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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第163話:手詰まりになったワンマンCEO、幽閉中の妻をコンサルとして召喚する件

結局妻に丸投げしようとするヘンリーさん

ノルマンディー、国王軍の本営。

夜も更けた天幕の中で、ヘンリー二世は卓上の地図を睨みつけていた。


ポワトゥーの情勢は、どうにも動かない。

リチャードは父王の命令には従わない。

だが、反乱を起こすわけでもない。


アンジューやノルマンディーへ兵を出すでもなく、ジョンを敵視するでもなく、

ただ自分の土地に座り込んで動かない。


力で押せば、こちらが先に事態を大きくすることになる。

放っておけば、王の命令を無視したまま時間だけが過ぎていく。


「……ええい、小癪な」


ヘンリーは苦々しく吐き捨てた。


道理は説明した。

意図も伝えた。

それでも動かない。

むしろ理解した上で拒否している。


それが何より腹立たしい。


「力で脅しても動かん。説明しても『分かったが断る』だ」


ヘンリーは腕を組んだまま、低く唸った。


「一体、あいつは誰の言うことなら聞くのだ」


天幕に控えていた側近たちが、一斉に沈黙した。

視線だけが、互いの間を素早く行き来する。


答えは、この場にいる全員が知っていた。

だが、誰も言いたくなかった。


やがて老側近が、覚悟を決めたように一歩進み出る。


「……恐れながら、陛下」


「何だ」


「リチャード殿下が、そのお言葉を最も重く受け止められる方となれば」


ヘンリーの眉が動く。


「……王妃殿下ではないかと」


天幕の空気が止まった。


「…………」


「アキテーヌは、本来王妃殿下の領地にございます。

リチャード殿下にとっても、あの地を守ることと母君への忠誠は、

切り離して考えにくいものでございましょう」


ヘンリーの顔が、見る見る険しくなっていった。


「……アリエノールに書かせろ」


今度は側近たちの表情が固まった。

老側近が慎重に聞き返す。


「……何を、でございます」


「リチャードへの手紙だ。母親から言い聞かせれば、

あいつも少しは耳を貸すだろう」


「陛下」


「何だ」


「十年前、その王妃殿下が、

まさにリチャード殿下らと共に陛下へ反旗を翻されたことは」


「覚えている」


「では、なぜその方に説得を」


「他に誰がいる!」


ヘンリーの声が天幕を揺らした。


他にいないのだ。


長男は死んだ。

次男は動かない。

三男に話を振れば、何を考えているのか分からない。

末っ子は、そもそも今回の揉め事の中心へ勝手に置かれただけである。


そしてリチャードが、多少なりとも言葉を聞く可能性がある相手。


それがよりによって

自分が十年近く自由を奪い、管理下へ置き続けている妻だった。


老側近が、さらに慎重に尋ねる。


「では……王妃殿下を大陸へお連れになりますか」


「…………」


ヘンリーは険しい顔のまま、しばらく黙った。


そして。


「それは駄目だ」


即答だった。


「なぜでございましょう」


ヘンリーは信じられないものを見るような顔で側近を見た。


「お前、本気で言っているのか」


「は」


「あの女をアキテーヌに近づけてみろ」


ヘンリーは低い声で言った。


「説得するどころか、リチャードの隣に座る」


「…………」


老側近は静かに目を伏せた。


分かっているのだ。

この男

肝心なところだけは、恐ろしいほど正確に妻を理解している。


アリエノールを自由にして、しかもアキテーヌの近くまで連れていって。


そこで、


『息子を説得してくれ』


などと言えば。


説得するどころか、母と息子が並んでこちらを見る可能性の方が高い。


「手紙だ」


ヘンリーは地図へ視線を戻した。


「手紙だけを書かせろ」


「承知いたしました」


「イングランドへ使者を出せ。母親として、息子へ道理を説けと伝えろ」


老側近は深く頭を下げた。


誰も


『結局、困ったので妻に育児相談を投げるのですね』


とは言わなかった。


命は惜しい。


数日後、オールド・サラム城塞の居室。

私は、届いたばかりの書状を前に固まっていた。


一度読む。

もう一度読む。


そして、


「……ねえ、侍女長」


「はい」


「これ、ヘンリーからよね」


「はい」


「私に」


「はい」


「リチャードを説得しろって」


「そのようでございます」


私はゆっくり天井を仰いだ。


「…………」


しばらく考える。

と、いうか。

考える必要もなかった。


「あいつ」


私は書状を指でつまんだ。


「私を十年近く自由にしないまま、困ったら育児相談してきたわ」


侍女長が静かに頷いた。


「……左様でございますね」


「何なのよ!」


私は机を叩いた。


「別居十年目の妻に

『反抗期の息子がお父さんの言うこと聞かないから、お前から何とか言ってくれ』

って頼んでくる、この厚かましさ!」


「反抗期と申しますには、リチャード殿下は少々ご立派なお歳かと」


「そこじゃないのよ!」


私は書状を机の上へ放り出した。


散々、

口を出すな

動くな

自由にもするな


そうやって閉じ込めておいて。

自分の言葉が息子へ届かなくなった途端、


『母親として何とかしろ』


である。


「都合が良すぎるのよ、あの筋肉親父!」


怒りより、もはや呆れの方が勝つ。

侍女長が尋ねた。


「お断りになりますか」


「いいえ」


私は椅子を引いた。


「書くわよ」


「リチャード殿下を説得なさるので?」


「まさか」


私は鼻で笑った。


「自分から反乱も起こさず、自分の土地に踏ん張ってる息子に、何で私が

『お父さんの言うこと聞きなさい』

って言わなきゃいけないのよ」


「では」


「ヘンリーに返事を書く」


私は羽根ペンを取った。


「何と」


「『自分で話せ』」


侍女長が一度瞬きをした。


「……それだけでございますか」


「十分よ」


私は羊皮紙へ文字を書き始めた。


少し考え…、そして


「……リチャードにも書くわ」


「説得を?」


「違う」


私は顔も上げずに答える。


「『父親からこんな依頼が来たけど、あんたも自分で話しなさい』って」


侍女長がしばらく黙った。


「……お二人に、同じことを」


「そう」


「それを調停と呼ぶのでございますか」


私は勢いよく顔を上げた。


「当事者同士で話せって言ってんのよ!」


また声が響いた。


「何で私が、海を挟んで親子ゲンカの伝書鳩やらなきゃいけないの!」


侍女長は静かに目を伏せた。

私はヘンリー宛ての書状へ、最後の一文を書き足した。


――リチャードの考えを知りたいのなら、リチャード本人に聞きなさい。


続いて

リチャード宛てにも、ほぼ同じことを書く。


――父親の意図が分かったのなら、自分の考えも本人に説明しなさい。


書き終えて、私は二通の羊皮紙を並べた。


「よし」


「これで、お話し合いになりますでしょうか」


私は少し考えた。


ヘンリー

頑固。


リチャード

頑固。


そして私

多分、かなり頑固。


「…………」


嫌な予感しかしない。


「まあ」


私は羽根ペンを置いた。


「少なくとも、次に私へ投げてきたら怒る」


「すでにかなりお怒りかと」


「もっと怒る」


手詰まりになったワンマン国王が、幽閉中の妻へ投げた育児相談。


その回答は

息子への説得でも、夫への同意でもなく。


『本人同士で話せ』


という、あまりにも身も蓋もない正論だった。

なお、この一家においてそれが最も難しい要求である。


※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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