第3話:みんなギョームで城が要塞
世界史の人命に泣いた人は多いはず・・・多分・・
熱が下がって、数日が過ぎた。
この数日間、私の二歳児ボディーは、寝台の上で療養という名の強制休養を食らっていた。
暇である。
スマホはない。
テレビはない。
本を読もうにも、そもそも文字が読めない。
仕方がないので、私はひたすら周囲を観察した。
侍女たちの世間話から聞こえてくるのは、
「アキテーヌ公」
「ポワティエ」
「ボルドー」
「ギョーム様」
みたいな、知らない単語ばかり。
情報は増えている。
だが、意味はまったく分からない。
そして、それ以上に気になったのが、この世界の生活だった。
まず、食事。
肉。
パン。
煮込み。
豆。
チーズ。
思っていたより普通だ。
普通なのだが、味付けが現代の私には微妙に合わない。
妙に塩気が強かったり、知らない香草がこれでもかと入っていたりする。
二歳児の舌にはなかなか攻撃力が高い。
寝具も、現代日本のふかふか羽毛布団とは比べものにならない。
羊毛や布を重ねた寝床はそれなりに暖かいけれど、肌触りはゴワゴワしている。
そして、時々。
何か小さいものが動いた気がする。
”気のせいだ”
そういうことにした。
確認したら負けだ。
身体もちゃんと洗ってもらえる。
ただし、当然ながら蛇口をひねればお湯が出るわけではない。
湯を沸かす。
運ぶ。
桶やたらいに入れる。
全部、人力。
風呂一回のために、何人働くんだよ。
トイレも当然、水洗ではない。
便器や壺のようなものを使い、あとで人が片づける。
私は心の中で、遠い未来のTOTOに向かって五体投地した。
温水洗浄便座。
あなたは偉大です。
そして服。
これも想像と全然違った。
私の知っている「中世ヨーロッパのお姫様」といえば、胸元をコルセットでギュッと締め、
巨大なスカートをドカンと広げた姿である。
でも、ここにはそんなものはない。
下に薄い長衣を着て、その上からまた長い衣を重ね、腰を帯で留める。
少なくとも、私が知っている「お姫様ドレス」とは別物だ。
男も長い服を着ている。
最初に見た時は、
(全員ロングワンピースじゃん)
と思った。
たぶん言ったら怒られる。
要するに。
私がぼんやり想像していた「中世ヨーロッパ」と、何もかも違う。
というか。
私が知っていた中世ヨーロッパって、たぶん中世じゃなかったんじゃないか?
そんな疑惑まで出てきた。
そして数日後。
寝たきり生活に限界を迎えた私は、見舞いにやってきた例の濃すぎる祖父に頼んだ。
「おそと」
「ん?」
「おそと、いく」
「おお!」
祖父は、ぱっと顔を輝かせた。
「アリエノールよ! ついに我がアキテーヌを見たいと思ったか!」
いや、単に部屋に飽きただけです。
だが訂正する前に、私はひょいと抱き上げられた。
「行くぞ!」
「ひゃっ!」
そのまま連れ出される。
相変わらず行動が早い。
そして。
外へ出た私は、しばらく黙った。
「……おっきい」
城。
いや。
これ、城なのか?
私が想像していたのは、白い壁と尖った塔が並ぶ、いわゆる「お姫様の城」だった。
だが目の前にあるのは、もっと無骨だ。
分厚い石の壁。
大きな門。
塔。
城壁。
装飾よりも先に、
「攻められた時にどう守るか」
を考えて造ったのが、二十八歳の素人にも分かる。
ただし、単なる砦でもない。
中には人が住み、物を運び、役人らしき人間が行き交い、兵士もいる。
豪邸と役所と要塞を全部くっつけたみたいな場所だった。
「どうだ!」
祖父が胸を張る。
「これがポワティエよ!」
街へ目を向ければ、人、人、人。
商人らしい男。
荷車。
家畜。
職人。
子供。
僧侶らしき人。
道は舗装されている場所もあれば、土のままの場所もある。
当然、現代日本ほど綺麗じゃない。
臭いもする。
埃も舞う。
でも。
想像していたほど「何もない」わけでもなかった。
ちゃんと街だ。
ちゃんと人が暮らしている。
「どうだ、アリエノール!」
祖父は私を抱いたまま、大げさなくらい腕を広げた。
「豊かな土地であろう!」
ご機嫌である。
私はその腕の中から、街を眺めた。
そしてこの数日で集まった情報を、改めて頭の中に並べた。
まず。
乙女ゲームではない。
たぶん。
攻略対象のイケメン王子は出てこない。
代わりに出てくるのは、髭面のおっさんと、働く民衆と、やたら元気な祖父だ。
次。
私は「アキテーヌ公女」らしい。
つまり、お姫様っぽいポジション。
たぶん。
そして。
父親の名前はギョーム。
祖父の名前もギョーム。
……は?
なんで両方ギョームなんだよ。
ややこしいわ。
家族の中で、
「ギョーム!」
って呼んだら、二人とも振り返るじゃん。
ネーミングの在庫切れか?
さらに、ここはポワティエ。
アキテーヌ。
ボルドーという場所も、どうやら関係がある。
そして「フランス」と言っても、私の思っている意味では通じない。
試しに侍女へ、
「ふらんす?」
と聞いた時も、
「フランクの王の領地のことでございますか?」
みたいなことを言われた。
え。
ここフランスじゃないの?
じゃあどこ?
いや、そもそも。
フランスって、いつからフランスなの?
知らん。
世界史八点だから。
そして最後。
年代が分からない。
これが一番困る。
「いま、なんねん?」
と聞いても、私の知っている西暦で返ってくる保証がない。
下手したら、
「○○王の治世何年」
とか、
「何とかいう聖人の祝日の何日前」
とか言われる可能性がある。
それを聞いたところで、知らん。
本当に知らん。
私は祖父の腕の中で、遠くを見た。
風が吹いている。
知らない街。
知らない言葉。
知らない時代。
でも。
ここにいる人たちは、普通に笑って、働いて、暮らしている。
ゲームの背景じゃない。
モブでもない。
たぶん”本物”だ。
「……わかった」
「ん?」
祖父が私を見る。
私は小さく呟いた。
「ここ、げーむじゃない」
「げえむ?」
「なんでもない」
とりあえず一つだけ分かった。
ここは異世界じゃない。
たぶん。
そして私は、
たぶんとんでもなく大昔にいる。
世界史八点。
元理系OL。
二十八歳。
現在、二歳。
前途多難にもほどがあった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




