第172話:ワンマン社長、誰も得しない斜め上の「妥協案」を思いつく件
最早どうにもならないやつ?
ポワトゥー北境に近い、小さな会談地。
話し合いは、まだ終わっていなかった。
正確に言えば、同じ話を何度も角度を変えて繰り返しているだけだった。
ヘンリー二世はリチャードの言い分を理解している。
リチャードもまた、父親が何を考えているのかは理解している。
だが、理解したからといって同意するわけではない。
その一点だけで、話は見事なまでに前へ進まなかった。
そして、その二人の間には今日もジョンがいる。
「……父上」
「何だ」
「まだ僕、ここにいる必要あります?」
ヘンリーは当然のように答えた。
「ある」
「何でですか」
「お前の将来について話しているからだ」
「僕の将来なのに、僕の意見が一回も採用されてないんですけど」
「お前はまだ若い」
「十六歳です!」
「だから若いと言っている」
ジョンは黙った。
父親に言葉で勝てる気がしない。
いや、理屈なら勝てるかもしれない。
だが、この父親は自分が納得しない限り負けを認めない。
そこが一番面倒だった。
一方のリチャードも、そろそろ露骨に疲れてきていた。
「親父。俺は何度も言った。ポワトゥーは渡さない」
「分かっている」
「だったら話は終わりだろう」
「終わっていない」
「何でだ」
「ジョンの立場が決まっていない」
リチャードは深く息を吐いた。
「それは俺の責任じゃない」
「家族の問題だ」
「俺の領地を削らなきゃ解決できない家族の問題なら、
親父が別の解決策を考えろ」
ヘンリーは腕を組んだ。
そのまま、しばらく黙り込む。
リチャードは嫌な顔をした。
ジョンも嫌な顔をした。
この父親が黙って考え込んでいる時は、大体ろくなことにならない。
やがてヘンリーが顔を上げた。
「分かった」
リチャードの眉が動く。
ジョンの顔にも、ほんの少しだけ希望が浮かぶ。
「ようやくですか」
「ああ。私も譲歩しよう」
リチャードが怪訝そうに父を見る。
「……何を譲る」
「ポワトゥーを、お前から取り上げることはしない」
「最初から俺の土地だ」
「最後まで聞け」
ヘンリーは不機嫌そうに言った。
だが本人としては、かなり譲歩したつもりらしい。
「お前はこれまで通りポワトゥーを治めればよい。
その代わり、そこからジョンにも相応の収入を与えろ」
「…………」
リチャードが黙った。
ジョンも黙った。
ヘンリーだけが、話が前進したと思っている顔をしている。
「どうだ。これならお前は土地を失わん。
ジョンにも将来のための基盤ができる」
リチャードはゆっくりと口を開いた。
「親父」
「何だ」
「つまり俺の土地は取らない。その代わり、
俺の土地から上がる金でジョンを養えと?」
「そうだ」
「それを譲歩って言うのか?」
「私はポワトゥーそのものを要求していない」
「いや、金を要求してるだろ」
「すべてではない」
「量の問題じゃねえ」
ヘンリーの眉間に皺が寄る。
「お前は兄だろう」
「だからって弟の生活費を一生払う義務はねえよ」
「一生とは言っていない」
「もっと嫌だわ。いつまで払うかも決まってないのかよ」
ジョンが恐る恐る手を上げた。
「あの」
二人が同時に見る。
ジョンは一瞬怯んだが、それでも言った。
「僕も、それ嫌なんですけど」
ヘンリーが驚いた顔をした。
「なぜだ」
「なぜって……」
ジョンはリチャードを見る。
兄は別に怒ってはいない。
今のところは。
だが、自分が毎年兄の領地から金を受け取ることになれば話は別だ。
兄本人が気にしなくても、その周囲はどう思う。
ポワトゥーの諸侯は
騎士たちは
役人たちは
「あいつは何もしてないのに、俺たちの金だけ持っていく」
そう思われる未来が、十六歳のジョンにも容易に想像できた。
「僕、兄上から毎年お金をもらって暮らすんですか?」
「そういう言い方をするな。お前に相応しい収入を確保するだけだ」
「同じですよ!」
「違う」
「受け取る側からしたら同じです!」
ジョンは思わず声を大きくした。
「兄上の家臣から、絶対嫌われるじゃないですか!」
「王である私が命じるのだ。何の問題がある」
「父上がいる間はですよね!?」
ヘンリーが黙る。
ジョンはさらに畳みかけた。
「父上がいなくなった後、僕どうするんですか!
