第53話:四日で終わるなら最初からやるな!!
十字軍って大体失敗してるもんねぇ・・・
第2回十字軍、運命のダマスカス包囲戦。
私は天幕の隅に置かれた椅子へ深く腰掛け、
完全に「退職予定の窓際社員」の姿勢を決め込んでいた。
手には、冷えた麦茶――の代わりの薄いワイン。
心には、鉄壁の防音シャッター。
もう知らん。
好きにしろ。
私は辞める。
以上。
【一日目】
大軍は、ダマスカス郊外の西側へ布陣した。
周囲には果樹園が広がり、水路や小川もある。木陰もあり、
兵士たちは久しぶりに少しだけ人間らしい顔を取り戻していた。
「水があるぞ!」
「果物もある!」
「ここなら戦える!」
天幕の外では、フランス王ルイ、ドイツ王コンラート三世、エルサレム王国の諸侯たちが、
神の加護だの勝利の兆しだのと盛り上がっている。
私はワインをちびりと飲んだ。
(知らん。好きにしろ)
口は出さない。
どうせ私はそのうち婚姻無効の手続きを始める予定なのだ。
このプロジェクトがどう転ぼうと、もう私の知ったことではない。
【二日目】
城壁へ向けて攻撃が始まった。
だが、そう簡単には進まない。
果樹園や水路は補給にはありがたいが、戦場としては入り組んでいる。
視界は悪く、木々や塀の陰から敵兵に襲われ、各所で小競り合いが続いているらしい。
報告を聞きながら、私は膝の上の羊皮紙からちらりと目を上げた。
(……あれ?)
まあ。
初動の混乱くらいは、どこの現場にもある。
”まだ慌てる時間ではない”
私は再び心のシャッターを下ろした。
【三日目】
昼過ぎ。
首脳陣の軍議が開かれた天幕から、妙に騒がしい声が聞こえてきた。
どうやら。
「別の側から攻めた方がいいのではないか」
という案が出たらしい。
東側
あるいは南東側
今いる場所より城壁を攻めやすいのではないか、と。
誰が最初に言い出したのかは、よく分からない。
だがどうやら偉い人たちは、かなり乗り気らしい。
「なるほど」
「その方が突破しやすいかもしれない」
「陣を移そう」
そんな声まで聞こえてきた。
私はゆっくり、グラスを机へ置いた。
(いや待て)
東側?
世界史8点だけど、現場の下見くらいは私もしている。
今いる西側には水がある。
果樹園がある。
日陰がある。
食べ物も多少は手に入る。
それを捨てる?
わざわざ?
(……いやいやいや)
でも、
私はもう口を出さないと決めたのだ。
深呼吸。
落ち着け私。
辞める会社の会議に、いちいち噛みつくな。
【四日目】
全軍が新しい陣地へ移動した。
そして。
到着した諸侯たちの顔色が、一斉に変わった。
木がない。
日陰がない。
水が少ない。
乾いた地面。
照りつける太陽。
舞い上がる砂埃。
「……水は?」
誰かが聞いた。
返事はない。
「近くに十分な水場は?」
沈黙。
「…………」
私は遠くからその光景を見ていた。
やめろ。
見るな。
私はもう関係ない。
知らん。
好きにしろ。
その時伝令が飛び込んできた。
北から、ダマスカス救援の軍勢が近づいているという。
ヌールッディーンらの軍が迫っているらしい。
空気が一変した。
「援軍が来るぞ!」
「ここで挟まれたらまずい!」
「水も足りん!」
「撤退すべきではないか!」
一気に混乱が広がる。
ルイも、コンラートも、諸侯も
あちこちで声を上げている。
その瞬間私の中で、
数日前から固く閉じていた防音シャッターが粉々に吹き飛んだ。
「やっぱ無理ぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
私は天幕から飛び出した。
「見てられん!! 誰だよ!この作戦考えたのぉぉぉぉぉ!!!!」
「ア、アリエノール!?」
ルイが振り返る。
私はそのまま詰め寄った。
「待って!」
指を一本立てる。
「最初の場所、水あったよね!?」
「……はい」
「果樹園もあったよね!?」
「はい」
「日陰もあったよね!?」
「……ありました」
「で、なんで移動したの!?!?」
ルイが言葉を詰まらせる。
「攻めやすいという意見があり……」
「なんで補給条件が悪い方へ、わざわざ引っ越したのぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
砂漠に私の絶叫が響いた。
「引っ越しの基本は駅近! 日当たり! 水回り良好でしょうが!!」
「えき……?」
「そこは聞き流せ!!」
私は頭を抱えた。
「なんで水源と食料を捨てて、照り焼き用の鉄板みたいな場所へ移るの!?
夏場の屋上かここは!!」
「しかし、敵の援軍が」
「だから!!」
私はルイを指差した。
「叔父上が言ってたでしょ!? 北の脅威を先に何とかしろって!!」
ルイの顔がわずかに強張る。
しまった。
叔父上の名前を出した。
でももう知らん。
今は夫婦喧嘩してる場合じゃない。
「ヌールッディーンが動く可能性くらい、誰か考えなかったの!?
世界史8点の私でも『北に敵残して南で別件始めたら来るんじゃない?』くらい思うよ!?」
もはや怒りを通り越して、泣きそうだった。
・ヨーロッパの西の果てから
・何千里も進み
・大勢の兵と巡礼者を動かし
・ハンガリーを越え
・コンスタンティノープルを通り
・小アジアで散々な目に遭い
・カドモス山では現場猫案件を起こし
・アッタリアでは大勢を置いていき
・アンティオキアでは夫婦関係まで盛大に破壊した
そこまでして……
ようやく聖地まで来て、最後に何をしたかと思えば。
『四日』
たった四日。
「四日で終わるなら最初からやるなぁぁぁぁぁ!!!!」
私はその場にしゃがみ込んだ。
「このプロジェクト、最終報告書に何て書けばいいんだよぉぉぉぉ!!」
『原因』
→準備不足
→兵站不足
→情報共有不足
→指揮系統の不一致
→途中で謎の陣地変更
そして。
→意思決定。
全部…全部!
最初から嫌な予感しかしていなかったやつだ。
「だから言ったじゃん!!」
私はとうとう立ち上がった。
「ホウレンソウしろって!」
一歩。
「現場猫の『ヨシ!』で進むなって!」
さらに一歩。
「補給考えろって!」
もう一歩。
「損切りしろって!!」
誰も止めない。
「全部、自分たちで自爆してんじゃねえか馬鹿野郎ぉぉぉぉぉぉ!!!!」
その日のうちに十字軍は撤退を決めた。
わずか四日間の包囲戦。
神の栄光を掲げ、大軍を率い、
欧州からここまでやってきた結果としては。
あまりにも…
あまりにも………
「……ひどくない?」
撤退する軍勢を眺めながら、私は呆然と呟いた。
少なくとも私にはこれはもう、
歴史に残る壮大な聖戦というより、
『世界史上最大級の、四日で炎上終了した超大型プロジェクト』にしか見えなかった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




