第162話:敵国の若社長、相手の次男が「一番厄介なタイプ」だと気づく件
まだ、様子をうかがうフィリップ君(`・ω・´)
パリ、シテ島の王宮執務室。
南から届いたばかりの報告書を前に、十七歳のフィリップ二世は
羽根ペンを指先で弄びながら、小さく息を漏らした。
「……へえ」
その声には、ほんの少しだけ面白がる響きが混じっていた。
「リチャード、攻めてこないんだ」
控えていた老側近が頷く。
「はい。ポワティエに留まり、防備を整えてはおりますが、
自ら父王の領地へ兵を進める気配はございません」
「反乱は?」
「本人は否定しております」
「でもヘンリー王の命令には?」
「従わない、と」
フィリップの手が止まった。
「……反乱してないの?」
「しておりません」
「でも命令には従わない」
「はい」
「弟とも争ってない?」
「ジョン殿下本人を敵視する意図はないと、
周囲にも明言しているようでございます」
「…………」
フィリップはしばらく黙り、そしてふっと笑った。
「何それ」
老側近は返事に困ったらしい。
「……非常に判断の難しい状態かと」
「だよね」
フィリップは椅子へ深く腰を預けた。
長兄の若ヘンリーは、もう少し分かりやすかった。
華やかな名声を好み、父への不満を隠さず、
周囲に担がれればそのまま勢いよく走り出す。
本人なりの不満も理屈もあったのだろう。
だが、少なくとも外から見れば、どこで怒り、
何に反応するのかは読みやすかった。
リチャードは違う。
「怒ってるのに、攻めないんだ」
「左様でございます」
「命令には逆らうのに、反乱もしない」
「はい」
「自分の土地だけは守る」
「そのようです」
フィリップは机の上の地図へ目を落とした。
ポワトゥー
アキテーヌ
フランス王から見ても、決して無視できる土地ではない。
そこに居座ったまま、父親へ刃を向けるでもなく、従うでもなく、ただ動かない。
「……思ってたより頭がいいんだね、あの人」
老側近が眉を上げた。
「リチャード殿下が、でございますか」
「うん」
フィリップは羽根ペンの先で地図を軽く叩いた。
「もっと単純な人だと思ってた」
戦場では勇猛
諸侯には苛烈
怒れば剣を抜く
そういう話ばかりが耳に入ってくれば、どうしても印象は偏る。
だが実際には、長年アキテーヌで諸侯を相手にしてきた男なのだ。
ただ強いだけなら、ここまではできない。
「ちゃんと、自分がどこまで動けば不利になるか分かってる」
フィリップは呟いた。
「父親に腹を立ててる。でも、その怒りに任せて王座を狙ったり、
隣の領地へ攻め込んだりはしない」
「はい」
「ジョンまで敵に回す必要はないと判断してる」
「そのようです」
「だったら」
フィリップは少しだけ目を細めた。
「煽れば勝手に暴れてくれる人じゃないね」
老側近が黙った。
若い王の声から、先ほどまでの軽さが少し消えていた。
激情に任せて飛び出す相手なら、やりようはいくらでもある。
少し押す。
少し焚きつける。
後は勝手に転ぶのを待てばいい。
だが。
押されていることに気づき、その意図まで理解した上で、
必要なところにだけ踏ん張る相手は面倒だった。
「一番厄介なタイプかもしれない」
フィリップはそう言って、報告書をもう一度開いた。
老側近が慎重に尋ねる。
「では、何か手を打たれますか」
「今?」
フィリップは顔を上げた。
「やらないよ」
即答だった。
「ヘンリー王とリチャードが揉めてるからって、
外から突いたらどうなるか分からないでしょう」
「と、申しますと」
「家族で喧嘩してる時に他人が殴りかかったら、
急に全員こっちを見るかもしれない」
老側近はゆっくり頷いた。
それは、すでに何度も見てきたアンジュー家の性質だった。
内側では激しく争う。
だが外から明確な敵が現れれば、
一時的にでも利害が一致することがある。
「だから、まだ見る」
フィリップは地図から目を離さなかった。
「リチャードが本当に父親と離れていくのか」
指先が、ポワトゥーのあたりをなぞる。
「それとも、揉めながら結局また同じ側に立つのか」
「まだ判断できない、と」
「うん」
フィリップは報告書を畳んだ。
「でも、一つだけ分かった」
「何でございましょう」
「リチャードは、僕が思ってたよりずっと面倒だ」
老側近がわずかに笑った。
「それは、警戒すべき相手ということでしょうか」
「そうだね」
フィリップは少し考えてから、言い直した。
「少なくとも、ちゃんと見ておいた方がいい人だ」
今すぐ手を出す必要はない。
味方にする必要もない。
敵だと決めつける必要もない。
『ただ、覚えておく』
ヘンリー二世の次男。
アキテーヌ公リチャード。
”戦場で強いだけの男ではない”
十七歳の若いフランス王の中で、その名前はこの日、少しだけ重くなった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




