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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第176話:隙を見逃さない隣国の若社長、絶妙な手紙を送ってくる件

リチャードとフィリップは仲良くなるからねぇ

ポワティエ、大公宮殿の私室。

夜も更けた執務机の上で、リチャードは何枚もの報告書に目を通していた。


城の備蓄。

北側の要塞の状況。

周辺諸侯の動向。

父親が今すぐ軍を差し向けてくるとは思っていない。


だが、次に何を持ち出してくるのか分からない以上、

何も確認せずに寝ている気にもなれなかった。


そこへ、側近の老騎士が静かに入ってきた。


「殿下」


「何だ」


「パリから使者が参っております」


リチャードの手が止まった。


「パリ?」


「はい。フランス王陛下より、

殿下宛ての親書を預かっているとのことです」


「フィリップか」


リチャードは眉を寄せた。

若ヘンリーが死んで以降、あの若い王は妙に静かだった。

何か仕掛けてくるでもなく、露骨にこちらへ手を伸ばしてくるでもない。


”ただ遠くから、ずっと見ている”


そんな印象があった。


「寄越せ」


差し出されたのは、上質な羊皮紙だった。


封蝋にも文面にも、失礼なところは一つもない。

むしろ、妙に整いすぎている。

リチャードは短剣で封を切り、中身を広げた。


『アキテーヌ公リチャード殿へ。


御尊父との間に難しい話し合いが続いていると聞き及びました。

家族の問題に、

私が軽々しく口を挟むべきではないことは承知しております。


ただ、貴殿が長くアキテーヌの統治に尽力し、

その地の責任を負ってきたことについては、私も存じております。


領地を預かる者同士、思うところも多いことでしょう。

いずれ機会があれば、互いの立場について直接言葉を交わせれば幸いです。


フランス王 フィリップ』


「…………」


リチャードはしばらく黙っていた。


側近が様子を窺う。


「殿下?」


リチャードは手紙を机へ置いた。


「何も書いてねえ」


「は?」


「いや」


もう一度読む。


本当に、


何も約束していない

父親を非難してもいない

こちらへ来いとも言っていない

助けてやるとも書いていない


ただ


『お前がアキテーヌを治めてきたことは知っている』


『話す機会があれば話そう』


それだけだった。


「……上手いな」


リチャードが小さく笑った。


「何がでございますか」


「親父を悪く言えば、俺は警戒する」


「はい」


「俺に味方すると言えば、もっと警戒する」


「はい」


「だから何も言わない」


リチャードは指先で手紙を軽く叩いた。


「その代わり、一番欲しい言葉だけ、

一番礼儀正しい包装紙に包んで置いていきやがった」


側近が少し考える。


「一番欲しい言葉、と申しますと」


リチャードは一瞬黙った。


それから、少し不機嫌そうに答えた。


「俺がここでやってきたことを、知ってるってことだ」


父親はリチャードがポワトゥーを治めることについて、

能力を疑っているわけではない。

むしろ、任せられるから任せている部分もある。


それでも父と話をしていると、最後にはいつも同じところへ戻る。


家全体のため。

王としての判断。

最終的に決めるのは自分。


その中で。

自分が何年も現場でやってきたことそのものについて、

改めて言葉にされることはほとんどなかった。


それをよりによって、”フランス王が書いてきた”。


「殿下」


側近が慎重に尋ねる。


「これは、誘いなのでしょうか」


「まだ違う」


リチャードはすぐに答えた。


「誘ってすらいない」


「では」


「名刺だ」


「……名刺?」


「いや、何でもない」


リチャードは少し眉をひそめた。

自分でも妙な言葉が頭に浮かんだ気がしたが、深く考えるのはやめた。


「要するに、『私はあなたを見ていますよ』ってだけだ」


「それだけで?」


「それだけだから厄介なんだよ」


リチャードは椅子へ深く座り直した。


これが露骨な誘いなら、断ればいい。


兵を貸す

金を貸す

父親に対抗するなら支援する


そんなことが書いてあれば、罠だと笑って捨てられる。


だがこの手紙には、何もない。

何もないからこそ、こちらが勝手に考える余地が残る。


「フィリップは、何を望んでいるのでしょう」


「今は分からん」


「では、返事は」


リチャードはもう一度、手紙へ目を落とした。


破り捨てるほどの内容ではない。

無視するほど失礼でもない。


だからこそ少しだけ迷う。


「礼だけ返す」


「それだけで?」


「ああ」


リチャードは短く頷いた。


「『お気遣いに感謝する。こちらは問題ない』でいい」


「承知いたしました」


側近が下がろうとしたところで、リチャードが呼び止めた。


「待て」


「はい」


「最後に一文だけ足せ」


「何と?」


リチャードは少し考えた。


「『いずれ機会があれば、話をするのも悪くない』」


側近が僅かに目を見開いた。


「よろしいので?」


「ただ話すだけだ」


「はい」


「それ以上でも、それ以下でもない」


自分に言い聞かせるような言い方だった。


側近が退出した後

リチャードはもう一度、机の上の手紙を見た。


父親と決裂したわけではない。

フランス王へ近づくつもりもない。


今のところは。


ただ少し前まで、

フィリップという男は、遠くにいる若い王でしかなかった。


それが今夜、ほんの少しだけ。


「話が通じるかもしれない相手」に変わった。


それだけだった。


それだけだったが。

数年後になって振り返れば、この手紙はきっと

何かの始まりだったのだろう。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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