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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第169話:ワンマン社長、一瞬だけ反省しかけてすぐ元に戻る件

ヘンリーなぁ。(´・ω・`)

ノルマンディー、国王軍本営。

深夜の天幕には、燃えさしの薪が爆ぜる音だけが静かに響いていた。


卓上には、三つの報告が並んでいる。


イングランドから届いたアリエノールの返書。

――リチャードの考えを知りたいのなら、本人と話しなさい。


ポワティエから返された、リチャードの言葉。

――父上の意図は理解した。それでもポワトゥーは渡さない。


そして、つい先ほどまで目の前にいたジェフリーの報告。

――兄上は反乱したいのではありません。

今持っているものを奪われたくないだけです。


ヘンリー二世は卓上に両肘をつき、組んだ指へ額を押し当てていた。


「……ジェフリーまで、同じことを言う」


低い声だった。


怒鳴り声でもない、

机を叩く音もない、

その静かさの方が、控えていた老側近には不気味だった。


ヘンリーはゆっくり顔を上げる。


「妻は『本人と話せ』と言う。

ジェフリーは『リチャードの言い分を聞け』と言う。

そして当のリチャードは、『私の意図は分かった』と言いながら従わん」


深いため息が落ちた。


「……なぜだ」


老側近は黙っている。


ヘンリーの表情には、怒りよりも疲労が濃かった。


長男を失った。

その直後から、残った息子たちの配置を考え直している。

リチャードには今後、より大きな役割を担わせなければならない。

ジェフリーにはブルターニュがある。

だが、ジョンにはまだ確かな基盤がない。


家全体を見れば、どこかで均衡を取らねばならない。

そのために考えている。

自分なりに、ずっと。


「私は、あいつらのことを考えている」


ヘンリーは低く呟いた。


「リチャードの将来も、ジョンの立場も、家全体のこともだ」


「はい」


「それなのに」


少し間を置く。


「なぜ誰も、私の言うことを理解しないのだ」


老側近は、一瞬だけ目を伏せた。

そして静かに答えた。


「陛下」


「何だ」


「皆様、理解はしておられます」


ヘンリーの眉が動いた。


「……何?」


「王妃殿下も、リチャード殿下も、ジェフリー殿下も。

陛下が何を考えておられるか、

その理由まで理解しておられるように見受けられます」


「なら」


ヘンリーの声が大きくなる。


「なぜ従わん!」


老側近は、すぐに答えた。


「そこです」


「何?」


「そこなのでございます、陛下」


天幕が静かになる。


「陛下は、『理解したのであれば従うべきだ』とお考えになる」


「当然だろう」


「リチャード殿下は、

『理解したからこそ、それでも自分には受け入れられない』とお考えになる」


ヘンリーは黙った。


「王妃殿下も、おそらく同じなのでしょう。

陛下のお考えが分からないのではございません」


老側近は慎重に言葉を選ぶ。


「分かった上で、それと同意することは別だと仰っているのかと」


ヘンリーは、何も言わなかった。


薪が、ぱちりと弾けた。


理解

同意

服従


これまで自分の中では、その三つはほとんど一本の線で繋がっていた。


自分が状況を説明する。

相手が理解する。

ならば、全体の利益のために従う。


その何がおかしいのか。


だが

妻も、次男も、三男も

揃って、その線の途中で立ち止まっている。


ヘンリーは地図へ目を落とした。


イングランド

ノルマンディー

アンジュー

ポワトゥー

アキテーヌ

ブルターニュ


自分が何十年もかけて繋ぎ止めてきた領域が、

卓上いっぱいに広がっている。


「……私が」


ぽつりと声が落ちた。


「間違っているのか」


老側近は、何も答えなかった。

答えられなかった。


ヘンリー自身も、答えを求めているわけではなかった。


ただ一瞬だけその可能性を考えた。


長男との関係。

妻との関係。

そして今、リチャードとの関係。


自分は家族を守るために全体を握っているつもりだった。


”だが握り続けることで逆に彼らが自分から離れていくのだとしたら”


ほんのわずかにそんな考えが頭をよぎった。

ヘンリーは長く黙っていた。


やがて


「……いや」


小さく首を振る。


老側近が顔を上げた。

ヘンリーは地図へ両手を置いた。


「私が全体を見なければならん」


声は先ほどより落ち着いていた。

だがその言葉は、いつもの場所へ戻っていた。


「リチャードはアキテーヌを見ている。ジェフリーはブルターニュを見ている。

ジョンには、まだ自分の領地すらない」


ヘンリーは地図を指でなぞる。


「だが、私は全部を見る立場にいる」


老側近は黙って聞いていた。


「誰か一人の都合だけで決めることはできん。

リチャードが今の自分の立場を守りたいのも分かる。

だが、それだけを認めれば、ジョンの将来はどうする」


「はい」


「ジェフリーにも領地がある。リチャードにもある。

ならば、末の息子にも何かを与えねばならん」


ヘンリーは息を吐いた。


「私は間違っているのではない」


少し間を置く。


「ただ、あいつらと見ている範囲が違うのだ」


老側近は、ほんの少しだけ目を閉じた。


今、あと半歩だけ、別の方向へ進むこともできたのかもしれない。

だがヘンリーはやはり、

自分が全体を支えなければならないという結論へ戻った。


「では、どうなさいます」


老側近が尋ねる。

ヘンリーはすぐには答えなかった。


地図を見つめる。


「こちらから戦を始めるつもりはない」


「はい」


「リチャードに反乱の形を与える必要もない」


「はい」


「だが」


指先が、ポワトゥーの辺りで止まる。


「このまま命令を無視させ続けるわけにもいかん」


「では」


「もう一度、条件を整理する」


老側近が少し驚いたように顔を上げた。


「条件を、でございますか」


「ああ」


ヘンリーは低く答える。


「リチャードが何を恐れているのかは分かった」


その言葉に老側近の表情が、ほんのわずかに明るくなる。

だが続いた言葉ですぐ元に戻った。


「ならば、何を示せば従うのかを考えればよい」


「…………」


「何だ」


「いえ」


老側近は静かに頭を下げた。


一瞬、本当に一瞬だけ

王は、自分のやり方そのものを疑った。


だが辿り着いた答えは

やはり


『どうすれば相手が自分の判断に従うか』


だった。


根本は何も変わっていない。


ヘンリー二世は、再び地図へ向き直った。


「リチャードに伝えろ」


「何と」


「私も、あいつの言い分を考慮する」


老側近が目を見開く。


「ただし」


やはり来た。


「最終的に決めるのは私だ」


老側近は静かに目を伏せた。


「……承知いたしました」


一瞬だけ開きかけた扉は、完全に閉じたわけではない。

だがヘンリー二世はまだ、その向こうへ踏み出すつもりはなかった。


自分が全体を見て、

自分が考え、

自分が決める。


その仕組みこそが

これまで帝国を支えてきたと、今も信じているからだった。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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