第164話:前回寝返った三男を、懲りずに和平の使者へ送る件
また使者になるジェフリー君
「それができれば苦労せんわァァァァァッ!!」
ノルマンディー、国王軍の本営。
イングランドから戻ってきた使者が持ち帰ったアリエノールからの返書を
握りしめ、ヘンリー二世は天幕が吹き飛びそうな勢いで吼えていた。
――リチャードの考えを知りたいのなら、リチャード本人に聞きなさい。
至極まっとう。
あまりにもまっとう。
だからこそ腹が立つ。
「本人同士で話せ、だと!?」
ヘンリーは返書を机へ叩きつけた。
「それができれば最初からこんなことにはなっておらん!」
十年近く自由を奪って管理下に置いている妻に、
困った時だけ母親として息子を説得しろと頼んだ結果。
返ってきたのは
『自分でやれ』
という、身も蓋もない正論だった。
ヘンリーは荒い息を吐きながら、天幕の中を見回した。
側近たちは全員、ものすごく忙しそうに地図や書類を眺めている。
誰一人として、王と目を合わせようとしない。
「……ジェフリーを呼べ」
その瞬間。
天幕の空気が止まった。
老側近が、ゆっくり顔を上げた。
「……陛下」
「何だ」
「確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「言え」
「以前、リチャード殿下との争いを収めるために、
ジェフリー殿下を和平の使者としてお送りになりましたな」
「覚えている」
「その結果」
老側近は慎重に言葉を選んだ。
「ジェフリー殿下は、そのまま反対側へ残られました」
「覚えている!」
ヘンリーの眉間に深い皺が寄る。
「では」
老側近は耐えきれず、声を上げた。
「なぜ今回もその方を使者に選ばれるのです!」
「今回は大丈夫だ!」
「何を根拠に!?」
天幕に悲鳴のような声が響いた。
だが、ヘンリーにも事情がある。
長男は死んだ。
次男は今回の当事者である。
妻に頼めば『自分で話せ』と返された。
末っ子は、そもそも今回の揉め事の中心へ勝手に据えられた本人であり、
仲裁役には使えない。
残るのは
”三男、ジェフリー”
前回、和平の使者として送り出したら、そのまま向こう側に残った男。
「……他にいないのだ」
ヘンリーが低く言った。
老側近は静かに目を閉じた。
広大な領土を支配する王が、家庭内の調停役に使える人材を探した結果。
前回寝返った三男しか残らなかった。
アンジュー家。
深刻な人材不足である。
数刻後
呼び出されたジェフリーが、天幕へ姿を現した。
「お呼びですか、父上」
落ち着いた顔。
穏やかな声。
そして
『何となく嫌な予感はしています』
と全身で語っている。
ヘンリーは前置きなく告げた。
「リチャードを説得してこい」
「嫌です」
即答だった。
ヘンリーのこめかみが跳ねる。
「なぜだ!」
「兄上、今かなり理屈が通ってるので」
「だからお前を行かせるのだ!」
「理屈が通ってる相手を、なぜ僕が理屈で負かせる前提なんですか?」
ジェフリーは心底不思議そうな顔をした。
「父上の考えも分かりますよ」
「なら」
「ジョンにも立場を与えたい。若ヘンリー兄上のように、
早々に後継者を明言して別の派閥を育てたくない。
だからリチャード兄上には将来の話を曖昧にしたまま、
今ある領地の一部にジョンの居場所を作りたい」
「そうだ」
「でも」
ジェフリーは肩をすくめた。
「兄上から見れば、将来について何の確約もないまま、
今確実に持っているものだけ差し出せと言われてるわけですよね」
「…………」
「僕が兄上だったら、断りますよ」
「お前は私の使者だ!」
「使者だからこそ、説得材料がないと言ってるんです」
ヘンリーの顔が険しくなる。
ジェフリーは気にせず続けた。
「『将来もっと大きな役目を任せるかもしれない。
でも今は何も約束しない。その代わりポワトゥーでは弟に場所を譲れ』」
少し考える。
「……交渉条件として、かなり弱くないですか?」
「ええい、分かった!」
ヘンリーは話を打ち切るように手を振った。
「条件を決めろとは言っておらん!」
「では」
「まず、あいつを話し合いの席につかせろ」
ジェフリーが目を瞬いた。
「それだけですか」
「そうだ」
「新しい条件は」
「ない」
「譲歩案は」
「まだない」
「僕に交渉権は」
「与えん」
ジェフリーはしばらく黙った。
そして。
「父上」
「何だ」
「それを世間では丸腰と呼びます」
「口があるだろう!」
「僕の口は魔法の道具ではありませんよ」
老側近が顔を伏せた。
笑ったのではない。
多分。
きっと。
ジェフリーは深くため息をついた。
「つまり僕は、何の新条件も持たず、兄上に
『とりあえず父上と話してください』
と言いに行くわけですね」
「そうだ」
「断られたら?」
「説得しろ」
「どうやって」
「それを考えるのがお前の役目だ!」
「丸投げじゃないですか」
「王命だ!」
「便利な言葉ですねえ」
ジェフリーは肩をすくめた。
しばらく考え、諦めたように両手を広げる。
「……まあ、行くだけなら行きますけど」
「よし」
「どうなっても知りませんよ」
ジェフリーが踵を返す。
その背中へ、ヘンリーは突然、何かを思い出したように声を上げた。
「待て!」
ジェフリーが振り返る。
「何です?」
ヘンリーは指を突きつけた。
「いいか」
「はい」
「今回は」
一拍置いて。
「絶対に向こうに残るなよ!?」
ジェフリーは目を瞬いた。
そして薄く笑った。
「信用ないですねえ」
「お前だから言っている!」
「では、なぜ僕を選んだんです?」
ヘンリーの顔が歪んだ。
長男はいない。
次男は当事者。
妻は協力してくれない。
末っ子も当事者。
そして、目の前にいるのは。
前回、和平の使者として出したら、そのまま反対側へ残った三男。
ヘンリーは、苦虫を百個まとめて噛み潰したような顔で腹の底から叫んだ。
「他にいないからだァァァァァッ!!」
天幕に響き渡る、王の悲痛な叫び。
広大な領土を築き上げた覇王は、家庭内紛争の仲裁役という一点において
深刻な人材不足に陥っていた。
その哀愁を背中に浴びながら、ジェフリーはひらひらと手を振り
再び、リチャードのいる南へ向かうことになった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




