第66話:私の男運どうなってんの?
第一子誕生。この後どんどんお騒がせが産まれます。
新婚生活。
それは本来、甘い蜜月であり、互いの愛を確かめ合う薔薇色の時間――のはずだった。
だが、現在のポワティエ宮廷で繰り広げられているのは、新婚夫婦の甘い囁きではない。
早朝から執務室では書類が飛び交い、昼には使者が駆け込み、夜になれば今度は軍事と金の話である。
その合間を縫って、「外資系アグレッシブCEO」と「叩き上げ現場マネージャー」の
怒鳴り合いが連日開催されていた。
私は机に突っ伏し、抜け殻のような声で呻いた。
「王様と結婚したと思ったら修道士だったから、今度は話の通じる男と結婚したと思ったら
暴走戦車だった。……ねえ、私の男運どうなってんの?」
極端すぎる。
振れ幅が完全に壊れている。
前夫ルイは、真面目で善良ではあった。ただし現世の問題が起きると、
まず神に祈り、聖職者に相談し、その間に状況が三段階くらい悪化する。
一方、現夫アンリは話をすれば秒で理解する。理解したうえで、
こちらの返事を待たずに三手先まで実行する。
普通はいないのか。
もう少しこう、話を聞いて、相談して、ほどほどに仕事ができる普通の男は、
中世ヨーロッパ市場には存在しないのか。
そんなことを考えていた時だった。
「アリエノール」
例によって、アンリが勢いよく執務室へ入ってきた。
「ボルドーから来ていた商人たちの件だが、片付いた」
私はゆっくり顔を上げた。
「……何を?」
「負担を軽くしてほしいと言っていた連中だ。申告と実際の在庫が合わないので、
倉庫と徴収記録を確認させた」
「…………」
嫌な予感しかしない。
アンリは何でもないことのように続けた。
「不足分をきちんと納めるなら、これ以上は追及しないと言った。全員納めるそうだ」
「……あなた」
「何だ」
「それ、私に相談した?」
「する必要があったのか?」
「あるに決まってるでしょうが!!」
私は椅子から立ち上がった。
「ボルドーの商人たちはアキテーヌの大事な取引相手なの! 港を回してる連中なの!
締め上げるにしても、今後の関係ってものがあるでしょう!?」
「だから潰していない」
「そういう問題じゃない!」
「記録をごまかして負担だけ軽くしろと言われて、はいそうですかと認める方がおかしいだろう」
「それはそう!!」
「なら問題ない」
「そこなんだよ!!」
私は両手で頭を抱えた。
腹が立つ。
猛烈に腹が立つ。
勝手に調べて、勝手に交渉して、勝手に結論まで出して、
それから領主である私へ「終わったぞ」と報告してくる。
腹が立つのに。
(……有能すぎるんだよ畜生ぉぉぉぉぉ!!)
やっていること自体は、間違っていない。
徴収の記録を見る。申告と合わないところを調べる。相手が何を隠しているのか確認して、
逃げ道を塞いだうえで落とし所を作る。
結果だけ見れば、ものすごく仕事ができる。
政治的にも軍事的にも、とにかく動きが速い。
私が「どうする?」と考えている間に、アンリはもう「こうする」と決めて使者を出している。
そしてだいたい、成果まで持って帰ってくる。
「……ねえ、アンリ?」
私は机を回り込み、夫の正面へ立った。
「何だ」
「結果が出れば何してもいいと思ってない?」
「必要なことをしているだけだ」
「その必要かどうかを、一人で決めるなって言ってんの!」
アンリは少し眉を寄せた。
たぶん、本当に分からないのだ。
結果が出る方法がある。急ぐ理由もある。なら、なぜすぐやらないのか。
彼の中では、それだけなのだろう。
「私はあんたの部下じゃないの。お飾りでもない。アキテーヌは私の土地で、私はここの領主なの」
「分かっている」
「じゃあ聞け!」
「話は聞いている」
「聞いてるだけだろ!!」
私の声が執務室に響いた。
アンリは一瞬だけ黙り、それから淡々と言った。
「だが、結論が間違っているなら変える。正しいなら変えない」
「そういうところが怖いんだよ!!」
話は通じる。
言葉の意味も分かっている。
私が何に怒っているかも、おそらく理解している。
そのうえで、「でも私の判断の方が合理的だから」と、そのまま進む。
(……あれ?)
