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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第28話:まず契約書plz

始まったね!

「結婚の話は、分かりました」


初対面の気まずい沈黙をなんとか乗り切った翌日。

ボルドーの館の会議室で、私は重臣たちとフランス王家側の使節団を見回した。


「では、式の準備を――」


「その前に、条件を全部確認させてください」


「……条件、でございますか?」


老騎士が目を瞬かせる。


「婚姻したあと、アキテーヌがどう扱われるのか。私の権利はどこまで残るのか。

税収、家臣団、相続、領地の裁量。そのへん、全部です」


「で、殿下……まるで商取引のような……」


「人生最大級の契約なんだから、確認するの普通でしょ!」


思わず前世のOLソウルが炸裂した。

誰が利用規約も読まずに同意ボタンを連打するか。


スマホのアップデートですら一応スクロールして確認するのに、自分の身分と領地と

将来が全部乗っかった婚姻で、「まあ大丈夫でしょう^^」なんてできるわけがない。


こちとら前世二十八年。

さらにこちらで十五年。

単純計算するなら、中身はとっくに四十を越えている。

うまい話をそのまま信じて泣きを見るほど若くない。


「まず、私がルイ殿下と結婚しても、アキテーヌはアキテーヌのままですよね?」


「もちろんでございます」


「フランス王家の土地として、勝手に組み込まれたりはしない?」


「そのようなことはございません。公女殿下は、ご自身の権利によりアキテーヌを継がれております」


「じゃあ、既存の慣習や領内の権利関係もそのまま?」


「はい。婚姻によって直ちに失われるものではございません」


「税収の扱いは? 私の家臣団は? 北から勝手に人を送り込まれて、

うちの役職を総入れ替えとかされない?」


使節団の一人が、やや引きつった顔で答える。


「そのような重大なことを、殿下のご意思を無視して行うことは……」


「“たぶん大丈夫”じゃなくて、残せるものは文書に残してください」


私は机の上の羊皮紙を指で叩いた。


「既存の権利。慣習。継承。私の立場。将来、子供が生まれた場合の扱い。

曖昧にできる部分は、できるだけ減らしたい」


家臣たちがざわついた。

そのうちの何人かは、「さすがギョーム十世様に鍛えられた公女殿下」と感心したように頷いている。


違う。

中身はただの、


『あとで揉めるのが一番面倒くさいから、最初に詰めたい』


である。


とはいえ。

父上から八年間、税だの裁判だの外交だのを叩き込まれてきたせいで、私も多少は分かっていた。


この時代、現代みたいに何もかも一枚の契約書で片づくわけじゃない。


慣習がある。

先例がある。

誓約がある。

土地ごとの権利関係がある。

書けばすべて解決、という単純な世界じゃない。


だからこそ、

確認できるものは確認する。

残せるものは残す。

それしかない。


「次。相続」


「はい」


「もし私に子供ができた場合、その子はアキテーヌの継承権を持つ?」


「当然にございます」


「フランス王冠とアキテーヌ公爵位は、同じものじゃない?」


「別個の権利にございます」


「よし」


私は頷いた。


少なくとも結婚した瞬間に、


『はい、本日よりアキテーヌはフランス王家の所有物になりました^^』


ではない。


そこが確認できただけでも大きい。


会議室の隅では

当の夫予定である王太子ルイが、相変わらず借りてきた猫のように小さくなっていた。


私が使節団相手に、


「そこ曖昧だからもう一回」


「その表現、あとで揉めません?」


「この権利は誰に帰属するの?」


と詰めていくたび、なぜか彼の顔色が悪くなっていく。


……なんでお前が怯えるんだよ。

別に離婚協議してるわけじゃないぞ。

まだ結婚すらしてない。


ロマンス?

そんなものは後回しだ。

領地の死活問題なんだから。


そうして

確認すべきことを一通り確認し。

双方で誓約を交わし、必要な事項を文書に残し。


いよいよ婚礼の日を迎えた。


一一三七年七月。


ボルドーのサン=タンドレ大聖堂。


重い扉が開き。

私は、王太子ルイの隣に立った。


大聖堂の内部には香の煙が漂い、石柱には華やかな布が掛けられている。


集まった諸侯。

騎士。

聖職者。

見物に集まった人々。


外では鐘が鳴り。

宴の準備が進み。

アキテーヌらしく、葡萄酒も惜しみなく振る舞われていた。


華やかだった。

騒がしかった。


そしてどこか、祖父を思い出す空気だった。


太陽。酒。歌。笑い声。

あの爺さんが生きていたら、絶対に大喜びで騒いでいただろう。


父上なら………

たぶん騒ぎすぎる祖父を止めながら、私の衣装の乱れを直していたはずだ。


そう思った瞬間。


胸の奥が少しだけ痛んだ。


父上が死んで

まだ、ほんの数か月。


それなのに私はもう。

結婚式をしている。


人生の進む速度がおかしい。


この前まで七歳で、羊皮紙の山に埋もれて、


『後継者ってブラック職では?』


なんて叫んでいた気がするのに。


気づけば十五歳になって。

アキテーヌを背負って。


今。

目の前で何百という視線に祝福されながら

フランス王太子の妻になろうとしている。


私は、ちらりと隣を見た。


ルイは相変わらず私の顔をまともに見なかった。

誓いの言葉を口にするときですら、視線は私の頬の少し横。

耳たぶでも見ているのか。


顔は真っ赤。

声は小さい。


大丈夫か、この結婚生活。


でもまあいい。

契約関係は確認した。

アキテーヌの権利も、少なくとも今すぐ消えるわけじゃない。


私はこれから、

フランス王太子の妻として北の王家と関わりながら

アキテーヌの女主人としてなんとかやっていけばいい。


そう…

そう、思っていた。


「きゅ、急報――ッ!!」


結婚式の熱気がまだ冷めきらないほんの数日後。

泥にまみれた早馬の使者が、大広間へ転がり込んできた。


場の空気が一変した。


「パリより急使!」


使者は息を切らしながら膝をつく。


「フランス国王ルイ陛下が……主の御許へ旅立たれました!」


大広間が一瞬で静まり返った。


……え?


私は盃を持ったまま固まった。


隣を見る。

ルイも固まっている。


いや。


固まるどころか、顔から完全に血の気が引いていた。


『王様が死んだ』


つまり

目の前のこの人が。


今から

フランス国王。


ということは……


私は。


「……待って」


思わず立ち上がった。


「待って待って待って」


家臣たちが一斉にこちらを見る。


「私、結婚しただけじゃなかったの!?」


誰も答えない。

答えなくても分かる。


「まだ十五歳なんですけど!?」


それでも現実は止まらない。


「もうフランス王妃なの!?!?」


人生のベルトコンベアが、どうやら完全に速度設定を間違えていた。


※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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