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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第44話:ホウレンソウって知ってるか?

正直重たい内容になるのでどうにか軽く読めるように頑張ってみたけど雪森にはこの程度です_| ̄|○

カドモス山の奇襲から、命からがら逃げ延びた先。

岩だらけの荒れ地に急ごしらえされた野営地は、野戦病院というより、

ほとんど避難所のような有様になっていた。


煙と血の臭いが混ざり、あちこちからうめき声が聞こえる。折れた矢、放り出された荷物、

傷ついた馬、壊れた荷車。誰がどの部隊に属しているのかすら分からないほど、

人も物も入り乱れていた。


私は泥と埃にまみれた膝を叩きながら、集まってきた諸侯と伝令たちを睨みつけた。


「で、前方部隊はどこ?」


「……分かりません」


「後続は?」


「遅れております」


「どのくらい?」


「正確には……」


「食料は?」


「予定より大幅に減っています」


「敵の位置は?」


「不明です」


「…………」


頭の中で、ぷつん、と何かが切れた。


こめかみの血管がどくどくと脈打っている。

前世の世界に血圧計があったなら、針が右端を突き破っていたに違いない。


「お前ら……ホウレンソウって知ってるか?」


低い声で問いかけると、騎士と伝令たちが揃って首を傾げた。


「ほうれん……そう?」


「野菜でしょうか」


「違う!!!!」


荒野の真ん中に、私の怒声が響き渡った。


「報告! 連絡! 相談! 分かったことを伝える! 予定を変えたら知らせる! 

勝手に判断する前に確認する! それくらいしろって言ってんの!!」


「は、はあ……」


「『敵が見えませんでした』で終わるな! 『遅れてます』で済ませるな! 

先遣隊が予定を変えて先へ進んだなら、後ろへ伝えろ! 谷へ下りる前に相談しろ!!」


騎士たちは、困ったように顔を見合わせている。


駄目だ。

全然通じていない。

前世でなら、「情報共有が死んでる」で一言だった。


でもここにはメールもない。電話もない。チャットもない。GPSもない。

人が馬で走って伝えるしかない。


それでも…

だからこそ。


「伝える努力くらいしろぉぉぉぉ!!」


私は頭を抱えた。

異世界転生ものの主人公なら、ここで現代知識を駆使して軍制改革でも始めるのかもしれない。


でも、無理である。


私は未来人ではある。

未来の生活は知っている。

会社で働いた経験もある。


だから、「この現場は情報共有が死んでいる」とか、

「このまま進んだら補給が危ない」とか、その程度のことなら分かる。


だが。


「……公爵様」


家臣の一人が、おずおずと尋ねた。


「では、どのように補給を立て直しましょう」


私は固まった。


来た。

一番聞かれたくない質問。


「何日分の食料を、どこから調達し、どの経路で、何頭の荷駄に積んで運ぶべきでしょうか」


「…………」


知らん。


心の中で即答した。

知らん知らん知らん。


「私、物流の専門家じゃねえもん!!」


声に出た。

周囲がまた固まる。


「普通の会社員だっただけだっつーの!! 数万人の兵と馬が一日に何をどれだけ食うかなんて

計算したことないし、敵がうろついてる見知らぬ土地で補給路なんか組んだこともない!!」


私は未来人であって、未来の軍事兵站専門家ではない。

トラックの配車表も作ったことがない。

コンテナ船の手配もしたことがない。


ましてや山岳地帯で、何千何万という人間と馬を食わせながら、

敵に襲われない補給路を設計するなんて。


『できるわけがない!』


「転生チートとか内政無双とか、誰だよ考えたの!! 普通の会社員を中世へ放り込んだって、

いきなり物流革命なんか起こせるわけないでしょうが!!」


私はその場にしゃがみ込んだ。


問題点だけは見える。

でも、解決方法までは分からない。


この感覚が一番きつい。

しかも、腹まで減っている。


「それと」


私は顔を上げた。


「野菜」


「……はい?」


「ホウレンソウの話じゃなくても、野菜が足りない」


ここ数日、口にしているのは保存の利く肉や硬いパンが中心だった。


たまになら耐えられる。

でも、これが何週間も続いたら、栄養以前に私の口と胃が死ぬ。


「何でもいいから、もうちょっと新鮮なもの食べたい……」


本気で泣きそうになった、その時だった。

天幕の奥から、ルイが姿を現した。

泥と煤にまみれてはいるが、幸い大きな怪我はない。

その手には、小さな祈祷用の詩篇集が握られていた。


「……アリエノール」


「何」


「嘆くことはありません」


”今、その言葉を言うな”


嫌な予感がする。

ルイは傷ついた兵士たちを見回し、静かに言った。


「苦難の時こそ、信仰が試されるのです。主は必ず、我らをお導きくださいます」


「うん」


「荒野を彷徨ったイスラエルの民に、天よりマナを降らせ給うたように――」


「おい待て」


私はゆっくり立ち上がった。


ルイは続ける。


「我らにも、必要な糧を――」


「ルイ?」


「はい、アリエノール」


私は一度、大きく息を吸った。


「主に発注書切るな!!!!」


周囲がびくっと震えた。


「納期未定の神頼みで現場を回すな!! 祈りはいい! 祈るなとは言わない!

 でも祈ったあとに食料探せ! 補給路考えろ! 

パンは天から自動配送(アマゾンプライム)されねえの!!」


「しかし、主は――」


「届くのは敵の矢だけだよ馬鹿野郎ぉぉぉぉ!!」


荒野に、再び私の絶叫が響き渡った。


ルイはしばらく黙っていた。

それから、少しだけしょんぼりした顔で詩篇集を閉じた。


「……では、祈ったあとに食料を探しましょう」


「最初からそうしろ!!」


私は頭を抱えた。


情報共有は死んでいる。

補給も危ない。

敵の位置も分からない。


しかも、トップは信仰心で現場を回そうとする。


問題点だけは、嫌というほど見える。

改善案は、全部分かるわけじゃない。

それなのに責任だけは、とんでもなく重い。


私は乾いた空を見上げた。


「こんな地獄のプロジェクト、前世でも見たことねえよ……」


小アジアの風だけが、何事もなかったように荒野を吹き抜けていった。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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