第155話:敵国の若社長、相手企業の内紛を見て静かに席へ戻る件
着々と成長するフィリップ君。
パリ、シテ島の王宮。
セーヌ川から吹き込む初夏の風が、
開け放たれた窓から執務室へ流れ込んでいた。
十七歳のフランス王フィリップ二世は、
届けられたばかりの報告書を読み終えると、しばらく黙った。
そして。
「……また揉めてるの?」
控えていた側近が、真面目な顔で頷いた。
「はい」
「今度は何?」
「若王アンリ殿の死後、
ヘンリー王が末子ジョン殿にポワトゥーで相応の立場を与えようとされまして」
「うん」
「リチャード殿が拒否を」
「ああ……」
フィリップは報告書を机へ置いた。
何となく分かった。
細かい事情までは知らない。
だが
長男が死んだ、
次男が一番上になった、
普通なら、しばらくは後継者の話をするのだろう。
ところが。
なぜか末息子の領地問題が始まった。
そして次男が怒った。
「……あの家、本当に休まないね」
「は?」
「いや」
フィリップは小さく息を吐いた。
父ルイが生きていた頃から、何度も聞いてきた。
ヘンリー王と息子たちが揉めた。
息子たちが父へ反抗した。
兄弟同士でも揉めた。
一度和解した。
また揉めた。
そして今度は、”長男が死んだ直後に次男と末子の扱いで揉めている”。
「普通、一人減ったら喧嘩も少し減らない?」
側近は答えに困った。
「……普通のご一家であれば」
「だよね」
フィリップは頷いた。
側近が一歩前へ出る。
「陛下」
「何?」
「これは好機ではございませぬか」
フィリップが顔を上げた。
「好機?」
「ヘンリー王とリチャード殿の関係が悪化しているのであれば、
我らも国境へ圧力を加えれば」
「やめとこう」
即答だった。
側近が目を丸くする。
「しかし」
「あの家、外から殴ると急にこっちを見るから」
フィリップは椅子から立ち上がり、机に広げられた地図を覗き込んだ。
フランス王領
ノルマンディー
アンジュー
そして、そのさらに南
広大なアキテーヌ
ヘンリー王の領域は大きい。
大きすぎる。
まともに真正面からぶつかれば、こちらが苦しい。
「今は父親と息子で怒ってるんでしょう?」
「そのようです」
「なら、そこで僕が軍を動かしたら?」
側近は少し考えた。
「……こちらへの対応を優先される可能性が」
「でしょう?」
フィリップは肩をすくめる。
「せっかく互いに睨み合ってるのに、何で僕が
『共通の敵はこちらですよ』って教えてあげなきゃいけないの」
側近は黙った。
確かにもっともだった。
「放っておこう」
フィリップはそう言って、もう一度報告書を手に取った。
そして、一箇所で目を止める。
「……これ」
「はい?」
「ジョンがリチャードのところへ行ったの?」
「そのようでございます」
「それで?」
「詳しい内容までは届いておりませんが、
ジョン殿本人に対しては、特に争いにはならなかったとか」
フィリップの眉が少し上がった。
「へえ」
意外だった。
リチャードという男について聞こえてくる話は、大抵が物騒だった。
反乱した諸侯を叩いた。
城を攻めた。
従わない相手を力でねじ伏せた。
とにかく強い。
そして気性も激しい。
そんな話ばかりだ。
「弟本人には怒らなかったんだ」
「どうやら」
フィリップは少し考えた。
「じゃあ、本当に何でも力で解決する人ではないんだね」
側近がフィリップを見る。
「……気になりますか?」
「少し」
フィリップは素直に答えた。
「ただ暴れるだけの人なら、分かりやすいから」
「では、リチャード殿は違うと?」
「さあ」
まだ分からない。
会った回数だって多くはない。
伝わってくる話も、人を介したものばかりだ。
ただ、
自分の土地には強く執着する。
父親とは激しく衝突する。
それでも、無関係な弟までまとめて敵にするわけではない。
「意地だけで動く人ではないのかもね」
フィリップはそう呟いた。
それ以上は考えないことにした。
今はまだ自分には、自分の国でやることが山ほどある。
父が残した王国は、放っておけば勝手に強くなるほど単純ではない。
まずはこちらを整える。
敵を見るのは、そのついででいい。
「陛下」
側近がもう一度尋ねた。
「では、アンジューの件は」
フィリップは椅子へ戻った。
「しばらく見ていよう」
「何もしないので?」
「うん」
「本当に?」
フィリップは不思議そうに側近を見た。
「敵が勝手に会議室で殴り合ってる時に、
わざわざ止めに入る理由ないでしょう?」
側近は少し黙った。
そして、静かに頭を下げた。
「……ごもっともにございます」
フィリップは満足そうに頷き、冷めかけた飲み物へ手を伸ばした。
パリは静かだった。
少なくとも、今のところは。
そして十七歳の王は、遠く南西で今日も揉めている一家を、
しばらく放っておくことにした。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




