第43話:ヨシ!じゃねえんだよ!!
ヨシ!!
コンスタンティノープルの快適な文明生活は、ボスポラス海峡を渡った瞬間に消滅した。
小アジア。
現在でいうトルコ内陸部。
乾いた土地。険しい山道。照りつける日差し。舞い上がる土埃。
そして、どこに潜んでいるのか分からない敵。
コンスタンティノープルでは「文明すげえ!」と浮かれていた私も、
数日も進めばそんな気分は綺麗に吹き飛んでいた。
「……ねえ、ちょっと待って」
険しいカドモス山の山道へ差しかかったところで、私は馬を止め、周囲を見回した。
何かがおかしい。
いや、かなりおかしい。
「先遣隊と、本隊の距離……離れすぎてない?」
前を行く一団を率いているのは、アキテーヌの家臣ジョフロワ・ド・ランコンたちだった。
本来なら、決められた場所で野営し、後続の本隊が追いつくのを待つ予定だったはずだ。
ところが。
どうやら彼らは、予定されていた地点を越えて、さらに先へ進んでしまったらしい。
理由を聞けば、
「先の方が野営に向いていると思われたようです」
とのこと。
いや、待て。
現場判断は分かる。
分かるけど。
「その変更、後ろに伝えた?」
「…………」
誰も答えない。
嫌な沈黙。
私は馬上で額を押さえた。
後方にはルイの本隊。
騎士だけではない。
歩兵。従者。巡礼者。
大量の荷駄。
馬。荷車。
それらが細い山道を延々と進んでいる。
当然、速度は遅い。
一方の先遣隊は、身軽な騎兵を中心にどんどん先へ進む。
結果
軍勢は、見事なまでに間延びしていた。
「これさ」
私は乾いた声を出した。
「敵から見たら『どうぞ真ん中から切ってください』って言ってるようなもんじゃない?」
近くにいた騎士が、苦笑する。
「まあ、公爵様。敵の姿は見えておりませんし」
「見えてないからいない、ではないでしょうが」
「先遣隊が先を確保してくれております」
「連絡取れてる?」
「…………」
また沈黙。
「取れてないんじゃん!」
別の騎士が慌てて口を挟んだ。
「ですが一本道です! 迷うことはありますまい!」
「一本道だから安全って理屈どこから出てきたの!?」
私は周囲を見回した。
険しい斜面。
岩陰。
見通しの悪い曲がり道。
細い道に押し込められた大量の人馬。
もし上から矢でも降ってきたら。
もし前後を塞がれたら。
考えれば考えるほど、嫌な未来しか見えない。
なのに。
「まあ、先遣隊も進んでおりますし」
「大丈夫でしょう」
「進軍、ヨシ!」
指差し確認すな。
「誰だ今ヨシ!って言ったの!!!!」
私の怒声が、山に響いた。
「全然ヨシじゃねえだろ!! 安全確認ゼロ! 情報共有ゼロ!
予定変更の連絡もゼロ! 現場猫案件かよ!!」
周囲の騎士たちが、ぽかんとする。
「げんば……?」
「知らなくていい!!」
前世でもいた。
「たぶん大丈夫」
「今まで事故なかったし」
「時間ないから先にやっちゃおう」
そうやって点検を飛ばし、確認を後回しにして、問題が起きてから全員で青ざめるやつ。
前世なら始末書。
最悪でも減給や処分。
でも、ここは戦場だ。
失敗したら、首が飛ぶ。
比喩ではなく、物理的に。
「一回止まろう! 後ろと合流してから進もう!」
私が叫んだ、その直後だった。
”ヒュンッ”
乾いた音がした。
「……え?」
次の瞬間。
ヒュン、ヒュンヒュンヒュンッ!
空から無数の黒い影が降ってきた。
「矢だ!!」
誰かが叫ぶ。
「敵襲!! 伏兵だ!!」
「ほら見ろぉぉぉぉぉ!!!!」
私は反射的に馬の首へ身体を伏せた。
斜面の上。
岩陰。
木々の間。
いつの間に潜んでいたのか、セルジューク側の兵が次々と姿を現し、こちらへ矢を浴びせてくる。
細い道に長く伸びきった隊列は、一瞬で混乱した。
馬が暴れる。
荷車が止まる。
後ろから押される。
前へ進めない。
誰かが転ぶ。
その上へ別の人間が倒れる。
「押すな! 止まれ!」
「前が詰まっている!」
「敵はどこだ!」
「矢だ! 伏せろ!」
怒号と悲鳴が重なる。
崖際では、足場を失った人間や馬が次々と滑り落ちていった。
「ヨシじゃねえんだよ!! 全然アカンやつだったじゃん!!」
私は馬を立て直しながら絶叫した。
「だから言ったでしょうが!! 誰が責任者!? 始末書じゃ済まないからね!?
こっちは打ち首どころか今その場で死ぬの!!」
もちろん、そんなことを言っている場合ではない。
目の前で人が倒れている。
矢は止まらない。
退こうにも、後ろは人と荷物で詰まっている。
進もうにも、前方の先遣隊はすでに遠い。
完全に”最悪の状態”だった。
その時
後方から、よく通る声が響いた。
「うろたえるな!」
振り返ると、ルイだった。
剣を抜き、護衛と共に前へ出てくる。
「隊列を崩すな! 騎士は歩兵を守れ! 神は我らと共にある!」
「祈る前にまず隊列整えろぉぉぉぉ!!」
私は即座に怒鳴り返した。
「精神論で矢は防げないの!!」
ところが。
文句を言い終わる前に、ルイは本当に前へ出た。
飛んでくる矢を避けながら、混乱した兵をまとめ、崩れかけた一団へ自分で突っ込んでいく。
「……そこは行くんかい!」
思わず叫んだ。
普段は石像。
会話は苦手。
政治で思い込むと暴走。
軍全体のマネジメントも、正直かなり不安。
なのに。
現場で危険が迫ると、本人だけは妙に腹が据わっている。
「その根性、計画段階で使え!!」
もちろん届かない。
届いていても、たぶん意味はない。
私はもう一度馬を前へ向けた。
結局、
誰かが動かなければならない。
目の前の人間を助けなければならない。
歴史の教科書なら、きっと後からそれらしい名前をつけるのだろう。
何とか山の戦い。
十字軍の敗北。
大損害。
そんな感じで。
でもその場にいた私からすれば
これはもうただの、
「確認不足と情報共有不足が引き起こした、最悪の現場猫案件じゃねえかぁぁぁぁ!!!!」
私の絶叫だけが、矢の飛び交う山中にむなしく響いていた。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




