを維持する」


「…………」


こいつ

王様になっても、やることが変わらない。


「維持するって簡単に言うけど、ノルマンディーもアンジューもアキテーヌも、

全部事情違うんだからね?」


「分かっている」


「本当に?」


「だから忙しい」


「自分から仕事増やしといて何言ってんの!?」


ヘンリーは平然としている。

私は深くため息をついた。


名前だけは知っていた。

ヘンリー二世。(多分)

でも、何をした王なのかは思い出せない。


そして今、その歴史上の有名人が私の隣に立っている。

しかも夫だ。


「……人生って、こんな形で教科書の答え合わせするものだっけ」


誰にも聞こえない声で呟いた。


返事はない。

ただ、隣では二十一歳の新王が、すでに次の仕事のことを考えている顔をしていた。


フランスでは、話の通じにくい現場猫と十五年。

そして今度は、話は通じるが止まらない暴走戦車。


私の第二次王妃生活は、どう考えても平穏無事には終わりそうになかった。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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