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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第33話:おフランスの芸術どこ行った

よかった・・のか?

回廊での妹防衛戦から、数週間。

私は、シテ島の王宮のあまりの陰気さに耐えかねて、ついに実力行使に出ていた。


別に、フランス宮廷をアキテーヌ化して乗っ取ろうなんて、大層な野望があるわけじゃない。


ただ。

毎日毎日、灰色の石壁に囲まれて、厳かな聖歌と食器の触れ合う音だけを聞きながら

夕食をとる生活なんて、元アラサーOLのメンタルが先に死ぬ。


音楽くらいあったってバチは当たらないでしょ。

詩人を呼んで何が悪い。

宴なんだから、もう少しくらい笑って酒を飲んでもいいじゃない。

服だって、茶色だの灰色だの地味な色ばっかりじゃなくて、もっとこう、あるでしょ。

華やかさとか。

色気とか。

おフランス感とか。


「っていうか、ここフランスじゃん!? おフランスでしょ!? 

そのうち世界中から芸術とおしゃれの国とか言われる場所でしょ!? こんな暗くてどうすんのよ!」


もちろん、そんな未来を知っているのは私だけなので、誰にも言えない。


仕方なく私は、南から連れてきた詩人に楽器を奏でさせ、色鮮やかな布やクッションを並べ、

少しばかり香を焚き、若い騎士たちや侍女たちと詩の解釈についてあれこれ話していた。


恋の歌。

叶わぬ思い。

相手を敬いながら、それでもどうしようもなく惹かれてしまう心。


祖父の周りには、昔からこういう歌が溢れていた。


だから私にとっては、それほど特別なものでもない。

アキテーヌでは、笑って、歌って、恋を語ることは、生活の一部だった。


――その時である。

部屋の空気が、すうっと冷えた。

嫌な予感がして振り返る。


そこには。


「……王妃。ここをポワティエの宮廷にするおつもりですか」


出た。

アデル王太后様である。


その背後には数人の侍女。

そして眉間には、海溝でも掘れそうなほど深い皺。


王太后は部屋の中をゆっくりと見回した。


詩人。

楽器。

若い騎士たち。

鮮やかな布。

そして最後に、私のドレスへ視線が止まる。

今日は青緑の布地に金糸を合わせた、こちらでは少々目立つ装いである。


「ここはアキテーヌではありません」


「存じております」


(知っとるわ!! 来てからずっと寒いし!!)


その一言は大人の理性で飲み込んだ。


「ここはフランス王家の宮廷です。王妃ともあろう方が、世俗の歌に興じ、

若い騎士たちを集めて笑いさざめくなど、あまりに軽率ではありませんか」


(はい、始まったー)


私は手にしていた杯を置いた。


「王太后様。美しい詩や音楽を楽しむことと、

信仰をないがしろにすることは別の話ではありませんか?」


「問題は節度です」


「節度なら守っています」


「あなたの節度と、この宮廷の節度が同じとは限りません」


うわ。出たよ。ローカルルール。


いや、分かる。

分かるけど。

それを全部こっちに合わせろと言われると腹が立つ。


「ですが、宴の席まで祈祷所のように静かである必要はないでしょう?」


アデル王太后の眉間の皺が、さらに深くなった。


「そのような南の浮ついた気風を持ち込めば、いずれ宮廷の規律そのものが緩みます」


「浮ついているとは心外ですわ」


「では何と呼べば?」


「文化です」


「……文化」


王太后の声が一段低くなった。


まずい。

お局様の怒気ゲージがかなり溜まっている。


私は内心で身構えた。

するとアデル王太后は、ふいに私から視線を外した。

そして部屋の隅。

長椅子に座って、存在感を消すことに全力を尽くしていた若き国王へと顔を向ける。


「陛下も、そうお思いでしょう?」


来た。

社長への直訴。


「王宮の主として、このような振る舞いをどうお考えなのです」


私は横目でルイを見る。

背筋はぴんと伸びている。


両手は膝の上。

視線は床。

完璧だ。


(……石像モード入ったな)


お前、さっきまで普通に聞いてたよね?

詩人が恋の歌がどうとかいう詩を朗読してる時、耳まで赤くしてたよね?


