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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第51話:これは救出じゃなくて拉致だよ!!

ルイの決断(斜め下)

深夜。

宮殿の外から聞こえる松明の弾ける音と、かすかな金属音で、私は目を覚ました。


「……ん?」


違和感があった。


廊下に、人の気配が多すぎる。

寝台から起き上がり、重い扉を少しだけ開けた瞬間。

息が止まりそうになった。


扉のすぐ前に、甲冑を着込んだ武装兵が二人、槍を手に立っている。

しかも、その胸元にあるのはアンティオキア公国の紋章ではない。

フランス王家のものだった。


「……な、何事?」

嫌な予感しかしない。

次の瞬間、扉が大きく開き、ルイの側近たちと侍従が無言で部屋へ入ってきた。


そして…

何の説明もなく、私の衣服や私物をまとめ始めた。


「ちょ、ちょっと待って!」


私は寝台から飛び降りた。


「何してんの!?」


「王妃陛下。今夜、出立いたします。お召し替えを」


「……はぁ!?」


眠気が一瞬で吹き飛んだ。


「今夜!? どこへ!?」


「エルサレム方面へ向かいます」


「いやいやいやいや!!」


私は両手を振った。


「私、残るって言ったよね!? 昼間の話聞いてなかったの!? アンティオキアに残るの!!」


「陛下のご命令です」


騎士は、事務的に答えた。


「本人の同意どこ行った!?」


返事はない。


「待って! 私まだ着替えてないし、荷物も!」


「準備はこちらで」


「そういう問題じゃない!!」


有無を言わせぬまま、腕を取られる。

形式上は、王妃の夜間移動。


けれど。

本人が「行かない」と言っているのに、武装兵を並べて連れ出すなら、それはもう。


「拉致じゃねえか!!!!」


私の叫びが、夜の宮殿に響いた。


冷えた中庭へ出る。


松明の炎。

整列した騎士たち。

用意された馬と馬車。


その中央にルイがいた。


馬上から、静かにこちらを見下ろしている。


怒ってはいなかった。

取り乱してもいない。


むしろ。

異様なほど落ち着いていた。

そのことが、逆に怖かった。


昨日までなら、まだ言い争えた。

怒鳴れば、ルイも言い返した。


けれど今の彼はもう、

自分の中ですべての結論を出してしまった顔をしていた。


「……ルイ」


私は足を止めた。


「あんた、その目やめろ」


ルイは黙っている。


「それ、話が通じる人間の目じゃないぞ」


少しだけ間があった。


そして

ルイは驚くほど穏やかな声で言った。


「あなたを、ここへ残すことはできません」


「できないじゃねえんだよ!!」


一瞬で頭に血が上がった。


「私が残るって言ってんの! 自分で決めたの!!」


「あなたは今、正しい判断ができていないのです」


「それ一番言っちゃダメなやつ!!!!」


夜空に怒号が響いた。


「何それ!? 『君は冷静じゃないから僕が代わりに決めてあげる』って!?

本人の意思を勝手に無効化してコントロールする、最悪のやつじゃん!!」


「アリエノール」


「何!」


「あの男の影響を受け、あなたの心は乱れている」


ルイは胸元の十字架へ手を添えた。


「だからこそ、ここから離れる必要があるのです」


「離れたいのはお前からだよ!!」


「あなたを、罪の深みから救うためです」


ルイは静かに十字を切った。


表情は真剣だった。

善意だった。

心の底から、自分が正しいことをしていると信じている。


それがものすごく”怖かった”。


「救出じゃなくて拉致だよ馬鹿野郎ぉぉぉぉ!!」


私は叫んだ。


「本人が救助要請出してないの!! 助けてって一言でも言った!?」


「大丈夫です、アリエノール」


ルイは本気で言った。


「私が、あなたをお救いします」


「救われる側が全力で拒否してんだよ!!!!」


駄目だ。

話が通じない。


悪意なら、まだ分かる。

自分の欲望のために私を連れていくと言われた方が、むしろ理解できる。


でも違う。


この男は本気で


妻を救うため。

婚姻を守るため。

神の前で正しい道へ戻すため。


”そう信じている”


愛情と信仰と嫉妬が、ぐちゃぐちゃに混ざっている。


それなのに。

本人だけが、それを「正義」だと思っている。


「王妃陛下」


騎士たちに両脇を取られた。


「離せ!」


当然、離さない。

そのまま馬車の方へ連れていかれる。


「ちょっと! 荷物!」


「後ほど運ばせます」


「帳簿!」


「必要なものは選別いたします」


「選別すんな!!」


私は馬車のステップへ押し上げられながら絶叫した。


「昨日まで徹夜で突き合わせた帳簿ぉぉぉぉ!! 

あれ数字合ったばっかりなの!! 誰が続きやるのよ!!」


「御者」


ルイが静かに命じた。


「出立を」


「人の話聞けぇぇぇぇぇ!!!!」


車輪が動き始める。

ガタゴトと重い音を立てながら、馬車は暗い街路を進んでいった。


夜のアンティオキア。

閉ざされた家々。

松明の明かり。

城門が、ゆっくりと近づいてくる。


「うそでしょ……」


私は窓枠へしがみついた。


本当に出る。

本当に私を連れていく。

まだ眠っている人間も多い時間に。

まるで夜逃げだ。


いや。

夜逃げなら本人の意思で逃げる。


これは違う。


「ふざけんなぁぁぁ!!」


城門を抜けた瞬間。


私は窓から身を乗り出した。

少し離れた場所を、ルイが馬で進んでいる。


その横顔は静かだった。


まるで。

危険な場所から妻を無事に連れ出せたことに、安堵しているかのように。


その顔を見た瞬間、また腹が立った。


「おいルイ!!」


ルイがこちらを見る。


「聞いてんのか!!」


返事はない。


「離婚理由、今ので五百個増えたからな!!!!」


夜道に、私の声が響いた。


「有休ゼロのブラック出張! 現場猫事故! 精神論の押し付け! 

パワハラ尋問! そして深夜の強制連行!!」


私は拳を振り上げた。


「役満だよ役満!! 教会法だろうが何だろうが、

絶対婚姻無効にしてやるから覚えてろぉぉぉぉぉ!!!!」


ルイは何も言わなかった。

ただほんの一瞬だけ苦しそうに目を伏せた。


私はそれを見ても、もう何も思わなかった。


怒鳴り疲れて。

泣く気にもなれなくて。

馬車の奥へ座り込み、乱れた髪をかき上げる。


「……もういい」


小さく呟いた。


話しても通じない。

説明しても疑われる。

拒否しても、意思そのものをなかったことにされる。


だったらもう話さなくていい。


馬車の車輪だけが、暗い道を一定の音で転がっていった。


この夜私の中で、何かが完全に切れた。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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