第168話:隣国の若社長と、家を出た三男の軽口
ジェフリーとフィリップはこのころから交流があったようですね( ˘ω˘ )
ノルマンディーとフランス王領の境に近い、小さな宿場町。
父ヘンリー二世の本営を後にし、ブルターニュへ戻る途中。
三男ジェフリーは街道を少し外れ、フランス王領側の城に滞在していた
フィリップ二世のもとへ顔を出していた。
もちろん、正式な外交会談ではない。
供回りも最低限。
互いに大仰な儀礼もなく。
川沿いの小さなあずまやで、冷えた白ワインと焼き菓子を挟んで
向かい合っているだけだった。
十七歳のフランス王は、杯を指先で軽く回しながら、
面白そうにジェフリーを見た。
「珍しいね」
「何がです?」
「君が父親の使者なんて」
ジェフリーは肩をすくめた。
「僕だって、たまには真面目に働きますよ」
そう言いながら、運ばれてきた焼き菓子をひとつ取る。
フィリップが目を細めた。
「へえ」
「何です?」
「……本当に、それだけ?」
ジェフリーは菓子を口に入れたまま、少しだけ眉を上げた。
「信用ないなあ」
「あると思ってる?」
「最近そればっかり言われるんですよ」
ポワティエでも、
父の本営でも、
そして今度はフランス王まで。
誰も彼もジェフリーを見ると、まず
――何を企んでいる?
から会話を始める。
「本当に、今回は父上に命じられてリチャード兄上を
説得しに行っただけですよ」
「結果は?」
「手ぶら」
フィリップが小さく笑った。
「やっぱり」
「やっぱりって何です」
「リチャードが簡単に折れるとは思えなかったから」
「そこは僕も同感です」
ジェフリーは杯を取った。
「そもそも、父上が何も条件を持たせてくれなかったんですよ」
「何も?」
「何も」
「譲歩案も?」
「なし」
「交渉権も?」
「なし」
フィリップが少し考えた。
「……それで説得しろって?」
「そうなんです」
ジェフリーはため息をついた。
「僕の口を魔法の道具か何かだと思ってるんでしょうね」
フィリップが吹き出した。
「君なら何とかすると思ったんじゃない?」
「買いかぶりですよ」
「そうかな」
フィリップは杯を口へ運ぶ。
その目は、笑っているようでよく見ていた。
目の前の三男は、
若ヘンリーのように派手ではない。
リチャードのように、戦場で名を上げる男でもない。
だが父と兄の間を往復し、
それぞれの言い分を聞き、
怒鳴られても、
疑われても、
結局は無事に帰ってくる。
「君って」
フィリップがぽつりと言った。
「思ってたより話が早いね」
ジェフリーが目を細める。
「褒めてます?」
「一応」
「珍しいですね」
「僕だってたまには人を褒めるよ」
「信用ないなあ」
今度はフィリップが笑った。
しばらく二人は黙って酒を飲んだ。
ジェフリーの方もフィリップを見ていた。
十七歳
若い
自分より年下
父ヘンリー二世のような圧力もない。
リチャードのような荒々しさもない。
だがアンジュー家の内側で
誰がどこへ動いているか、
誰と誰が揉めているか、
どこまで対立していて、
どこから先はまだ切れていないのか、
”ずいぶんよく見ている”。
「……あなた」
ジェフリーが言った。
「うちの家族のこと、よく見てますよね」
フィリップは悪びれなかった。
「隣だからね」
「便利な答えですね」
「君だって、隣国が揉めてたら見るでしょう?」
「まあ」
ジェフリーは素直に認めた。
「見ますね」
「でしょう?」
二人は顔を見合わせ、そして少しだけ笑った。
その笑いには密約も、忠誠も、裏切りの約束もない。
ただ互いに
相手が自分と同じように、
”少し離れた場所から盤面を見る人間だ”と分かった。
それだけだった。
「リチャード兄上も、別に父上を倒したいわけじゃないんですよ」
ジェフリーが何気なく言った。
フィリップは杯を置く。
「そうみたいだね」
「自分の土地を取られたくないだけ」
「うん」
「父上も、それは分かってる」
「それでも従わせたい」
「そう」
ジェフリーは苦笑した。
「だから話が進まない」
フィリップは少し考える。
「でも」
「何です?」
「リチャードがそこまで冷静なら、今は外から何かする時じゃないね」
ジェフリーが片眉を上げた。
「意外ですね」
「何が」
「もっと煽るのかと思ってました」
「何で?」
「楽しそうだから」
フィリップが笑った。
「君、僕を何だと思ってるの」
「僕と似た種類の人」
一瞬、フィリップの目が細くなる。
「それ、褒めてる?」
「一応」
「信用ないなあ」
今度はジェフリーが吹き出した。
日が少し傾き始めた頃、ジェフリーは席を立った。
「そろそろ行きます」
「ブルターニュへ?」
「ええ。長居すると、父上にまた余計な疑いをかけられるので」
「もう十分かけられてそうだけど」
「否定できないのが困るんですよ」
ジェフリーは外套を整えた。
フィリップも軽く手を挙げる。
「またパリにでも遊びにおいでよ」
ジェフリーが振り返る。
「暇だったらね」
「君、暇じゃなくても来そうだけど」
「王様に言われたくないな」
二人はまた少しだけ笑った。
そして、ジェフリーはそのまま街道へ戻っていった。
この時点では二人とも
この短い会話に、それ以上の意味を持たせてはいなかった。
味方でもない。
盟友でもない。
密約もない。
ただ
話が通じる相手として互いの名前を。
少しだけ、前より強く覚えただけだった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




