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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第56話:王子じゃなくて悪かったな!!

相性が合わないからですかねぇ。ここで男子が産まれてればまた変わったんだろうな

第2回十字軍という名の歴史的泥沼プロジェクトから帰還して、しばらく。

私とルイの関係は相変わらず、壊れていた。


少なくとも、”私の中”では。


アンティオキアで話が通じなくなって

無理やり連れ出されて

そのまま聖地へ行って

ダマスカスまで行って

何千人だか何万人だか分からない人間を巻き込んだ大炎上案件を経て


ようやく帰ってきた頃には私の中にあった、


『この人とちゃんと話せば、いつか分かり合えるかもしれない』


という期待は、ほぼ完全に死んでいた。


だから帰国直後の私は。

必要な話しかしなかった。


ミサの時間

謁見の日程

マリーの予定

アキテーヌから届いた報告


”国王と王妃として必要なことだけ”


それ以外は。


「別に」


「好きにすれば」


「侍従に聞いて」


以上、業務連絡終了。

チャット閉じます。


そんな感じだった。


ところがルイは

どうやら、それで終わったつもりではなかったらしい。


「……アリエノール」


ある日の夕食前。

廊下を歩いていた私を、ルイが呼び止めた。


「何」


「今夜は……もしよければ、一緒に食事を」


「予定ある」


「では、明日は」


「知らない」


「…………」


「侍従に聞いて」


「……はい」


別の日。

部屋へ戻ると、南から来た楽師たちが待っていた。


「何これ」


侍女が少し困った顔で答える。


「国王陛下が……王妃様がお好きだった音楽を、と」


「…………」


また別の日

マリーと庭を歩いていると、ルイがやってきた。


「少し、ご一緒しても?」


「マリーに聞いて」


「おとうさま、いっしょ!」


娘は無邪気に父親の手を取る。

そうなると追い返すわけにもいかない。


結局、三人で庭を歩いた。

ルイは、以前よりよく話すようになっていた。


とはいっても。

元が石像なので劇的に饒舌になったわけではない。


でも


「今日は暖かいですね」


とか


「マリーは最近、歌をよく覚えますね」


とか


「アキテーヌから届いた葡萄酒は、今年も良い出来だったそうですね」


とか


以前なら私が三回話しかけてようやく一回返事が来る程度だった男が。


自分から、

どうでもいい話をする。


「…………」


分かっている。


この人なりに、何とかしようとしているのだ。

私との関係を、

あの旅で完全に壊してしまったものを、

少しずつ元へ戻そうとしている。


ある夜。

私は部屋へ戻る前に、ルイに呼び止められた。


「アリエノール」


「何」


しばらく沈黙。

また石像に戻ったのかと思った頃。

ようやく口が開いた。


「……私は」


「うん」


「あなたを、傷つけました」


私は何も言わなかった。


「アンティオキアで」


ルイの声が少し震えた。


「私は、あなたを守ろうとしているつもりでした」


「知ってる」


「ですが」


一度、言葉を飲み込む。


「あなたが、あれほど拒んでいたのに」


「うん」


「私は……自分が正しいと思ったことを、あなたにも正しいと思わせようとしました」


珍しい。

自分でそこまで辿り着いたか。


私は壁へ背中を預けた。


「……遅かったね」


ルイは目を伏せた。


「はい」


否定しなかった。


「とても」


「はい」


「めちゃくちゃ遅かった」


「……はい」


そこまで素直に言われると逆に怒鳴りにくい。

ずるい。


「でも」


私は息を吐いた。


「だからって、全部なかったことにはならないから」


「分かっています」


「分かってないからああなったんでしょうが」


「……はい」


また素直。

やりづらい。


「今すぐ元通りとか無理だからね」


「それでも」


ルイは顔を上げた。


「少しずつでも、やり直したいと思っています」


「…………」


私はしばらく黙っていた。


嫌いではない。

たぶん憎んでもいない。

そもそも、この男が悪意で私を連れ出したわけではないことも知っている。


”本気で私を救っているつもりだった”


そこが余計に面倒なのだ。


「……悪い人じゃないんだよなあ」


思わず口から漏れた。


ルイが瞬きをする。


「はい?」


「何でもない」


悪い人じゃない。

だから全部捨てて


”はい終了”