ふと、背中に冷たいものが走った。
こいつ、私のことを本当に対等な共同経営者だと思っているんだろうか。
アキテーヌという広大な土地。ボルドーの港。南西部の豊かな領地。
そして、それらをまとめる領主としての私。
全部ひっくるめて、
(……自分の野望を加速させるための、ものすごく便利な追加装備だと思ってない?)
嫌な汗が背中を伝った。
まだ新婚だ。
まだ何も決定的なことは起きていない。
だが、日々の業務連絡の端々から、事故物件の匂いだけは順調に漂い始めている。
そして、そんな夫婦のすれ違いなどお構いなしに、時代はどんどん先へ進んでいった。
1153年
アンリは再びイングランドへ渡り、スティーヴン王との争いへ踏み込んでいく。
兵。船。資金。使者。書状。
毎日何かが動き、そのたびに私は執務室で頭を抱えた。
「ちょっと待って! 今度は何!? 昨日はノルマンディーで今日はイングランド!?
お前、じっとしてると死ぬ病気なの!?」
「動く必要があるから動いている」
「だからその速度を少し落とせって言ってんの!!」
そんな生活が続いた、1153年の夏。
今度は政治でも軍事でもない、まったく別の戦いが私を襲った。
「ぎゃああああああああっっっ!!」
ポワティエの寝室で、私はシーツを握りしめて叫んでいた。
人生三度目の出産。
何度経験しても痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。
現代医学のありがたさを、十二世紀で改めて思い知る瞬間である。
やがて、部屋いっぱいに赤ん坊の産声が響いた。
「お生まれになりました!」
産婆の声が弾む。
「男子にございます!」
「……は?」
汗だくのまま、私は目を瞬いた。
男子。
男の子。
”私が男児を産んだ”
十五年間、あれほどルイとカペー家が待ち望み、
私自身も何度となく重圧を感じていた「男の跡継ぎ」が。
再婚して、
ほぼ一発で、
『出た』
「…………」
しばらく言葉が出なかった。
そして
「出たぁぁぁぁぁぁぁ!! 一発で男児出たぁぁぁぁぁ!!」
自分でもよく分からない叫びが出た。
周囲は歓喜に沸いた。
アンジューとノルマンディー、そしてアキテーヌにつながる血を引く男子。
名は、ギョーム。
小さな赤ん坊は、そんな大人たちの事情など何も知らず、元気よく泣いていた。
そこへアンリがやって来て、我が子を覗き込む。
今まで見たことがないほど満足そうな顔をしている。
「よくやった」
「……その言い方、ものすごく腹立つ」
「何がだ」
「私、成果物納品した部下じゃないんだけど」
「元気ならいい」
「急に雑に優しくするな!!」
私は疲れ切ったまま、赤ん坊へ視線を戻した。
かわいい。
ものすごくかわいい。
小さい
生きている
それだけで十分だった。
なのに、頭の片隅で余計なことまで考えてしまう。
(……ルイが見たら倒れるやつじゃん、これ)
十五年一緒にいて娘が二人。
そして別れたあと、次の夫との間にいきなり男児。
別に誰が悪いわけでもない。
ただの巡り合わせだ。
分かっている。
分かっているけど。
「人生、皮肉が過ぎるだろ……」
私は天井を見ながら呟いた。
しかも、男児が生まれたことで、アンリにとってはまた一つ大きな駒が増えたことになる。
領地がある。
兵がいる。
金もある。
イングランド王位への道も、少しずつ形になりつつある。
そして今度は、息子までいる。
私は赤ん坊を抱きながら、横目で夫を見た。
二十歳。
若い
強い
仕事ができる
話も通じる
”ただし、人の話は聞かない”
「……修道士の次が暴走戦車か」
「何だ?」
「何でもない」
私はため息をつき、赤ん坊を抱き直した。
とりあえず今は、この子が元気ならそれでいい。
将来のことなんて、分からない。
この男との結婚が正解だったのかも、まだ分からない。
ただ一つだけ確かなのは。
アンジュー家という新しい家族は、どうやら静かに暮らせる種類の家族ではなさそうだ。
そんな予感だけは、嫌になるほど当たりそうだった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




