第62話:帰宅するだけなのに誘拐未遂が二件発生した件
一難去って?
「自由だ! 退職万歳! これからは悠々自適の不労所得ライフ!」
……と、馬車の中でシャンパンでも開ける勢いで浮かれていられたのは、
ボージャンシーを出てから、ほんのしばらくのことだった。
南へ向かう街道を進み、ロワール川沿いの道へ差しかかった頃。
突然、前方を走っていた護衛騎士が鋭い声を上げた。
「警戒! 馬車を囲め!」
「……は?」
次の瞬間、外で馬が激しく嘶き、剣のぶつかる音が響いた。
私は思わず窓へ顔を寄せたが、護衛隊長がすぐさま馬を寄せ、怒鳴る。
「女公様、お顔を出されませぬように!」
「何!? 何が起きてんの!?」
「待ち伏せです! 女公様のお身柄を狙っている者たちが!」
「…………は?」
一瞬、
意味が分からなかった。
「誰が!?」
「ブロワ伯側の者ではないかと!」
「ブロワ伯ぅぅぅ!?」
私は馬車の座席へ飛び退いた。
「待って待って待って!! 私、ついこの間までフランス王妃だったんだけど!?
婚姻無効になった瞬間から野良SSR扱いなの!?」
外では怒号が飛び交っている。
どうやら、相手の目的は略奪でも殺害でもないらしい。
『私を生きたまま連れ去ること』
理由は。
「女公様を捕らえ、婚姻を強いるつもりかと!」
「力ずくの逆玉狙いかよ!! 求婚方法がバーバリアンすぎるだろ!!」
ふざけるな。
花くらい寄越せ。
せめて手紙を書け。
何でプロポーズの第一手が待ち伏せなんだ。
幸い、護衛たちが早い段階で気づいたこともあり、馬車は大きく道を変え、
追っ手を振り切ることができた。
私は座席へへたり込み、荒い息を吐いた。
「……何なの、この世界」
離婚した。
自由になった。
実家へ帰る。
ただそれだけのはずだった。
なのに、もう誘拐されかけた。
意味が分からない。
「アキテーヌ帰ったら、門閉めて一年くらい引きこもろう……」
私は本気でそう決意した。
――数日後。
その決意はさらに強固なものになった。
街道を避け、できるだけ人目につかない道を選びながら南へ進んでいた時だった。
先行していた騎士が、血相を変えて戻ってきた。
「女公様!」
「今度は何!?」
嫌な予感しかしない。
「この先に武装した一団が潜んでおります!」
「…………」
「女公様を狙っている可能性が高いかと!」
「…………また?」
「はい」
「また!?」
私は頭を抱えた。
「独身女公になった途端、フィールド上のエンカウント率上がりすぎだろ!!
十歩歩くたびにボス戦発生してんじゃないわよ!! セーブポイントどこ!?」
護衛隊長が、さらに悪い知らせを続ける。
「旗印から見て……アンジュー家の者かと」
「アンジュー?」
聞き覚えがある。
というか、ものすごくある。
私は顔を上げた。
「……あの、パリ宮廷に来た、十八歳のくせに五十八歳部長みたいな圧を出してたやつ?」
「アンリ殿のご一族です」
「誰よ今度は!」
「弟君、ジョフロワ殿が関わっているとの話がございます」
「弟!?」
私は思わず立ち上がりかけ、馬車の天井へ頭をぶつけた。
「痛っ!!」
頭を押さえながら叫ぶ。
「一族まとめて圧が強いんだよ!!!!」
兄はフランス王の宮廷で十八歳とは思えない態度のデカさを発揮し。
弟は姉のような年齢の女公を街道で捕まえて結婚しようとしているらしい。
「アンジュー家、教育方針どうなってんの!?
