第65話:コイツ判断が早いんじゃねぇ!人の話を聞いてないだけだ!!
やはり歴史は真面目に学んだ方が・・・?
結婚式から、わずか数日。
ポワティエの城の執務室で、私は机に肘をつき、両手で頭を抱えていた。
「……いや。これでよかったんだよな?」
誰にともなく問いかける。
もちろん、心の底から納得して選んだ結婚なんかじゃない。
街道で待ち伏せしてきたブロワ側の連中と、浅瀬でこちらを狙っていた義弟ジョフロワという名の
即死トラップを回避するため、「他の選択肢がもっと危険だったから、
一番頑丈そうな地雷を自分で踏み抜いた」という、ほぼ消去法の再婚である。
それでも、安全保障という一点だけで見れば大正解のはずだった。
ノルマンディーとアンジューを持つ十九歳の若き公爵。兵もいる。金もある。判断も速い。
そして何より、
アキテーヌを狙う連中に対して「手を出したら面倒なことになるぞ」と分からせるだけの圧がある。
うん。
政治的には正解。
少なくとも、そう思いたかった。
その時だった。
バァンッ!!
執務室の樫の扉が、蝶番ごと外れるんじゃないかという勢いで開いた。
入ってきたのは、もちろん我が新夫。十九歳の歩く暴風雨、
ノルマンディー公にしてアンジュー伯、アンリである。
片手に書類を持ち、もう片方の手で額の汗を拭いながら、
こちらが何か言うより先に早口でまくし立てた。
「アリエノール。北側に出ていた不審な騎士どもだが、こちらの兵を動かして牽制させたら引いた。
しばらくは手を出してこないだろう」
「……え?」
私は目を瞬いた。
「もう片付けたの?」
「ああ」
「昨日その話したばっかりじゃん」
「昨日のうちに伝令を飛ばした。待っていれば相手に先手を取られる」
さらっと言って、ヘンリーは口元だけで笑った。
「これで、お前の領地に手を出そうとしていた連中も少しは考えるだろう」
……強い。速い。的確。
ルイなら「まず祈ろう」「神の御心を待とう」「司教に相談しよう」と言っている間に、
こちらが包囲されていたかもしれない話を、この男はほぼ一日で片付けてきた。
しかも、無駄に戦を広げるでもなく、相手に圧をかけて引かせている。
(ほら!! やっぱり政治的には大正解じゃん!!)
心の中で安心のファンファーレが鳴り響く。
防衛力カンストの最強ボディーガード。
外資の切れ者CEOを共同経営者として迎え入れた甲斐があったというものだ。
これなら私の愛するアキテーヌも安泰――。
「それで、次だ」
ヘンリーは持っていた書類を、私の机の上へどさりと置いた。
「南の諸侯には追加の負担を求める。ボルドー周辺の守りも強化する。
ポワティエの守備には、こちらから信用できる騎士を何人か入れる。
それから、今後イングランドへ渡るための準備に、アキテーヌからも資金を出してもらう」
「…………」
私の思考が止まった。
「財務を預かる者には、もう話を通してある」
「…………は?」
「何だ」
「待て待て待て待て待て!!!!」
私は机を両手で叩いて立ち上がった。
「追加負担!? 守備の人事!? 軍資金!? ちょっと待って、
それ全部アキテーヌの内政なんだけど!? 私、一文字も聞いてないんですけど!?」
ヘンリーは怪訝そうに眉を寄せた。
「今言っただろう」
「事後報告だろうがよぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
私の絶叫が、執務室いっぱいに響き渡った。
「誰の許可取って、私の領地の財布を勝手に開けてんの!?
