第16話:弟誕生! 私の貴族令嬢イージーモード確定!?
フラグですね!
廊下の向こうから響き渡った、火のついたような赤ん坊の泣き声。
張り詰めていた空気が、一瞬で弾け飛んだ。
バタバタと慌ただしい足音が行き交い、重苦しかった城の静寂が、まるで別物に塗り替えられていく。
やがて寝室の分厚い扉が開き、血色のいい顔をした産婆が飛び出してきた。
その顔には、ここ数日この城の誰も浮かべられなかったような、満面の笑みが張り付いている。
「男児にございます! お健やかな若君でございます!!」
その一言が放たれた瞬間。
「おおおおっ!!」
「若君がお生まれになったぞ!」
「主を讃えよ! アキテーヌに光が戻られた!」
廊下に控えていた騎士たちも、侍従たちも、一斉に歓声を上げた。
おじいちゃんの死で鉛のように沈み切っていた城中が、
「お世継ぎだ!」という歓喜で一気に沸き立つ。
そして。
四歳児の私はといえば。
壁の影で、小さくガッツポーズを決めていた。
(よっしゃああああああっ!!)
脳内ではくす玉が割れ、紙吹雪が乱舞していた。
男の子!
跡継ぎ!
正統なる後継者の爆誕!
これで私は自由だ。
あの地図で見た、フランス王本人が直接持っている土地より広そうな
”クソデカアキテーヌ”を背負わなくて済む。
道路。橋。税。
商人。教会。騎士。農民。
物流。
そんな、父上の眉間に年中深い皺を刻み続けている領地経営の重圧から、
私は完全解放されるのだ。
私はこのまま、豊かなアキテーヌで「可愛い公女様」として甘やかされて育ち、
年頃になったら近場の裕福な貴族のところへ嫁ぐ。
そして日当たりのいい庭で、午後のお茶でも飲みながらのんびり暮らす。
『完璧』
私の貴族令嬢イージーモードライフ堂々の開幕である。
そこへ、寝室から父上が出てきた。
腕には、小さな布の塊。
我が弟である。
いつも眉間に皺を寄せ、胃が痛そうな顔をしている父上が、
今日ばかりは父親らしい喜びを隠しきれていなかった。
そのまま父上は、我が子を抱きながら厳かに告げる。
「我が息子よ。汝の名は――ギョーム」
(またギョームかい!!!!)
盛大にズコーッと転びそうになった。
壁に頭をぶつけなかった自分を褒めてやりたい。
また!?
おじいちゃんがギョーム。
父上もギョーム。
そして弟もギョーム。
どんだけギョーム好きなんだ、この一族。
名付けにギョーム縛りでもあるの?
ギョーム以外を付けたら負けるデスゲームでもやってるの?
ピエールとかジャンとかアンリとか、他にも名前あるでしょうが!
……ふう。
落ち着け。
名前のバリエーションが枯渇しているのは、中世貴族あるあるなのかもしれない。
そこはもういい。
大事なのはこのギョームが男の子だということだ。
この広大で。
豊かで。
ちょっと治安が怪しくて。
管理するだけで父上の胃に穴が空きそうなアキテーヌを、
将来ちゃんと引き継いでくれる、正真正銘の跡取り息子なのである。
夕方。
人の出入りも落ち着いた母上の寝室を、私はそっと訪れた。
母上は疲れ切って眠っている。
その枕元には、小さな籠。
中には、布にくるまれた弟がいた。
私はそろそろと近づき、その顔を覗き込む。
ちっちゃい。
赤い。
そして。
びっくりするほど柔らかそう。
「……かわいい」
思わず声が漏れた。
ちんまりした鼻。
まだ産毛の残る額。
ぎゅっと握られた、小さな手。
恐る恐る指先を近づけると、その手が反射のように私の指を握り返した。
「……!」
熱い。
小さい。
信じられないくらい、頼りない。
でも。
『生きてる』
(うん。かわいいじゃん)
思わず頬が緩んだ。
きっと、真面目な父上に似て、将来はシュッとした男前になる。
間違っても。
あの暴走族総長じいちゃんみたいに、女を囲って教会から怒られるような男には育てない。
絶対に。
「ちゃんと、そだてよ」
小さな声で呟きながら、弟の手をそっと撫でる。
中身二十八歳の庇護欲が、完全に発動していた。
お前が元気に育って。
父上のあとを継いで。
立派にアキテーヌを治めるんだぞ。
姉ちゃんは少し離れたところから、お前が治める平和な土地のワインでも飲みながら応援してるからね。
私の人生設計は、この日、めでたく完成した。
弟が育つ。
父上のあとを継ぐ。
私は気楽な公女様として生きる。
うん。完璧。
安泰じゃん^^
――この時の私は、まだ知らなかった。
その一言が、
とんでもなくでかいフラグになっていたことを。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