欲しいものは自力で取りに行けって、そういう意味じゃないからね!?」
幸い、今度は伏兵に突っ込む前に情報が入った。
道を変え
夜間も移動し
宿泊地も直前まで伏せ
徹底的に進路を変えながら、南へ南へと逃げ続けた。
そしてようやく。
本当にようやく。
見慣れた土地へ戻ってきた。
『ポワティエ』
城門が開き、馬車が中庭へ滑り込む。
背後で門が閉じ、跳ね橋が上がった瞬間。
私は馬車から転がり出た。
「……実家……」
泥と汗と埃まみれのドレスのまま、中庭の石畳へ座り込む。
「やっと……帰ってきた……」
ただパリから自分の領地へ戻るだけで、
何でサバイバルゲームみたいな目に遭わなきゃならないんだ。
出迎えた家臣たちに半ば担がれるようにして城内へ入り、私は椅子へへたり込んだ。
すぐに差し出された葡萄酒を、一気に飲む。
「はあぁぁぁ……」
生き返る。
これだ、これ。
私の土地。
私の酒。
私の城。
もう誰にも邪魔されない。
そう思った。
思ったのに………
「女公様」
老執政官が、ひどく真面目な顔で前へ出てきた。
嫌な予感がする。
「何」
「此度の件で、改めて明らかになったことがございます」
「やめて。今は良い知らせ以外聞きたくない」
「残念ながら」
「残念ながらって言うな」
執政官は一度咳払いをした。
「女公様がこのまま、お一人でアキテーヌを治め続けるのは、非常に危険かと」
「…………」
私は手にしていた杯を止めた。
「何で」
「女公様は、あまりにも大きなものをお持ちです」
「悪口?」
「所領です」
「ああ」
びっくりした。
執政官は続ける。
「広大な所領を持つ未婚の女公。しかも、その女公ご本人を手に入れれば、
婚姻を通じてその権利へ食い込める」
「…………」
「ゆえに、今回のような者は今後も現れましょう」
「…………」
急に手元の葡萄酒がまずくなった。
「つまり何」
「女公様がお一人である限り、狙われ続ける可能性がございます」
「…………」
自由
独身
悠々自適
猫でも飼って
静かに暮らす
私の理想の余生が音を立てて崩れていく。
「……独身でいる方が危ないの?」
「少なくとも、今の女公様のお立場では」
「嘘でしょ……」
私は額を押さえた。
前世なら、
離婚した
独身になった
一人で生きる
それで終わりだった。
なのに。
ここは十二世紀。
広大な土地を持つ独身女性は自由な資産家ではない。
”歩く買収案件”だった。
「巨大資産持った単独企業が、買収防衛策ゼロで市場に放り出されてる状態じゃん……」
「……?」
「独り言」
老執政官は、さらに静かに言った。
「女公様ご自身と、アキテーヌを守るためには、
相応の力を持つ方との婚姻も……ご検討いただくべきかと」
「…………」
また結婚かよ。
離婚してようやく自由になった。
その直後にまた結婚。
「嫌なんだけど」
「お気持ちは分かります」
「全然分かってない顔してる」
「ですが」
出た。
嫌な接続詞。
「ですが?」
「誰かに無理やり奪われる前に、女公様ご自身が相手をお選びになる方が、
はるかに安全でございます」
「…………」
私は黙った。
窓の外を見る。
ポワティエの町
その向こうに広がるアキテーヌの土地
父が守った
祖父が愛した
私が、
何としても残したいと思った場所。
誰かに奪わせるわけにはいかない。
まして。
知らない男に街道で捕まって
そのまま望まない結婚を押しつけられて
アキテーヌまで持っていかれるなんて
絶対に嫌だ。
「…………じゃあ」
私は杯を机へ置いた。
「誰かに奪われる前に」
老執政官が顔を上げる。
「こっちから、一番強いやつを選んで買うしかないじゃん」
言った瞬間。
頭の中にひとりの顔が浮かんだ。
赤みがかった髪
灰色の目
十八歳とは思えない圧
フランス王の前でも平然としていた、あの生意気な若造
『ノルマンディー公 アンリ』
「…………」
嫌だ
できればものすごく嫌だ
あいつ絶対面倒くさい
でも、
強い
若い
行動が早い
権力もある
何よりあの男なら。
街道で私を誘拐しようとする連中くらい、まとめて蹴散らしそうだ。
「……使者を出して」
老執政官が目を見開いた。
「どなたへ?」
私は、深く深くため息を吐いた。
「ノルマンディーのアンリへ」
その名前を口にした瞬間
何とも言えない嫌な予感がした。
「至急、親書を送るわ」
こうして、
十五年かけてようやく離婚し
命からがら実家へ帰ってきた元OLは帰宅直後
今度は自分から業界最大手クラスの武闘派新興企業へ
業務提携――もとい、
電撃再婚の打診を始めることになったのである。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