『昔、父上が決めたので今後も兄上の土地からお金ください』
って言い続けるんですか!?」
「その時はその時で考えればよい」
「一番怖いやつじゃないですか!」
リチャードがついに吹き出した。
ジョンがそちらを睨む。
「笑わないでくださいよ!」
「悪い」
「絶対悪いと思ってない!」
リチャードは肩を震わせながら、父を見る。
「親父。ジョン本人も嫌だって言ってるぞ」
「若いから分かっていないだけだ」
「俺も嫌だ」
「お前は頑固だからだ」
「じゃあ誰が賛成してるんだよ!」
ヘンリーは少し考え、そして真顔で答えた。
「私だ」
「一人じゃねえか!」
ジョンは頭を抱えた。
何なんだ、この話し合いは。
兄は損をする
自分は恨まれる
父だけが家族の問題を解決したと思っている。
これではまるで。
”兄のヘイトを定期購入するサブスクリプション契約”
を結ばされたようなものである。
しかも解約方法がない。
「嫌ですよ、そんなの!」
「なぜそこまで嫌がる」
「僕、平穏に暮らしたいんです!」
「王の息子が何を言う」
「王の息子だから言ってるんです!」
十六歳なりに、ジョンはもう十分理解していた。
この家に生まれた以上、何も持たなければ困る。
だが、持ち方を間違えるともっと困る。
兄から無理やり切り取った金など、財産ではない。
”将来の火種”である。
リチャードも同じことを考えていたらしい。
「親父」
先ほどまで笑っていた顔から、少しだけ表情が消える。
「ジョンに何か与えたいなら、俺も止めない」
ヘンリーが僅かに眉を上げた。
「なら」
「ただし俺のところから持っていくな」
「ではどこから出す」
「知らん」
「無責任だぞ」
「俺の責任じゃねえって何回言わせるんだ!」
また元に戻った。
ジョンは天を仰いだ。
さっき一瞬だけ、話が進んだと思った自分が馬鹿だった。
ヘンリーは本気で妥協したつもりなのだろう。
リチャードの土地を取り上げない。
ジョンにも収入を与える。
どちらの要望も半分ずつ満たした。
本人の頭の中では、たしかに筋が通っている。
ただしその「半分ずつ」が、
両方ともリチャード側から出ていることを除けば。
「とにかく」
リチャードが大きく息を吐いた。
「今日はもう終わりだ」
「まだ話は」
「同じところを何周する気だ」
ヘンリーが何か言い返そうとしたが、
リチャードは先に立ち上がった。
「俺はポワティエへ戻る。親父も一度頭を冷やせ」
「私に向かって頭を冷やせとは何だ!」
「そのままの意味だ!」
リチャードは踵を返した。
ジョンは慌ててその背中を見る。
「あ、兄上!」
「何だ」
「僕、怒られてませんよね?」
リチャードは振り返った。
「お前には怒ってない」
「本当に?」
「ああ」
ジョンは心底ほっとした。
「よかった……」
その直後。
「だから父上、もう僕を使って兄上を説得するのやめてください」
ヘンリーが不満そうに息子を見る。
「お前の将来のためだぞ」
「だから、その将来が怖いって言ってるんです!」
結局その日の話し合いも、何ひとつ決まらなかった。
ヘンリーは自分なりに譲歩した。
リチャードはその譲歩を拒否した。
ジョンはそもそも欲しくないものを与えられそうになって必死に逃げた。
誰も勝っていない。
誰も納得していない。
ただ一つだけ確かなのは、アンジュー家の家族会議では、
全員が善意で動いていても普通に地獄が生まれるということだった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




