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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第50話:だから婚姻無効にできるんじゃないの!?

行き違いは一度起きると戻りませんよねぇ。

翌朝の宮殿は、前夜の口論の余熱を抱えたまま、妙に静まり返っていた。

私は別室で一晩寝て、少しは頭を冷やしたつもりだった。


つもりだったのだ。


朝一番に呼び出された広間で、ルイが開口一番こう言うまでは。


「我々は、エルサレムへ向けて出立します。準備を命じました」


「…………は?」


私は耳を疑った。


「また相談なし!?」


思わず机を叩く。


まただ。

またこのパターンだ。


「昨日の軍議、何のためにやったの!? 私は意見を聞かれたんじゃなくて、

あんたの決定事項を聞かされてただけ!? 

報連相の『相談』、本当に頭から消えてない!?」


「私はフランス王として、我が軍の進路を決めました」


ルイの声は静かだった。

静かすぎるくらいに。


「我らはエルサレムへ向かいます」


「だから、そこを相談しろって言ってるの!!」


「これ以上、決定を遅らせるつもりはありません」


その言い方。

その、もう決めたから従えと言わんばかりの態度。


前世で何年も現場を見てきた元会社員として、一番腹が立つやつだった。


「……あ、そう」


私は冷たく鼻を鳴らした。


「じゃあ、勝手に行けば?」


ルイの眉が、ほんの少し動いた。


「……何を言っているのですか」


「言葉通り」


私は腕を組んだ。


「私は行かない。ここに残る。アキテーヌの兵も残す。叔父上と一緒に北方の態勢を立て直す」


広間の空気が、目に見えないほど薄く凍った。


ルイはしばらく黙っていた。

その視線が、ゆっくりと私へ向く。


「……やはり、彼を選ぶのですね」


「だから選ぶとかじゃねえって言ってんだろが!!!!」


頭を抱えた。


なんで毎回こうなる。

私は戦略の話をしている。

ルイは夫婦の話をしている。

こちらが何を言っても、勝手に別の議題へ変換される。


「では、なぜ私と来ないのです」


「お前の作戦に納得してないからだよ!!」


「私はあなたの夫です」


「知ってるよ!!」


「ならば、共に来るべきです」


「それとこれとは別でしょうが!!」


もう完全に別の喧嘩だった。


私は、これ以上被害を広げないための判断について怒っている。

ルイは、自分と一緒に来ない妻について傷ついている。


同じ言葉を使っているはずなのに、意味だけがどんどん離れていく。


そして

とうとう、ルイが決定的な一言を口にした。


「……あなたは、私の妻です。夫と共にあるのが、神の定めた理です」


頭の中で、何かが切れた。


ぷつん、なんて可愛い音ではない。

太い綱が一気に引きちぎれたような感覚だった。


「妻だから何よ!?」


自分でも驚くほど大きな声が出た。


「私はアキテーヌの女公でもあるんだけど!!」


自分の人生を自分で決めたい。

誰かの付属物になりたくない。

ずっと胸の奥にあったものが、一気に噴き出した。


「夫だからって、私の判断まで全部決められると思わないで!」


「私は、そのような意味で」


「同じだよ!!」


私は一歩前へ出た。

そして、言ってしまった。


「だいたい、私たちって血族婚なんでしょ!?」


ルイの顔が止まる。


「教会法上、親族同士の婚姻なんじゃないの!? だったら――」


一瞬だけ。

本当に一瞬だけ、口を閉じる暇があった。

でも止まらなかった。


「婚姻無効にできるんじゃないの!?」


沈黙。


広間の空気が、完全に止まった。


言った。

言ってしまった。


現代の感覚で言えば、


『もう無理、離婚届持ってこい』


それくらいの勢いだった。

私自身、本当に今すぐ婚姻を終わらせる手続きを始めるつもりで口にしたわけではない。


ただ腹が立って。

縛られるのが嫌で。

言い返してやりたくて。


”その一言”を投げつけた。


「あ……」


さすがに少しだけ、言いすぎたかもしれないと思った。


けれど。

目の前のルイは、そんな生易しい反応をしていなかった。


顔から血の気が引いている。

目を見開いたまま、しばらく瞬きすらしない。


「……婚姻を」


かすれた声が出る。


「無効に……?」


その瞬間。

私の言葉と、ルイの中に積み重なっていた疑念が、最悪の形で結びついた。


レイモンの元に残る。

自分とは行かない。


そして。


”婚姻を終わらせたい”


ルイの中では、それらが全部ひとつの意味になってしまった。


「……そこまでして」


彼の声が震えた。


「彼の元に、残りたいのですか」


反省の芽が、一瞬で吹き飛んだ。


「だから叔父だっつってんだろうがぁぁぁぁぁ!!!!」


私は天井に向かって叫んだ。


「何回言わせんの!? 叔父! 親戚! ファミリー! 恋愛対象じゃない!!」


ルイは何も答えない。


「もういい!」


私は息を荒らげた。


「本当にもういい! あんたは勝手にエルサレムへ行きなさいよ! 私はここに残る!」


ルイは動かなかった。


怒鳴り返しもしない。

ただ、静かに私を見た。

その静けさが、逆に気味が悪かった。


「……分かりました」


「は?」


「あなたのお気持ちは、よく分かりました」


全然分かっていない。

宇宙の端と端くらい分かっていない。


けれど。

これ以上この会話を続けたら、私の方が先に倒れそうだった。


「ふんっ!」


鼻を鳴らし、私は広間を出た。


もう知らない。

勝手にしろ。


そう思っていた。


部屋へ戻ると、そのまま寝台へ倒れ込む。


「はー……疲れた」


天井を見上げる。


ようやく話が終わった。


これでルイたちはエルサレムへ。

私はアンティオキアに残って、軍を立て直す。


そう信じていた。


目を閉じる。

久しぶりに、何も考えず眠ろうと思った。


その頃

広間には、まだルイが残っていた。

誰もいなくなった扉を、長いこと見つめたまま。

やがて静かに、側近を呼んだ。


私はもちろんそのことを知らなかった。


”同じ会話をして”

”同じ言葉を交わして”


それでも。

私たちは、まったく正反対の結論を出していた。


※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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