ともできない。


でも、一度切れた何かが

前と同じ形へ戻るわけでもない。


夫婦というものは、

仕事みたいに


『関係修復プロジェクト開始!』


で元へ戻るほど、簡単ではないらしい。


そんなわけで。


私とルイは少しずつ、

本当に少しずつ、


同じ食卓につくようになった。

マリーを挟んで話すようになった。

以前ほどではないけれど笑うこともあった。


そして。


一応夫婦らしいことも再開した。


”一応”


「……一応を二回言うな」


本人が聞いたらそう言いそうだが、他に表現がない。


仲直りした

とは言えない。


全部許した

とも違う。


ただ。


同じ王宮で

同じ娘を育てる父親と母親として


もう一度

最低限の橋を架け直してみた。


その結果。


しばらくして

私のお腹に、また子供ができた。


「…………」


最初にそれを知った時。


私は腹を見下ろしてしばらく黙った。


そして。


「中世の夫婦関係、結果が出るの早すぎない?」


侍女に怒られた。


そんなこんなで翌年。


色々あった。

本当に色々あったし。

胃に穴が五、六個空いた気もするけれど。


「かわいいいいいいいいいいっっっ!!!!」


産褥のベッドの上で。

私は生まれたばかりの赤ん坊を抱きしめ、限界突破のデレデレ顔を晒していた。


第二子。

次女アリックスの誕生である。


「見てこのほっぺ!! 焼きたての白パン!? マシュマロ!? 指ちっちゃい!!

 爪もちっちゃい!! 天使かな!? 天使がシテ島に舞い降りちゃったのかな!?」


長女マリーの時も可愛さのあまり語彙力を失ったが。


二人目もやっぱり可愛い。

無条件で可愛い。


過酷な行軍も

夫のヤンデレ強制連行も

世界地図からアキテーヌという国が見当たらない恐怖も


このぷにぷにした頬の前では全部一時停止である。


「マリー、ほら見て! 妹だよ! 可愛いねえええ! アリックスちゃんですよー!

 お姉ちゃんですよー!」


マリーがベッド脇から身を乗り出す。


「ちいさい!」


「ちっちゃいねええええ!!」


「おめめ、とじてる!」


「寝てるからねええええ!!」


マリーも嬉しそうだ。

私も嬉しい。


アリックスは

何も知らず、

小さな口をむにゃむにゃ動かしている。


世界平和最高。


……だったのだが。


ふと……


枕元を囲む侍女たち

王宮の重臣たち


そして

少し離れた場所に立つルイの顔を見て


私は気づいた。


「…………」


何だこの空気。


お通夜?

ここ、お葬式の会場だっけ?


