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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第175話:話し合った結果、状況悪化してない?

誰も得しない結果という。

オールド・サラム城塞の居室。

大陸から届いた報告書の束を机いっぱいに広げたまま、

私は冷めたハーブティーを前に、真顔で天井を見上げていた。


「……ねえ、侍女長」


「はい」


「ちょっと事態を整理させて」


「どうぞ、王妃殿下」


私は指を一本ずつ折りながら、手元の報告書へ視線を落とした。


「まずジョン」


「はい」


「あの子、結局何かもらえたの?」


「いいえ。ヘンリー陛下は、ポワトゥーからジョン殿下にも

相応の収入を与える案を示されたそうですが、リチャード殿下が拒否され、

ジョン殿下ご本人も強く辞退されたとのことです」


「つまり?」


「何も決まっておりません」


「よね」


一本目。


「じゃあリチャード」


「はい」


「あの子、何か差し出した?」


「いいえ」


「よね」


二本目。


「じゃあヘンリー」


「……はい」


「あいつ、自分ではどう思ってるの?」


侍女長が少しだけ言いにくそうな顔をした。


「ポワトゥーそのものを取り上げず、ジョン殿下のための収入だけを

求めたのだから、かなり譲歩したつもりでおられるようです」


「…………」


私は机を指先でぺちぺち叩いた。


「待って」


「はい」


「ジョンは何ももらってない」


「はい」


「リチャードは何も渡してない」


「はい」


「ヘンリーは自分では譲歩したと思ってる」


「はい」


私は大きく息を吸った。


「話し合った結果、状況悪化してない???」


侍女長は少し考えた。


「少なくとも、皆様の警戒心は以前より

強くなったように見受けられます」


「何でよォォォォッ!」


私は頭を抱えた。


誰も土地を失っていない。

誰も土地を得ていない。

戦争にもなっていない。

流血沙汰も起きていない。

数字だけ見れば、完全な現状維持である。


それなのに


「ヘンリーは『まだ話は終わってない』って顔してるんでしょ?」


「そのようです」


「リチャードは

『親父が次に何を言い出すか分からないから備える』

って、城の備蓄とか諸侯の動きを確認し始めたんでしょ?」


「はい」


「何で誰も何も失ってないのに、全員前より警戒してんのよ!」


何のための家族会議だったのか。


顔を合わせて話せば、少しくらい誤解が解けると思っていた。

少なくとも、私はそう思っていた。


結果。

ヘンリーは「自分は譲ったのに拒否された」と思い。

リチャードは「父親は自分の都合を曲げる気がない」と思い。


ジョンは――。


「あ、そういえば」


侍女長が一通の手紙を差し出した。


「ジョン殿下からも、王妃殿下宛てにお手紙が届いております」


「あら」


私は少し顔を明るくした。


「無事に帰れたのね」


「はい」


「何て?」


封を開く。

そこには、少し乱れた文字でこう書かれていた。


『母上。僕は今後、父上が「お前のためだ」と言った時は、

まず何をさせられるのか全部確認してから返事をすることにしました』


私は瞬きをした。


続き。


『素晴らしい領地と言われたら場所を聞きます。

相応しい地位と言われたら誰が怒るのか聞きます。

父上の言う通りにすれば大丈夫と言われた時は、一番警戒します』


「…………」


私は静かに手紙を畳んだ。


「……そこまで教えた覚えはないんだけど」


「ご自身で学習されたのでしょう」


「学習結果が父親への危険物取扱マニュアルになってるんだけど」


侍女長は何も言わなかった。


まあ、間違ってはいない。


むしろあの父親相手には、それくらいでちょうどいい気もする。


でも。


十六歳の息子が父親の「お前のためだ」を聞いた瞬間に

警戒態勢へ入る家庭というのは、どうなのだろう。


私はもう一度、報告書の束へ目を落とした。


・長男のアンリはいなくなった。

・リチャードはポワトゥーを守る構えを崩さない。

・ジェフリーは以前より少し慎重になったようだが、相

 変わらず何を考えているのか分かりにくい。

・ジョンは父親の言葉を疑うことを覚えた。


そしてヘンリーはたぶん

”自分が家族を守るために、一番まともな判断をしている”

と思っている。


「……ねえ」


「はい」


「これさ」


私は報告書を一枚持ち上げた。


「誰も戦争したいって言ってないのよね」


侍女長は少し考えてから頷いた。


「少なくとも、今届いている報告の範囲では」


「ヘンリーは家全体を何とかしたい」


「はい」


「リチャードは自分のところを守りたい」


「はい」


「ジェフリーは、もう身内が減るのは嫌そう」


「そのように見受けられます」


「ジョンは」


私は手紙を見る。


「……お菓子食べて静かに暮らしたい」


侍女長の口元が少しだけ緩んだ。


「はい」


「誰も『よし、戦争しよう』なんて言ってないじゃない」


なのに。


皆、自分が何かされた時の準備だけは始めている。

父親が次に何をするか分からないから、息子が備える。

息子が備えているのを見れば、父親も警戒する。

その父親の警戒を見て、また息子が構える。


「……これ」


嫌な感じがした。


「誰か一人が悪いなら、まだ分かりやすいのよ」


侍女長がこちらを見る。


「そいつがやめればいいんだから」


「はい」


「でも全員、自分は守ってるだけだと思ってるじゃない」


私は額を押さえた。


「こういうの、どうやって止めんのよ」


答えは返ってこなかった。

私にも分からない。

世界史八点の頭で考えても、そんな便利な答えは出てこない。


ただ、一つだけ分かる。


「……少なくとも」


私は窓の向こうへ視線を向けた。


「話し合う前より仲良くなったとは、絶対言えないわね」


「それは……」


侍女長が珍しく言葉に詰まった。


「否定いたしかねます」


私は深々とため息をついた。


戦争にはならなかった。

誰も何も失わなかった。

それなのに家族の距離だけは、ほんの少し遠くなった気がした。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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