第60話:離婚したら親権・財産分与・居住地・肩書き変更が一気に来た件
ここからがまた怒涛(`・ω・´)
ボージャンシーでの話し合いが具体的に進み、婚姻無効が
「できるかもしれない話」から「本当に起こりそうな話」へ変わり始めた頃。
私は、新たな問題に直面していた。
「ちょ、ちょっと待って。やること多すぎない!?」
長机の上に積み上がった羊皮紙の束を前に、私は頭を抱えた。
『婚姻を解消する』
言葉にすれば、それだけだ。
なのに、いざ本当に別れるとなると、所領の扱い、娘たちの今後、居住地、王妃としての立場、
随行する人間、持ち出す財産、移動の日程――ありとあらゆる実務が一斉に襲いかかってくる。
「離婚届にサインしたら『はいサヨナラ、自由の身!』じゃないの!?
なんで親権・財産分与・引っ越し・肩書き変更が全部まとめて降ってくんのよ!!
区役所の総合窓口だってもうちょっと分業してるわ!!」
向かいに座る法務担当の聖職者は、私の叫びを聞かなかったことにして、淡々と羊皮紙をめくった。
「まず、女公様ご自身の所領について確認いたします」
「うっ……」
私の胃が、きゅっと縮む。
そう、
一番気になっていた。
いや、
一番怖かった。
フランス王妃を辞めたら、アキテーヌはどうなるのか。
まさか、
『長年王妃としてお世話になりましたので、アキテーヌはフランス王家へ置いていってくださいね^^』
とか言われないだろうな。
未来の地図からアキテーヌという国が消えている原因、ここだったりしないよな。
私は脂汗を流しながら、法務担当者の口元を凝視した。
「アキテーヌ公国、ポワトゥー伯領、その他、女公様ご自身が相続された所領につきましては、
今後も引き続き女公様の所領となります」
「…………え?」
拍子抜けするほど、あっさりしていた。
「……アキテーヌ、私のまま?」
「はい」
「……持って帰っていいの?」
法務担当者が、少し不思議そうな顔をした。
「元より、女公様ご自身の相続所領でございます」
「…………」
数秒
私の頭の中で理解が追いつくまで、少し時間がかかった。
そして、脳内で盛大なファンファーレが鳴った。
実家、お持ち帰り可!!!!
危うく両拳を天へ突き上げるところだった。
神!
いや、今回ばかりは教会法ありがとう!!
結婚したんだから半分フランスのものね、とか言われて、
ボルドーの葡萄畑を半分持っていかれる覚悟までしていたのに。
”丸ごと残る”
私の故郷が私のまま!
「よっしゃああああ!! 土地があれば生きていける!!
退職したうえに本社ビルそのまま独立採算でスピンアウト成功じゃん!!」
思わず机の前で小さくガッツポーズをする。
向かいの聖職者たちは、完全に置いていかれた顔をしていた。
知らん。
今は祝わせろ。
私はアキテーヌへ帰れる。
帰ってまた自分の土地で、自分の仕事をして、自分の空気を吸って生きられる。
胸の奥に、久しぶりに明るいものが広がった。
――その直後だった。
「続きまして、王女殿下方についてでございます」
私の動きが止まった。
「……王女殿下方?」
さっきまで軽かった胸の奥が、一瞬で重くなる。
法務担当者は少しだけ言葉を選ぶように間を置いてから、続けた。
「マリー王女殿下、ならびにアリックス王女殿下は、
今後もフランス王家のもとで養育されることになります」
「…………」
意味は分かった。
でも頭が、すぐには受け入れなかった。
「……ここに、残るの?」
「はい」
「ルイのところに?」
「国王陛下の娘君として、王家のもとに留まられます」
喉の奥が、急に詰まった。
「……連れて帰れないの?」
返事が来るまでの数秒が、やけに長かった。
「女公様のお気持ちは、お察しいたします。しかし、王女殿下方はフランス王の娘君であられます。
今後も王家の一員として、こちらで養育されることになるかと」
「…………そう」
それ以上、何を聞けばいいのか分からなかった。
マリー。
アリックス。
小さな手。
柔らかい頬。
私のドレスを掴んで、「おかあさま」と呼ぶ声。
十字軍から戻った時、マリーを抱きしめて
”ああ、帰ってきたんだ”と思った。
アリックスが生まれた時。
王子じゃなくて何が悪い、と周囲に怒鳴り散らした。
『あの子たちを置いていく』
「…………」
私は膝の上で、ゆっくり手を握った。
ルイとの婚姻は終わらせたい。
それは変わらない。
ここに残って
自分を押し殺して
この先何十年も
壊れた夫婦を無理やり続けて
アキテーヌから離れたまま生きることはできない。
でもその選択をした先に、娘たちとの別れがある。
それもまた変わらない。
私が選んだのは、娘たちを捨てることじゃない。
それでも、
結果だけ見れば。
”私は二人をここへ残していく”
その事実はどう言い換えても痛かった。
「……ごめんね」
小さく呟いた。
誰に聞かせるでもなく、
マリーとアリックスに心の中で頭を下げる。
部屋の空気が、重く沈んだ。
法務担当者たちも、さすがに今度は何も言わなかった。
その時だった。
バタンッ!!
