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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第154話:誤解が軍靴の音を連れてやってくる

来たら来たでねぇ・・

ポワティエ、大公宮殿。

ルーアンから戻ったリチャードは、久しぶりに自分の土地の空気を吸っていた。


乾いた南の風。

城壁の向こうに広がる平野。

見慣れた騎士たち。


やっぱり、ここがいい。

親父の顔を見なくて済むだけで、空気が三割くらい美味い気さえする。


もっともその平穏は、長くは続かなかった。


「殿下」


執務室へ入ってきた側近が、何とも言えない顔をしている。

嫌な顔だった。


リチャードは机の上の書類から目を上げた。


「何だ」


「北から、新しい報せが届きました」


「親父か」


「はい」


即答だった。


リチャードは小さく舌打ちした。


「何だ。まだジョンを押しつける気か」


「どうやら、そのようでございます」


「しつこいな」


側近は手元の羊皮紙へ目を落とした。


「陛下は、殿下がご自身の命令を公然と拒もうとしている、

と受け取られているようで」


「実際、拒否するが?」


「そういうところです!」


側近の声が、思わず大きくなった。

リチャードが眉を上げる。


「何だ」


「いえ」


「今、何か言ったな」


「申し上げました」


開き直った。


「殿下。少々お尋ねしてもよろしいでしょうか」


「何だ」


「先日、ジョン殿下へ何とお伝えになったのです?」


リチャードは少し考えた。


「俺は怒っている、と」


側近は数秒だけ黙った。


「……それだけですか?」


「ああ」


「本当に?」


「何度聞く」


側近は両手で顔を覆った。


「殿下」


「何だ」


「それでは何に怒っているのか分かりません」


「親父なら分かるだろ」


「分かっていないから今こうなっているのです!」


リチャードは不満そうに眉を寄せた。


「面倒だな」


「殿下が説明を省略するからです!」


「怒っている理由なんて一つしかない」


「殿下の中では、でございます!」


周囲にいた騎士たちが、静かに目を逸らした。


誰も口を挟みたくない。

だが全員、側近の方が正しいと思っていた。


たぶん。


リチャードは椅子の背へ体を預けた。


「では、親父は何と言っている」


「ジョン殿下に相応の立場を与える方針は変えない、と」


「断る」


「まだ全部読んでおりません」


「結果は同じだ」


「ですから、そういうところです!」


側近は再び額を押さえた。

リチャードはまったく気にしない。


「俺が次だとは言わない」


低い声だった。


「だが、俺が今持っているものには手を出す」


側近は黙る。

そこだけは、冗談ではなかった。


若ヘンリーが死んだ。

次に誰が父の主要な領地を継ぐのか。


順番だけなら、誰の目にも明らかだった。

だが、ヘンリー二世はそれを明言しない。


その一方で、

リチャードがすでに持っているアキテーヌ。

その中へジョンの立場を作ろうとしている。


「気に入らん」


リチャードは短く言った。


「ここは、母上の土地だ」


そして。

今では、自分が何年も統治してきた土地でもある。


反乱を鎮め、諸侯と争い、城を落とし、時には交渉し、時には脅し、

何度も泥にまみれながら、ようやく自分の手で支配を固めた。


「親父の机の上で、勝手に切り分けていい土地じゃない」


側近が慎重に口を開く。


「では、陛下へ正式に書状を送られては」


「送ればいい」


「内容は」


リチャードは即答した。


「ポワトゥーは渡さん」


側近が目を閉じた。


「殿下」


「何だ」


「もう少し、外交的に」


「十分だろ」


「十分ではありません」


「では、何と書けばいい」


側近の顔が少し明るくなった。

ようやく聞いてくれた。


「そうですね。例えば、

『ジョン殿下へのご配慮は理解しておりますが、

現状のポワトゥー統治を変更することは、

この地の安定を損なう恐れがあり――』」


「長い」


「まだ一行目です!」


「そんなもの親父は最後まで読まん」


「読みます!」


「本当に?」


「陛下ですから!」


リチャードは疑わしそうな顔をした。

そして少し考える。


「では、こうだ」


側近が身構える。

リチャードはゆっくり言った。


「絶対に、ポワトゥーは渡さん」


沈黙。

側近が額を押さえた。


「長くしただけです!」


近くにいた騎士の一人が、耐えきれず顔を背けた。

肩が震えている。


リチャードが睨んだ。


「何がおかしい」


「いえ、何も」


絶対に笑っている。

側近は大きく息を吐いた。


「殿下。少なくとも、陛下が何を求めておられるのか確認してからご返答ください」


「ジョンを押しつけたいんだろう」


「そこをもう少し丁寧に」


「ジョン本人も嫌がっていたぞ」


「それも書きましょう!」


「なぜ」


「重要だからです!」


リチャードは少し黙った。


「あいつ、本当に欲しくないと言っていたな」


「ならば、それを陛下へ伝えるだけでも話は違うかと」


「親父が聞くと思うか?」


側近は答えに詰まった。


リチャードが鼻を鳴らす。


「ほら見ろ」


「だからといって最初から諦めないでください!」


執務室に、側近の悲鳴が響いた。


結局。


リチャードは折れない。

ヘンリー二世も折れない。

ジョンは別に欲しがっていない。


なのに。

誰も同じ文章を読んでいないかのように、

話だけが少しずつ悪い方向へ進んでいく。


しばらくして、リチャードは窓の外へ目を向けた。


ポワティエの城壁。

その向こうに広がる土地。


そして、短く言った。


「まあいい」


側近が嫌な予感とともに振り向く。


「親父に伝えろ」


「何と?」


「来るなら、直接来い」


側近の顔が引きつった。


「殿下」


「今度は何だ」


「それも、もう少し柔らかくできますか」


リチャードは考えた。

かなり真剣に考えた。


そして。


「……来るなら、本人が来い」


「ほぼ同じです!」


ポワティエの執務室に、再び側近の叫びが響いた。


アンジュー家。


伝言を短くすると誤解される。

丁寧に説明しようとすると本人が嫌がる。

そして最後は、大体「直接来い」に着地する。


家族の話し合いは、今日も一向に進まなかった。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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