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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第30話:思ってたパリと違いすぎて草も生えない

嫁姑絶対愛称悪いやつ

パリ。


花の都。

芸術の都。

恋とモードの街。


エッフェル塔。

シャンゼリゼ通り。

優雅なオープンカフェ。

ルーブル美術館。


……もちろん、全部ない。


分かっていた。百歩譲って、そこは分かっていたつもりだ。


十二世紀のパリに鉄骨の電波塔が立っているわけがないし、

カフェのテラスでマカロンをつまみながらエスプレッソを飲めるわけもない。


世界史八点の私だって、それくらいは理解できる。

理解はできるけれど。


「……思ってたパリと違いすぎる」


馬上から街を眺めながら、私は思わず呟いた。


まず、道が狭い。

そして曲がっている。


人が多い。

荷車も多い。

家畜までいる。


建物は肩を寄せ合うように並び、そこかしこから煙や生活の匂いが漂ってくる。


活気はある。

ものすごくある。

ただし、私の知っている「花の都」とは、方向性がまるで違った。


「……あの、シャンゼリゼ通りは?」


思わず先導の騎士に聞いてしまう。


「……しゃん、ぜりぜ?」


「ですよね。忘れてください」


知ってた。

ないよね。

そもそもまだ、あの辺が未来の大通りになるなんて誰も知らないよね。


シテ島へ入り、王宮が見えてきたところで、私はさらに無言になった。


立派ではある。

王の住まいとしての威厳もある。


でも。

石造りの建物が密集し、窓は思ったより小さく、全体的にどこか閉じている。

アキテーヌの城館みたいに、光と風が遠慮なく入り込んでくる感じではない。


私はしばらく王宮を見上げたあと、小さく首を傾げた。


「……暗くない?」


隣にいたルイが、こちらを見る。


「そうでしょうか」


「いや、立派なのは分かるよ? 分かるけど……なんかこう、もっと、ぱあっとしてるものかと」


「ぱあっと?」


「うん。華やかで。広くて。庭があって。噴水とかあって」


ルイが本気で困った顔をした。


「そのような王宮ではございませんが……」


「だよね」


分かっている。

分かっているのだ。

でも、前世の私の頭にある「フランス王宮」は、ほぼベルサイユで構成されている。


「……ベルサイユ宮殿、まだないんだよね」


「べるさいゆ?」


「なんでもない。未来の話」


自分で言って、自分で落ち込んだ。


知ってた。


ちくしょう。

知ってたよ。


けれど、アキテーヌの空と風に十五年間慣れきった身には、北の王宮はどうにも息苦しく感じられた。

同じ王国の中なのに、空気そのものが違う。


「これ、同じ国なんだよね……?」


「もちろんですが」


ルイが不思議そうに答える。

私には、それすら少し信じ難かった。


そして、その日の歓迎の宴。

長旅で空っぽになった腹を満たそうと席についた私は、

今度は食卓で文化の違いを思い知らされることになった。


なまじ前世の記憶があるせいで、


『フランス料理=世界的に有名=美味い』


という雑な期待値まで勝手に上がっている。

完全に未来のフランス料理への風評被害である。


運ばれてきた葡萄酒を口に含んだ。


「…………ん?」


不味いわけじゃない。

ちゃんと葡萄酒だ。

でも、味が違う。


いつも飲んでいたアキテーヌのものより、私の舌には軽く、酸味が強く感じられた。


私はもう一口飲んでみた。

やっぱり違う。


「……南の酒が恋しい」


隣でルイが静かに杯を傾けている。


「これ、いつも飲んでるの?」


「はい。何かお気に召しませんか?」


「いや、不味くはないんだけど。慣れてない」


続いて肉料理に手を伸ばす。

こちらも決して粗末ではない。

王宮の宴なのだから、それなりに手はかかっている。

ただ、使われている香りや味付けが、私の知っているものとは違う。


「……なんか違う」


「何がでしょう」


「全部」


ルイが困った顔をする。

ペトロニーユを見ると、向こうも同じような顔をしていた。


目が合う。

妹が、ごく小さな声で囁いた。


「……姉上」


「なに」


「アキテーヌのご飯、食べたい」


「分かる」


姉妹でこっそり頷き合った。


たぶん、北の料理が悪いわけではない。

私たちの舌が、十五年かけて南に染まりきっただけなのだ。


でも、そんな理屈とホームシックは別問題である。


(帰りたい)


パリ到着初日にして、早くも実家が恋しい。

私は葡萄酒をもう一口飲み、ため息を飲み込んだ。


その時だった。

上座の方から、すっと空気が変わった。


大声を出す人はいない。

それでも周囲の人々がわずかに姿勢を正したのが分かった。


一人の貴婦人が近づいてくる。


派手ではない。

けれど、質の良い衣服を隙なく着こなし、その立ち姿だけで長年宮廷にいた人間だと分かる。


先王ルイ六世の妃。

そして今は、新王ルイ七世の母。


私にとっては姑にあたる、”アデライード王太后”だった。


(……来た)


私は反射的に背筋を伸ばした。

アデライードは、まず息子へ視線を向け、それからゆっくりと私を見る。


一秒

二秒

三秒


長い。

ものすごく長い。


頭の先から足元まで、静かに観察されている。


服装・髪・立ち方・表情。

多分、全部。


(……これ、値踏みされてるよね?)


私の服は、アキテーヌでは普通だった。

色も明るいし、布も軽やかだ。


笑う時は笑う。

喋る時は喋る。

そこに何の問題も感じたことはない。


でもこの場所では、どうやら少し違うらしい。


アデライードの顔に、露骨な嫌悪が出ているわけではない。

むしろ表情はよく制御されている。

だからこそ、怖い。


(この人、政治できる人だ)


直感的にそう思った。


ただの「怖い姑」ではない。

長い間、王の妻としてこの宮廷にいた人だ。

誰がどこに座り、誰が誰と話し、誰がどんな影響力を持っているか。


そういうものを全部知っている人の目だった。


そして今、その人が

突然南からやってきて、息子の隣に座り、いきなり王妃になった十五歳の小娘を見ている。


そりゃ、警戒する。

私だって逆の立場なら警戒する。


分かる。

分かるんだけど。


(……それでも、めっちゃ見てくるな)


私はにっこり笑った。

アデライードも、ほんのわずかに微笑んだ。


礼儀としては完璧。


なのに、なぜだろう。

会話する前から、ものすごく相性が悪そうな気がする。


南のアキテーヌで育った新王妃と

北の宮廷を長く支えてきた王太后。


どうやら私のパリ生活は、到着初日からかなり前途多難らしかった。


※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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