また母親の前で何も言えなくなるのか。


少しだけ期待しつつ、半分は諦めて待つ。


沈黙が落ちた。


数秒。

長い。


アデル王太后の視線が鋭くなる。


私は無意識に眉を寄せた。


その時。


「…………私は」


ルイが、ようやく口を開いた。


(喋った)


「……音楽は、嫌いではありません」


(そこから!?)


思わず肩がずれそうになる。

アデル王太后も、一瞬だけ目を見開いた。


ルイはごくりと喉を鳴らした。

それから母親の顔を見て、

次に、ほんの一瞬だけ私を見る。


正確には。

私の胸元の飾りあたりを見る。

相変わらず目は合わない。


「夜に音楽が聞こえるのは……私は、嫌ではありません」


「ルイ」


「それに」


王太后に呼ばれても、今度は止まらなかった。


「アリエノールが、楽しそうなので」


「…………」


「私は、それでよいと思います」


静寂。


部屋中の人間が、綺麗に黙った。


アデル王太后も

私も

騎士たちも

詩人も

たぶん今、みんな同じことを思っている。


(判断基準、そこなのか?!)


王家の伝統

宮廷の秩序

信仰

政治的な体面

そういう話を全部すっ飛ばして。


”嫁が楽しそうだからそれでいい”


そう言った。言い切った。


アデル王太后は、しばらく息子を見つめていた。

それから、ゆっくりと私へ視線を移す。


その顔に浮かんだものが、怒りなのか、呆れなのか、疲れなのか。

たぶん全部だった。


先日のペトロニーユの件でもそうだった。


今回もそう。


この息子

私が関わると、普段なら飲み込む言葉を妙に頑張って口にする。


母親には、その理由がもう分かっているのだろう。


政治でも何でもない。


ただ単純に。


嫁に嫌われたくない。

嫁が悲しむのが嫌だ。

嫁が笑っている方がいい。


それだけだ。


(あー……)


私はなんとなく察した。


これ、

母親からしたら結構くるやつだ。


アデル王太后は小さく息を吐いた。


「……陛下が、そうお考えなのであれば」


声に、先ほどまでの鋭さはなかった。


「私からこれ以上申し上げることはありません」


そして私へ向き直る。


「ですが、王妃」


「はい」


「自由と無軌道は、同じものではありません。そのことだけは、お忘れなきよう」


「……心得ておきます」


これは、

たぶん王太后なりの、最後の釘だった。


アデル様はしばらく私を見つめたあと、ほんの少しだけ目を細める。


「……もう、好きになさい」


ぽつり。

そう言い残して、踵を返した。


取り巻きの侍女たちを連れ、ゆっくりと部屋を出ていく。


威厳を失ったわけではない。

負けたと認めたわけでもない。


ただ。


”これ以上、息子と嫁の間へ自分が入り込んでも、思うようにはならない”


そう判断したように見えた。


扉が閉まる。

私はしばらくその方向を見つめた。


それから。


(……勝った^^)


心の中で、そっと拳を握る。


これでいい。

別に宮廷を好き勝手にするつもりはない。

ただ、自分が息をできる場所くらいは作りたい。


アキテーヌの酒を少し取り寄せて

好きな歌を聞いて

詩人を呼んで

笑って

それくらい許されたっていいだろう。


ふと横を見る。


ルイが、盛大に息を吐いていた。

緊張から解放されたらしい。


そして私が笑っていることに気づくと、ほんの少しだけ口元を緩める。


誇らしげなような。

照れているような。

妙に嬉しそうな顔。


「……ありがとう」


私が言う。


ルイの肩が、ぴくっと動いた。


「い、いえ」


目は合わない。


やっぱり合わない。


でも。


……うん。


このヘタレ美少年。


最初は、とにかく扱いづらい男だと思っていたけれど。


案外悪くないのかもしれない。


――なお。

この時の私は、当然ながら知らなかった。


祖父の代からアキテーヌに根づいていた詩や音楽を、

ただ「こちらでも聞きたい」という理由で持ち込んでいただけだった。


それがこの先も私の人生にまとわりつき、後世の人間から何やらそれらしい意味をつけて

語られることになるなんて、知る由もない。


そして。

もっと重要なことも、知らなかった。


この時、私が「案外いい旦那じゃん」と気楽に笑っていた少年王が。


私が悲しんだ時。

怒った時。

想像以上に、とんでもない方向へ走る男だったということを。


世界史八点の私は、まだ知らない。


本当に

何一つ知る由もなかった。


※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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