第36話:妹の不倫が国家案件になった
ここからどんどんやばくなります(`・ω・´)
8点ちゃんはずっとキレまくります(`・ω・´)
世の中には、絶対に承認印を押してはいけない書類というものが存在する。
「通ったの!?!?!?」
シテ島の私室で、私は届けられた羊皮紙を二度見した。
三度見した。
ついでに裏返した。
もちろん、何も変わらない。
「そこ、通しちゃダメな申請じゃないの!?
コンプラ! 中世のコンプライアンスどうなってんの!?」
私の絶叫も虚しく、羊皮紙には厳かな署名と封蝋が並んでいた。
ラウル・ド・ヴェルマンドワ伯と、その妻との婚姻について、
血縁関係を理由に無効が認められたらしい。
つまり。
前の結婚は有効ではありませんでした。
だからラウル伯は独身です。
よって、我が妹ペトロニーユと結婚しても問題ありません。
おめでとうございます。
――という理屈である。
「なるかボケェェェェ!!!!」
私は羊皮紙を机へ叩きつけた。
「今まで何年夫婦やってたと思ってんの!?
今さら『よく調べたら親戚でした』で全部なかったことにするの!? 誰よこれ認めた人!」
「姉上、司教様方が認めてくださったのです!」
横ではペトロニーユが、幸せいっぱいの顔をしている。
「ラウル様がきちんとお話ししてくださって、三人もの司教様が認めてくださったのですよ!」
三人。
三人も。
私は額を押さえた。
数が増えれば安心というものではない。
むしろ、この手の案件で三人揃って同じ方向を向いている方が怖い。
そしてさらに怖いのが。
「よかったな、アリエノール」
部屋の隅から聞こえてきた声だった。
振り返る。
ルイがいる。
とても穏やかな顔をしている。
慈愛。
善意。
達成感。
一片の曇りもない。
「これで妹君も泣かずに済む。そなたがずっと心配していたから、私も安心した」
(怖い怖い怖い)
私は思わず椅子ごと少し後ろへ下がった。
こいつ。
普段は目が合っただけで耳まで赤くして、
会話が途切れれば「今日は風がありますね」みたいなことしか言えないくせに。
なぜか、
『妻のため』
というスイッチが入った瞬間だけ、とんでもなく行動が早い。
頼む。
その積極性を、日常会話とか夫婦の距離を縮める方向に使ってくれ。
「ルイ。確認するけど」
「はい」
「私、これ喜んでないからね?」
ルイがわずかに首を傾げた。
「しかし、妹君は幸せそうだ」
「そこだけ見んな!」
私は机を叩いた。
「相手の奥さんはどうなるの!? しかも、よりによってシャンパーニュ伯の身内でしょうが!
『妹に旦那取られました』『そうですか残念でしたね』で終わる家じゃないでしょ!」
ルイの表情が少し硬くなる。
「シャンパーニュ伯が異を唱えようとも、この婚姻は司教たちによって認められた」
「そういう問題じゃない!」
「アリエノール」
ルイは私をなだめるように、静かな声を出した。
「案ずることはない。何かあれば、私が対処する」
(それが一番怖いんだよ!!)
かつてなら。
夫が「私が何とかする」と言ってくれれば、頼もしいと思ったかもしれない。
今は違う。
この男の「何とかする」は、どこまで行くか分からない。
嫌な予感しかしなかった。
そしてその予感は、思ったより早く現実になった。
しばらく後。
王宮へ、教会側からの知らせが届いた。
ラウルの以前の婚姻を無効とした判断に、異議が出たという。
話は地方の司教同士で収まらなかった。
さらに上へ。
さらに上へ。
最終的には、ローマまで届いた。
「……ローマ?」
私は嫌な顔をした。
「ローマって、あのローマ?」
誰も答えない。
いや。
答えなくていい。
知っている。
そしてほどなくして届いた知らせを聞き、私は椅子からずり落ちそうになった。
ラウルとペトロニーユの婚姻は認められない。
婚姻無効の判断に関わった聖職者たちにも処分が下される。
そして。
ラウルとペトロニーユには、破門。
「…………は?」
聞き間違いかと思った。
「破門?」
もう一度聞いた。
やっぱり破門だった。
中世カトリック世界において、教会共同体から切り離される、とんでもなく重い宗教的制裁。
私の頭の中で雑に翻訳すると、
『お前ら神様の会員資格剥奪な』
である。
「待って待って待って」
私は両手で頭を抱えた。
「妹が既婚者とくっついただけだよね?」
いや。
『だけ』ではない。
分かっている。
不倫だ。
婚姻問題だ。
教会法だ。
有力諸侯の家同士の話だ。
でも。
「なんでローマ教皇まで出てくるの!?」
恋愛相談だったはずの案件が
気づけば伯爵家を巻き込み。
司教を巻き込み。
ローマまで飛んだ。
前世の会社なら、せいぜい上司に怒られ、部長へ上がり、最悪でも本社案件くらいだ。
これは違う。
”エスカレーション先が神”である。
「クレームの飛び火がグローバルすぎる!!」
私は半泣きで叫んだ。
その時ふと横を見る。
ルイが、届いた知らせを手にしたまま立ち尽くしていた。
顔色が悪い。
当然だ。
こいつは信心深い。
教皇の判断なんて、私とは比較にならないほど重く受け止めるはずだ。
よし。
今度こそ…
今度こそ止まる。
私は少しだけ安心した。
これでルイも、
『さすがにまずかった』
と気づくだろう。
ペトロニーユにも考え直させて。
ラウルにも引いてもらって。
教会にも頭を下げて。
なんとか穏便に――。
「……ティボー伯か」
ルイが呟いた。
「え?」
声が低い。
さっきまで青ざめていた顔から、怯えが消えていた。
代わりに現れたのは
見覚えがある。
あの、”妙に頑固な顔”だ。
「教皇庁へ働きかけたのは、あの者だろう」
「ちょっと待って」
何か嫌な単語が混ざった。
「ティボー伯とは、以前から意見が対立していた」
「以前から?」
私は瞬きをした。
「何それ」
「ブールジュの件でも――」
「知らん知らん知らん!」
私は両手を振った。
「今それ初耳!」
待って。
妹の不倫だけじゃないの?
何?
別件あるの?
しかも国王とシャンパーニュ伯の間ですでに揉めてるの?
私の中で、今まで別々だった線が、嫌な形で一本につながり始めた。
妹の婚姻問題。
教会。
シャンパーニュ伯。
王と有力諸侯の対立。
そして。
私の隣で、だんだん顔を険しくしていく夫。
(待て)
ものすごく嫌な予感がする。
こいつ今。
別々のクレーム案件を、一つの巨大プロジェクトに統合しようとしてない?
「ルイ」
「はい」
「一応言っておくけど」
私は夫の袖を掴んだ。
「軍隊とか出さないよね?」
ルイは答えなかった。
「…………」
「ルイ?」
沈黙。
「おい」
遠くで、何かとんでもないものが転がり始めた気がした。
私は天井を仰ぐ。
「待って。これ、妹の不倫の話だよね?」
返事はない。
「なんで国王と教皇とシャンパーニュ伯が、同じ案件に入ってきてんの!?!?」
世界史八点の私には、
この時点でもまだ。
この先、どこまで話が大きくなるのか”まったく分かっていなかった”。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




