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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第173話:末っ子の帰還と、二度と信じない決意

ジョンの愚痴

ルーアン、公爵宮殿の自室。

扉が閉まり、従僕たちの足音が遠ざかった瞬間。

十六歳のジョンは、天蓋付きの羽毛ベッドへ向かって頭から飛び込んだ。


ボフン、と柔らかな寝具が全身を受け止める。


「……ベッド……」


枕を両腕で抱え込む。


「本物のベッドだ……!」


別に、ポワトゥーで野宿をしていたわけではない。

食事も出たし、寝る場所もあった。

ヘンリーの息子なのだから、待遇そのものは決して悪くなかった。


問題は、精神的な方だった。


父親と兄の間に座らされ、

自分の将来について話していると言われ、

本人が何度「別に欲しくない」と言っても聞いてもらえず。


最後には、兄の領地から自分の収入を出すという、

聞けば聞くほど胃が痛くなる案まで飛び出した。


ジョンは枕へ顔を埋めた。


「……生きて帰ってきた……」


大げさかもしれない。

だが、本人にとってはかなり切実だった。


その時、扉の向こうから控えめな声がした。


「殿下。林檎の焼き菓子をお持ちいたしましたが」


ジョンが勢いよく顔を上げる。


「食べる!」


「お持ちしても?」


「全部置いてって!」


銀盆に載せられた焼きたての林檎菓子が運び込まれる。

甘い香りが部屋いっぱいに広がった。

ジョンはベッドの端へ座り直し、ひとつ取って大きく齧った。


「……うまい」


ようやく人心地がつく。


温かい

甘い

誰も怒鳴っていない

兄もいない

父もいない


最高だった。


だが、二つ目に手を伸ばしたところで、

ジョンの眉間にじわじわと皺が寄ってきた。


「……親父の嘘つき」


小さく呟く。


思い返せば父はずっと言っていた。


お前のためだ。

お前にも相応しい立場を与えねばならない。

何も持たないままではいけない。


言っていることだけ聞けば、立派な父親である。

実際、父なりに自分のことを考えているのだろう。


そこはジョンにも分かっている。

分かっているのだが。


「だからって、何でリチャード兄上のところから持ってくるんだよ……」


三つ目の林檎菓子を掴む。


「兄上、僕には怒ってないって言ってたけどさ」


あれは”今のところは”、である。

もし本当にポワトゥーから自分の収入を出すことになったらどうなる。


兄本人が了承したとしても


その家臣たちは、

現地の諸侯は、

役人たちは、

『何もしていない末弟が、父王の命令だけで毎年金を受け取る』

そんな人間を歓迎するだろうか。


「絶対嫌われるじゃん……」


ジョンは真顔になった。

ものすごく嫌な未来が見えた。


兄の領地から金だけ受け取り、自分は遠くで暮らし。

たまに顔を出せば、


「ああ、あれが我々の金を持っていく弟君か」


と思われる。

最悪である。

父親が持ってくる「好条件」には、毎回あとから巨大な請求書がついてくる。

しかも父親が勝手に契約している。


「嫌だよ、そんなの!」


思わず声が出た。

兄の機嫌を損ねるような金など、絶対に欲しくない。


ジョンは林檎菓子を飲み込み、勢いよくクッションを抱え込んだ。


「僕、普通に暮らしたいだけなんだけど!」


もちろん、王の息子に生まれた時点で

「普通」がかなり難しいことくらいは理解している。


何も持たなければ、それはそれで困る。

兄たちがそれぞれ領地や立場を持っている中で、

自分だけ何もないままというのも、将来を考えれば不安ではある。


だが、だからといって。

兄から無理やり切り取ったものを「ほら、お前の分だ」と渡されても困るのだ。


そんなもの財産ではない。

火種である。


ジョンはベッドの上で膝を抱えた。

しばらく黙っていたがやがて、ゆっくりと顔を上げる。


「……決めた」


誰も聞いていない。

それでも、妙に真剣な顔だった。


「父上が今度『お前のために』って言ったら」


一度、息を吸う。


「まず疑う」


かなり現実的な結論だった。


「その場で喜ばない。絶対に喜ばない。どこなのか、

誰から取るのか、何をしなきゃいけないのか、全部聞く」


指を一本立てる。


「『素晴らしい領地を用意した』と言われたら、まず場所を聞く」


もう一本。


「『お前に相応しい地位だ』と言われたら、誰が怒るのか聞く」


さらに一本。


「『父の言う通りにすれば大丈夫だ』と言われたら」


少し考える。


「……一番警戒する」


そこだけは即決だった。

ジョンは深く頷いた。


ヨシ!完璧だ。


これなら次は騙されない。

少なくとも今日の十六歳のジョンは、本気でそう思っていた。


「もう二度と、何も考えずについていかないぞ」


力強く宣言した直後、扉の向こうから声がした。


「殿下。陛下がお呼びでございます」


ジョンが固まった。


「……何て?」


「陛下が、お話があると」


沈黙。

ジョンはゆっくりと掛け布団を頭まで被った。


「いません」


「殿下」


「寝ました」


「先ほどお菓子をお召し上がりになっていたかと」


「急に具合が悪くなりました」


「陛下には何と」


「母上直伝の仮病ですって言わないで!!」


扉の向こうで、従僕が困ったように黙った。


ジョンは布団の中で目を閉じる。


『父親の言うことを二度と無条件では信じない』


その決意だけは少なくとも今夜いっぱいは、固く守るつもりだった。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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