もちろん。

誰も露骨に嫌な顔をしているわけではない。

祝福の言葉もあった。

侍女たちは笑っている。

ルイだって赤ん坊を見る目は優しい。


でも何か

何かが引っかかる。


特におっさん連中。

お前ら、何だその。


『喜ばしい。実に喜ばしい。しかし……』


みたいな顔は。


「……何、その顔」


私の声からデレデレの甘さが一瞬で消えた。

重臣たちの肩が跳ねる。


「何よ、その空気」


誰も答えない。


「新製品リリース初日にサーバー落ちた開発チームみたいな顔してんじゃないわよ」


「い、いえ、そのような……」


「じゃあ何」


沈黙。


「言え」


重臣のひとりが

ものすごく嫌そうに、

ものすごく慎重に、

口を開いた。


「王妃様がご無事に出産なされたことは、

まことに喜ばしく……王女殿下がお健やかであられることも、我ら一同、心より――」


「前置き長い」


「…………」


「続き」


「……王家といたしましては」


来た。

嫌な予感。


「やはり、その……男子のお子様を望む声も……」


「…………」


私はゆっくりアリックスの耳を手で覆った。


寝ている。

聞こえてはいない。

分かっている。


でも塞ぐ。


そのまま

満面の笑みで重臣を見る。


「この子の前で」


「は、はい」


「その話」


「はい」


「すんなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


部屋が震えた。

本当に窓がビリッと鳴った気がする。


「何が『やはり男子を』だよ!! 命懸けで産んだ母親と、今この世に爆誕したばっかりの

ピッカピカの赤ん坊の前で、『あ〜あ女の子か〜』みたいな空気出してんじゃねえよ!!」


「そ、そのようなつもりでは!」


「顔に出てんだよ!!」


「ひっ」


「デリカシーを母親の胎盤の中に忘れて生まれてきたのか!?」


「王妃様!」


「だいたい何よ!! 女子の何が不満なのよ!!」


私はアリックスを侍女に預けると

ベッドの上で胸を張った。


「女だから跡継ぎになれない!? 国を治められない!? ふざけんな!! 

今ここに広大な領地抱えた女公が座ってるだろうがよぉぉぉぉ!!!!」


全員の視線が私へ集まった。


「私を見ろ私を!! アキテーヌもポワトゥーもガスコーニュも!! 王領よりよっぽど広い土地抱えて生きてる女公が今ここにいるだろうが!!」


そう。


私自身父が死んだあと普通にアキテーヌを継いでいる。


”女だから”

という理由で私の相続権が消えることはなかった。


「女だから継げないとか何なの!? 時代遅れにも程が――」


そこで。

重臣のひとりが申し訳なさそうに手を上げた。


「王妃様」


「何よ!!」


「アキテーヌと……フランス王位では、事情が異なりまして」


「…………」


「これまで我が王家では、王位は男子から男子へと継承されております」


「…………」


「王女殿下が、そのまま次代の国王として王冠を戴く、という前例は……ございません」


「…………」


私は瞬きをした。


「……制度が違うの?」


「はい」


「同じ国の中なのに?」


「……はい」


「私の領地は女でも継げる」


「はい」


「でもフランスの王冠は、男子が前提」


「はい」


「…………」


私は深呼吸した。


一回。

二回。

そして。

枕元のクッションを掴んだ。


「先に言ええええええええええ!!!!」


投げた。

ボフンッ!

誰かの顔面に当たった。


知らん。


「なんなのそのクソローカルルール!! 同じ国の中で相続仕様バラバラじゃねえか!!」


「王妃様!」


「事業承継の難易度ハードモードすぎるだろ!! 男子引くまで終われません方式やめろ!!」


「そのような言い方は!」


「じゃあ何て言うのよ!!」


誰も答えない。


「もういい!!」


私は再びアリックスを抱き取った。


「全員出てけ!!」


「王妃様」


「お祝いのワイン置いて退勤!!」


「退勤……?」


「帰れってこと!!」


重臣たちはワタワタと逃げていった。


部屋に残ったのは


侍女たち

マリー

赤ん坊


そして…

ルイ。


「…………」


私はルイを見る。

ルイも私を見る。


「何」


「いえ」


「何よ」


少しだけ。


ルイの口元が緩んだ。


「……元気そうで、安心しました」


「誰のせいで元気じゃなくなったと思ってんの」


「…………はい」


「そこは否定しろよ」


「申し訳ありません」


「謝るな」


「はい」


やりづらい。

本当に。


私は鼻を鳴らして腕の中のアリックスを見た。


小さい

あったかい

かわいい

何度見てもかわいい。


「ふん」


その頬を

指先でそっとつつく。


「王子じゃなくて悪かったわね」


アリックスは当然何も答えない。


「でも」


私は小さく笑った。


「そんなの、あんたの責任じゃないからね」


横ではマリーが妹の手をつついている。


「かわいい」


「でしょ?」


「うん」


「でしょおおおおおおお!?」


一瞬でデレデレに戻った。


王家の後継者問題?


知らん。


少なくとも

今日だけは知らん。

この子は生まれたばかりだ。


まず祝え。

話はそれからだ。


……まあ。


私自身

婚姻無効の書類をこっそり調べている真っ最中なんだけど。


しかも。

実家のアキテーヌが未来の世界地図に独立国として見当たらない問題も。


依然として

胃が痛い未解決案件のままなんだけど。


「…………」


私はアリックスのぷにぷにした頬へもう一度、

そっと頬を寄せた。


「……今日は考えない」


うん。


今日はかわいいで終わろう。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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