重い扉が、盛大な音を立てて開いた。
「姉上ーーーっ!!」
聞き慣れた声に、私はゆっくり顔を上げた。
ドレスの裾を持ち上げ、ものすごい勢いで部屋へ飛び込んできたのは。
”我が妹”
かつて既婚者との真実の愛に目覚め
破門だ何だと大騒ぎを起こし
私の胃に最初の大穴を開けた女。
ペトロニーユである。
「姉上! お引っ越しの日取り、そろそろ決まりますの!?」
「…………」
私の重たい感傷を妹が秒速で踏み潰した。
「アキテーヌまで長旅になりますでしょう?
ですから私も、そろそろ荷造りを始めようと思いまして!」
「…………私も?」
「はい!」
「誰が?」
「私が!」
嫌な予感しかしない。
「……何で?」
ペトロニーユは、さも当然のように胸を張った。
「姉上がアキテーヌへ戻られるのでしょう? でしたら私もご一緒します!」
「…………」
「とりあえず、私のドレスと宝石類を積む大型馬車を五台ほど――」
「待て」
「はい?」
「お前、なんで自分も当然のようについてくる気満々なの?」
ペトロニーユが目を丸くした。
「だって姉上がいなくなったら、私、パリで肩身が狭いではありませんか!」
「知らんわ!!」
さっきまで胸の奥に溜まっていた涙が、一瞬で引っ込んだ。
「そもそも誰の略奪婚のせいで、こっちは教皇庁だ戦争だって散々巻き込まれたと思ってんの!?
自分のやらかしのツケくらい自分で払え!!」
「姉上、ひどい!」
「何がひどい!!」
「アキテーヌの姉妹の絆はどこへ行ったのですか!」
「砂漠に置いてきたっつってんだろ!!」
「そんなぁぁぁぁ!!」
「あと馬車五台は却下!! 何持って帰る気だお前は!!」
「必要最低限です!」
「五台が最低限なわけあるか!!」
ギャーギャーと騒ぎ立てる妹を怒鳴りながら。
私は、ほんの少しだけ息を吐いた。
重たかった空気が、
無理やりいつもの形へ戻されていく。
まあいい。
泣くのは全部終わってからでいい。
娘たちにちゃんと話して
荷物をまとめて
最後に抱きしめて。
それから馬車の中で好きなだけ泣けばいい。
私は一度だけ目を閉じ、それから法務担当者へ向き直った。
「……で」
「はい」
「次は何?」
「王妃としての称号と、今後の居所について――」
「まだあるの!?」
「ございます」
私は天井を仰いだ。
「全部持ってこい!! 今日中にチェックリスト潰す!!」
「本日中は少々……」
「気合いで何とかしろ!!」
「王妃様!」
「もうすぐ王妃じゃなくなるんだから今のうちに言わせろ!!」
部屋の端ではペトロニーユが
まだ
「馬車三台なら……」
と交渉を始めていた。
「一台でも多いわ!!」
痛む胸の奥へそっと蓋をする。
今はまだやることがある。
私は再び机の上の大量の羊皮紙へ向き直った。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




