第29話:妹も来るんかい
いざフランスへ
結婚した。
一週間もしないうちに王妃になった。
そして今度は、住み慣れたアキテーヌを離れて、まずはポワティエへ。
その後はさらに北へ向かうらしい。
……いや、人生のイベント詰め込みすぎでは??
タイムセールでカートに放り込みすぎた買い物客でも、もうちょっとペース配分を考えるぞ。
ボルドーの城門前には、大量の荷馬車と護衛の騎士たちがずらりと並んでいた。
その騒がしい隊列の少し先。
見慣れた小柄な人影が、やたらと楽しげに馬の手綱を握って待機している。
「姉上! 遅い!」
「……ペトロニーユ?」
私は目を丸くした。
「あんた、なんで旅装してんの」
「なぜって、一緒に行くからに決まってるじゃないですか」
「妹も来るんかい!!」
思わず叫んだ私に、ペトロニーユは「当たり前でしょ」と不敵な笑みを浮かべた。
姉がフランス王妃になった以上、妹である自分もその宮廷へ同行する。
本人にしてみれば、それだけの話らしい。
知らん土地。
知らん王宮。
知らん人間だらけの場所へ、たった一人で放り込まれるものだと思っていた
元アラサーメンタルとしては。
(よ、よかった……! 身内が一人いるだけで、生存確率が五倍くらい跳ね上がる……!)
と、心底ホッとしたのも事実だった。
けれど。
いざ馬に跨がり、ゆっくりと隊列が動き始める。
見慣れた城壁。
ボルドーの町並み。
葡萄畑。
その全部が、少しずつ後ろへ流れていく。
その瞬間。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
どこまでも広がる、青く高い空。
太陽の光を浴びて緑に輝く葡萄畑。
大西洋から吹き抜けてくる、あの甘くて自由な風。
沿道で手を振る人たち。
口の悪い家臣たち。
酒が入れば声のでかくなる騎士たち。
祖父の歌をまだ覚えている詩人たち。
(……ああ。本当に、離れるんだな)
最初は名前すら知らなかった土地だった。
どこにあるのかも分からなかった。
何が普通で、何がおかしいのかも分からなかった。
それが、十五年経った今では
ここが私の基準になっている。
父上とおじいちゃんが愛した土地。
私が馬に乗ることを覚え。
家臣の顔を覚え。
税と裁判と街道に文句を言い。
妹と喧嘩して。
笑って。
泣いて。
そうやって、十五年かけて自分の中へ染み込ませてきた場所。
急に込み上げてきた寂しさと、鼻の奥のつんとした痛みを誤魔化すように、私は大きく息を吸い込んだ。
そして。
隣を走る「我が夫」を一瞥した。
「…………」
無言。
完全なる沈黙。
背筋をぴんと伸ばし、手綱を握りしめ、視線を前方の街道へ固定している。
(……こいつ、ボルドーを出てから一言も喋ってなくない?)
寂しさを塗りつぶす勢いで、別の感情がむくむくと湧いてきた。
イライラである。
「……殿下」
返事がない。
「ルイ」
「…………はい」
「はい、じゃない。何か喋ってよ」
「何か、とは……」
「天気でも道でも、今乗ってる馬の毛並みでも何でもいいから!!」
ルイはしばらく真剣に考え込んだ。
そして。
「……本日は、風が、ありますね……」
「消え入りそうな声で天気予報すな!!」
思わず馬上で頭を抱えそうになった。
なんなんだ、こいつは。
こっちは生まれ育った土地を離れて、不安と寂しさで情緒がジェットコースターなんだぞ。
せめて何か気の利いたことを言うとか。
気遣うとか。
旦那として最低限の業務をこなすとか。
王様になったからって、急に石像の真似を始めるな。
大体あんた、フランスの男でしょうが。
私の前世知識にあるフランス男なんて、年がら年中「ジュテーム」だの「モナムール」だの言って、
息をするように女性を口説いてくるイメージしかないんだけど。
しかもフランス国王といえば、愛人を山ほど囲ってる人も多かった気がする。
なのに。
なんでうちの旦那は、よりによって愛想の在庫がゼロなんだよ。
――なお。
内心でブチギレ散らかしている私には
隣で凍りついている十六歳そこそこの少年の事情なんて、まるで見えていなかった。
ルイは、もともと王になることを前提に育てられた長男ではない。
兄がいた。
自分が王位を継ぐ予定ではなく、信仰や聖職者的な教育を強く受けて育った。
それが兄の死で突然、王太子になった。
さらに今度は。
敬愛する父王まで急死した。
悲しむ暇もないまま、十六歳そこそこの肩へ、フランス王という巨大すぎる役目が落ちてきた。
そのうえ隣には。
太陽の下で育った、気の強い新妻。
しかも遠慮なく話しかけてくる。
目を合わせてくる。
質問してくる。
会話を要求してくる。
女慣れしていない少年にとっては、政治も王冠も結婚も、
全部いっぺんに処理しろと言われているようなものだったのだ。
そりゃ石像にもなる。
でも。
その時の私は、そんなことを一ミリも理解していなかった。
「……はあ」
深く、深いため息をつく。
「こいつ……やっぱり私と性格合わんのでは?」
ルイは聞こえなかったふりをした。
たぶん聞こえていた。
隊列は、そのまま北東へ進んでいく。
まずはポワティエへ。
そこから、さらに北へ。
見慣れた空気が
見慣れた言葉が
見慣れた風景が
少しずつ遠ざかっていく。
そして代わりに
私の知らない「フランス」が少しずつ近づいてきていた。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