アキテーヌのことは私と相談するって、結婚する前に話したばっかりでしょーが!!」
「相談する必要がある案件ならする」
「今のがその案件だよ!!」
「違う。これは急ぐ」
「勝手に分類すんな!!」
ヘンリーは腕を組み、心底「何が問題なんだ」と言いたげな顔をした。
「イングランドの情勢は動いている。好機を逃せば、こちらが不利になる。
アキテーヌの安全を確保したのだから、次に必要なのは、その力を使ってこちらの基盤を固めることだ」
「その“こちら”に勝手に私を含めるな!!」
「もう夫婦だろう」
「だからって共有フォルダ感覚で領地開くなぁぁぁぁぁ!!」
私の脳内で、前世のオフィス警報がけたたましく鳴り響いた。
あ、こいつ判断が早いんじゃない。
『人の話を聞いてないだけだ。』
決断力があるんじゃない。他人との合意形成という工程を、
最初から脳内で丸ごと削除して突っ走っているだけだ。
スピード感ではない。
超特急ブレーキ故障列車である。
「……私生活および事業提携、完全に不正解かもしれん」
思わず、本音が口から漏れた。
政治的には頼れる。話も通じるし、言葉の意味も理解できる。
問題は、理解したうえで、自分が正しいと思った結論を秒で実行し、
他人の意見をまとめてゴミ箱へドラッグ&ドロップするところだ。
前世の会社にいたら、絶対に部下が何人か休職する。
本人だけは「結果は出ているが?」という顔をしているタイプ。
「お前、私の話を聞け!! アキテーヌにはアキテーヌのやり方があるの!!
私の家臣も諸侯もいるんだから、勝手に全部決めんな!!」
「まだるっこしい」
「出た!!」
「相手が待ってくれるならいい。だが、待たない相手にこちらだけ律儀に順番を守ってどうする」
「だからって全部お前が決めるな!!」
「必要なら決める」
「必要かどうかを一人で決めるなって言ってんの!!」
「それでは間に合わない」
「会話が成立してるのに意思疎通が成立してねぇぇぇぇぇ!!」
ヘンリーは一瞬だけ考え、それから何事もなかったように言った。
「私は訓練場へ行く」
「待て」
「資金については、現実的な額をまとめておけ」
「待てって」
「それから守備の配置案も」
「おい」
「夕方に見る」
「勝手に仕事増やすなぁぁぁぁぁ!!」
ヘンリーは、こちらの絶叫など風の音ほどにも気にせず、ひらひらと片手を振って執務室を出ていった。
バタン、と派手に扉が閉まる。
静寂………
私は数秒、その扉を見つめたあと、ゆっくりと机へ突っ伏した。
「……なんとか自分を納得させたい」
誰もいない部屋で、ぶつぶつと呟く。
「だって、他に選択肢なかったし……ブロワ側に捕まるよりはマシだし……
ジョフロワに持っていかれるよりはマシだし……軍事的には頼れるし……うん。
強い盾を手に入れたんだ。これは必要経費。初期投資。そういうことにしよう」
必死に脳内でポジティブキャンペーンを張る。
しかし、どう頑張っても未来予測が暗い。
十年後、この男に全部握られて、「危ないからお前は何もするな」とか言われている自分の姿が、
4K画質の超高解像度で見える。
(……いや、まさかな)
いくらなんでも。
まさか将来、こいつに閉じ込められるようなことまでは起きないだろう。
さすがにそこまで酷くは――。
「…………」
私はしばらく黙った。
「……やっぱり、ありそうで嫌なんだけど」
政治的には正解。
安全保障としても正解。
でも夫として正解かどうかは、すでにかなり怪しい。
前門の虎だった「話の通じにくい真面目な元夫」から逃げたと思ったら、
今度は自分から「話は通じるが人の話を聞かない十九歳ジャイアン」を招き入れてしまった。
しかも、今度の男は若い。強い。行動が速い。そして止まらない。
「……これ、選択肢盛大に間違ってないかぁぁぁぁぁぁぁ!?」
頭を抱える私の手元には、さっそく「軍資金をどう捻出するか」という、
頼んでもいない超絶ブラックな追加業務だけが残されていた。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




