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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第32話:石像が動いた日

ヘタレだけど言うときはいうやつ?

冷戦の第二ラウンドは、シテ島の冷え切った回廊で始まった。


先日の「マナー問題」をビジネスマイルで受け流されたアデル王太后は、

どうやら作戦を変えてきたらしい。


今度は、王妃の「外堀」を埋めにかかってきた。


「王妃となった以上、いつまでも南から連れてきた者ばかりを側に侍らせるのは感心しませんね」


王太后は、私の後ろに控えていたペトロニーユとアキテーヌの侍女たちへ、静かな視線を向けた。


「ここはフランスの宮廷です。王妃の身の回りは、北の由緒ある家柄の、

敬虔で慎み深い者たちで固めるべきでしょう。その方が宮廷の秩序も保たれます」


(……はい、出ました人事権への介入)


私の眉が、ぴくりと跳ねた。

作法を教わるくらいなら、大人の対応で「はいはい」と受け流せる。


だが、連れてきた身内や家臣を遠ざけて、

周囲を全部こちらの宮廷の人間で固めようというなら話は別だ。


前世の会社でもいた。

「組織のため」と言いながら、自分の息のかかった人間だけで周りを固めようとするやつ。

時代が変わっても、やることは案外変わらないらしい。


「なるほど」


私は笑顔の温度を五度ほど下げた。


「作法のご指導はありがたく頂戴いたしますが、私の私室の人員まで

王太后様がお決めになるおつもりですか?」


「秩序のためです。南の気風をいつまでも引きずっていては、王妃としての威厳が保てません」


「私の妹も、ですか?」


私が低く問い返すと、アデル王太后は当然のように頷いた。


「ペトロニーユ殿についても、いずれは相応しき修道院へお入りいただくか、北の良き家へ――」


ペトロニーユの身体が強張った。

私のドレスの裾を、ぎゅっと掴む。


"ふざけんなよババア"


喉まで出かかった言葉を飲み込み、論理武装で殴り返すために息を吸い込んだ、その時だった。


「母上。それは、必要ありません」


澄んだ、けれど驚くほどはっきりした声が、石造りの回廊に響いた。

私とアデル王太后の視線が、同時に跳ねる。


声の主は、いつものように私の斜め後ろで借りてきた猫のように大人しくしていた、

若き国王ルイだった。


(……お?)


思わず目を丸くする。

前回、両方の顔色を窺っておろおろしていた中間管理職ボーイが、珍しく即答で母親の言葉を遮った。


アデル王太后も、一瞬だけ目を見開いた。


「……ルイ。これは王家のために必要な――」


「アリエノールは、遠い故郷を離れてここへ来たばかりです」


ルイは母を見た。

普段の頼りなげな揺らぎはなく、そこには妙に頑固そうな意志があった。


「ただでさえ不慣れな北の地で、妹君や親しき者たちまで遠ざけてしまっては、

心が休まる時がありません」


「ですが――」


「王妃の側に誰を置くかは、アリエノールの望むようにさせてください」


回廊に、しん、と静寂が落ちた。


アデル王太后は、しばらく息子の顔を見つめていた。

それから、ゆっくりと私へ視線を移す。


……あ。


これ。

母親には分かったんだ。

今のルイが、政治的な配慮や宮廷の力関係で口を挟んだわけではないこと。


ただ単純に、


"妻を孤立させたくない"


それだけで、実の母親に逆らったのだということが。


(ああ……これ、たぶん結構ショックなやつだ)


手塩にかけて育てた信心深い息子が、南から来たばかりの嫁の盾になっている。

母親としては、なかなか複雑だろう。


「……王がそう仰るのであれば、承知しました」


アデル王太后はそれだけ告げると、静かに踵を返した。


負けを認めたというより。


『いったん引いた』


そんな感じだった。


たぶん、これで終わりではない。


回廊には、私と、目を白黒させているペトロニーユと、ルイだけが残された。


「……あの」


母の姿が見えなくなった途端、ルイの肩ががくんと落ちた。


さっきまでの凛々しさはどこへやら。

いつもの、目を合わせられない挙動不審な少年に逆戻りである。

耳の先まで真っ赤にして、私の足元の敷石を熱心に見つめていた。


「差し出がましいことを、したでしょうか……」


消え入りそうな声。


(……お前さあ)


私は腕を組み、まじまじとその横顔を見る。

普段はまともに目も合わせられないくせに。

私が孤立しそうになった瞬間だけ、母親に真正面から逆らうのか。


「……別に。助かったわ」


私がそう言うと、ルイはぱっと顔を上げた。


ほんの一瞬だけ、視線が合う。

その顔が、びっくりするくらい嬉しそうに緩んだ。

そして次の瞬間には、また慌てて目を逸らした。


(……なんだこいつ)


分かりやすすぎる。


「ジュテーム」も「モナムール」も、一言も言わない。


まともに目も見ない。


会話も続かない。


でも。

もしかして、こいつ。

私が思っていたより、ずっと私のこと好きなのでは?


※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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