第171話:国境の板挟みと、パリの特等席
にらみ合い開始
ポワトゥー北境に近い、小さな会談地。
両者の護衛は少し離れた場所に待機させられ、
草地の中央にはヘンリー二世、リチャード、
そしてなぜかジョンの三人が向かい合っていた。
風が吹くたび、少し離れた場所に立つ旗がばさりと音を立てる。
ヘンリー二世は腕を組み、まずリチャードを見た。
「最後にもう一度言う。ジョンの立場を、ポワトゥーで認めろ」
リチャードは即答した。
「断る」
「話を聞け!」
「聞いた。理解もした。その上で断っている」
ヘンリーの眉間に皺が寄る。
「何度言えば分かる。私は家全体のことを考えているのだ」
「それも分かってる」
「なら」
「でも渡さない」
ヘンリーのこめかみがぴくりと動いた。
少し離れたところに立つ護衛たちは、全員揃って視線を逸らした。
そして。
その二人の間に立たされている十六歳の末っ子だけが、
ものすごく困っていた。
ジョンは右を見た。
父→怒っている。
左を見た。
兄→もっと怒っている。
そして自分。
何も頼んでいない。
「……あの」
二人とも反応しない。
ジョンはもう一度、少し大きな声を出した。
「父上」
「何だ」
「何で僕、ここにいるんですか」
ヘンリーが当然のように答える。
「お前の話だからだ」
「僕、ポワトゥー欲しいとか言ってないんですけど」
「お前の将来の話をしている」
「だから、それを僕に聞いてくださいよ」
リチャードが横から口を挟んだ。
「俺はお前に怒ってない」
ジョンが勢いよく兄を見る。
「ですよね!?」
「ああ」
「じゃあ僕、帰ってよくないですか?」
「駄目だ」
ヘンリーが即答した。
ジョンの顔が引きつる。
「何で!?」
「当事者だからだ」
「父上が勝手に当事者にしたんじゃないですか!」
今度はリチャードが、ほんの少しだけ口元を歪めた。
笑ったのかもしれない。
ジョンはそれを見逃さなかった。
「兄上、今ちょっと笑いましたよね?」
「笑ってない」
「絶対笑った!」
「うるさい」
「僕、今日一番被害受けてるんですけど!」
ヘンリーが低い声を出す。
「ジョン、お前は黙っていろ」
ジョンは真顔で父を見た。
「じゃあ何で連れてきたんですか」
一瞬、完全な沈黙が落ちた。
リチャードがそっと視線を外す。
ヘンリーは答えなかった。
ジョンは小さく息を吐いた。
「……帰りたい」
誰も聞いてくれない。
そこで、ふと思い出した。
母から届いた、あの怪しい指南書。
『どうしても駄目なら軽く具合が悪いふりをしろ』
ジョンは一度咳払いをした。
「……父上」
「今度は何だ」
「さっきから少し、お腹が」
ヘンリーが即座に返した。
「仮病だな」
「判断が早い!」
リチャードが今度こそ笑った。
「兄上まで!」
「母上に教わったんだろう」
「何で知ってるんですか!」
「お前がやりそうだからだ」
「僕、信用なさすぎません!?」
「ある意味では信用されているな」
「嬉しくない!」
一瞬だけ場の空気が緩んだ。
だが肝心の問題は、何も解決していない。
ヘンリーはリチャードへ向き直る。
「私は、お前の言い分も考慮している」
「そうか」
「だが、ジョンの立場も作らねばならん」
「それなら別の場所を考えろ」
「どこだ」
「それを考えるのが親父の仕事だろう」
「お前も家の一員だ!」
「だから、自分の土地を守ってる」
また元に戻った。
ジョンは両手で顔を覆った。
「……結局そこに戻るんだ」
誰も否定しなかった。
ヘンリーも、リチャードも、自分の方から争いを始めるつもりはない。
だが譲るつもりもない。
そのため、会談は決裂するでもなく、まとまるでもなく、
ただ同じところをぐるぐる回り続けた。
ジョンだけが、その真ん中で少しずつ疲れていった。
同じ頃のパリ、シテ島の王宮。
フィリップ二世は、届いたばかりの報告に目を通しながら、
少しだけ口元を緩めていた。
「……まだ決着してないんだ」
控えていた老側近が頷く。
「はい。ヘンリー王ご自身がリチャード殿下と直接会われたようですが、
双方とも譲らず。かといって、武力衝突にも至っておりません」
「ジョンは?」
「同席させられていたようでございます」
フィリップは少し考えた。
「……かわいそうだね」
「左様でございますな」
「本人、欲しいって言ってないんでしょう?」
「そのようです」
フィリップは小さく笑った。
「本当に面白い家だなあ」
「面白い、で済ませてよろしいのでしょうか」
「僕には関係ないからね。今のところは」
フィリップは報告書を卓上へ置いた。
少し前ならヘンリー二世と息子が揉めていると聞けば、
それだけで好機に見えたかもしれない。
だが今は
リチャードが、感情に任せて父へ刃を向ける男ではないことも分かってきた。
ヘンリーもまた、すぐに息子を潰そうとしているわけではない。
どちらも自分から決定的な一線を越えない。
だからこそ外から手を出すのは、まだ早い。
「放っておこう」
フィリップが言った。
「よろしいので?」
「うん。今、僕が何かしたら、せっかく父と息子で揉めてるのに
『外から敵が来た』って急に同じ方向を見るかもしれない」
老側近が静かに頷いた。
「では、引き続き様子を見る、と」
「そうだね」
フィリップは椅子へ深く座り直した。
「リチャードが、本当に父親と離れていくのか。
それとも、結局また同じ側に立つのか。まだ分からないから」
「なるほど」
「でも」
フィリップは少しだけ楽しそうに笑った。
「前よりは、ずっと見ていて面白くなってきた」
老側近は何も言わなかった。
フィリップは窓の外へ目を向けた。
アンジュー家の親子喧嘩は、まだ外から突く時ではない。
”ただ見る価値はある。”
それだけは以前より、はっきりしていた。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




