第150話:震える末っ子へ送る、母からのガチサバイバル指南書
母の手紙w
オールド・サラム城塞の執務机。
私は、一枚の羊皮紙を前にして猛烈な勢いでペンを走らせていた。
宛先は、ルーアンの宮殿で親父と次兄の板挟みにされているはずの末息子、
”ジョン”。
現在十六歳。
現在の主な役割。
父親に勝手に将来を決められ、兄に睨まれること。
「侍女長」
「はい」
「この手紙、ジョンのところへ届けて」
「承知いたしました」
「できれば、ヘンリーより先に」
侍女長が少しだけ眉を上げた。
「……何をお書きになられているのでございますか?」
私は胸を張った。
「息子を生き残らせるための、母直伝サバイバル指南書よ」
「……サバイバル」
「ええ」
私は再び羊皮紙へ向き直った。
これは政治的な指示ではない。
反乱を勧めるものでもない。
ただの母から息子への、極めて実践的な人生相談である。
たぶん。
私は続きを書いた。
『我が愛しの末っ子ジョンへ。
まず最初に言っておきます。
ポワトゥーの件、あなたは何も悪くありません。
たぶん?
少なくとも、あなたが自分から
「ポワトゥー欲しい」と言い出していない限りは、ほぼ悪くありません。
なので、まず深呼吸しなさい。』
私は一度ペンを止めた。
「よし」
「何がよしなのでございますか」
「まず安心させるの。基本よ」
再び書く。
『次に。
絶対に、自分から南へ行くなどと言ってはいけません。
父上が、
「お前のために良い話をまとめてやったぞ」
「兄に遠慮する必要はない」
「私がついているから安心しろ」
などと言い始めた場合。
警戒レベルを最大に上げなさい。』
私は大きく頷いた。
父親としては善意なのだ。
だからこそ怖い。
『父上の「お前のためだ」は、必ずしもあなたのためとは限りません。
正確には、
「父上が考える、あなたにとって一番良い未来」
です。
ここを間違えてはいけません。
両者は、似ているようで全然違います。』
「……王妃殿下」
「何」
「ずいぶん実感がこもっておられますね」
「三十年以上あの男を見てるのよ」
説得力ならある。
私は続けた。
『具体的な対処法を以下に記します。
その一。
何も欲しがっていない顔をしなさい。
父上の前では、とにかく謙虚に。
「僕にはまだ早いです」
「兄上方の方が経験豊富です」
「僕は父上のお側で学びたいです」
この三つを順番に唱えておけば、大体なんとかなります。
たぶん。』
「たぶん多いですね」
「保証できないから仕方ないでしょ」
『その二。
リチャード兄上には、最優先で弁明しなさい。
内容は簡潔に、
「僕は何も言ってません」
これだけでいいです。
余計なことを付け足してはいけません。
「でも父上が」
「僕としては」
「せっかくなので」
などと話を広げると、兄上の眉間の皺が増えます。
危険です。』
私はそこで一度想像した。
リチャードの顔。
怖い。
自分の息子なのに怖い。
『なお、リチャード兄上は、あなた本人を殺したいわけではないと思います。
たぶん。
怒りの九割五分くらいは父上に向いています。
残り五分がどこへ向いているかは、確認しない方が安全です。』
侍女長が口元を押さえた。
「笑いました?」
「いいえ」
「今笑ったでしょ」
「いいえ」
絶対笑った。
私は構わず続ける。
『その三。
ジェフリー兄上の助言は、半分だけ聞きなさい。
あの子は頭がいいです。
ですが、
あなたが困っている状況を、少し楽しんでいる可能性があります。
もし、
「面白そうだから行ってみれば?」
「案外うまくいくかもよ」
「僕なら挑戦するけどな」
などと言われた場合は、全部無視しなさい。
それは助言ではなく、観戦席からの野次です。』
「これはかなり的確ですね」
「でしょう」
ジェフリーは頭がいい。
だから余計に油断ならない。
『その四。
父上とリチャード兄上が同じ部屋にいる時は、なるべく壁際にいなさい。
二人の間には立ってはいけません。
机の近くにも行かないように。
最近よく叩かれているので危険です。』
「机がですか」
「机が」
あの家族会議、そろそろ家具の耐久度も心配である。
『その五。
本当に困ったら仮病を使いなさい。
”頭痛、腰痛、馬に乗ると気分が悪い”
このあたりが無難です。
あまり深刻な病名を使ってはいけません。
みんな本気で心配しますから、ほどほどに。』
私はそこで、ふと思った。
『ただし、仮病中に普通に肉を三皿食べたり、
菓子を山ほど食べたりすると即座にばれます。
演技は最後までやり切りなさい。』
「……ジョン殿下ならやりそうですね」
「やるわね」
そこは母親なので分かる。
『最後に。
一番大事なことを書きます。
領地も肩書きも、後からどうにでもなります。
でも一度兄弟喧嘩のど真ん中に入ると、抜け出すのが大変です。
なので今は、
・無害
・謙虚
・何も聞いてません
・何も欲しがってません
この四本柱で乗り切りなさい。
母より。』
「……ふう」
私はペンを置いた。
完璧だ。
我ながら隙がない。
「追伸も書こう」
「まだあるのですか」
私は再びペンを取った。
『追伸。
ルーアンの厨房には、確か林檎を焼いた菓子が上手な料理人がいたはずです。
仮病中に食べるなら一つまでにしなさい。
二つ食べると元気だとばれます。
あと、ジェフリー兄上が手紙を覗き込んできたら隠しなさい。
絶対に笑われます。』
私は満足して手紙を閉じた。
「よし」
侍女長が受け取る。
「確かに、お届けいたします」
「頼んだわよ」
「しかし」
「何?」
「これを読まれたジョン殿下は、どのようなお気持ちになるのでしょう」
私は少し考えた。
「……安心するんじゃない?」
◇
数日後、ルーアン。
ジョンは母から届いた手紙を、最初から最後まで三回読んでいた。
「…………」
その隣では、ジェフリーが不思議そうにこちらを見ている。
「何読んでるの?」
ジョンは手紙を胸へ隠した。
「来ないでください!」
「何で」
「母上からの手紙です!」
「へえ」
ジェフリーが一歩近づく。
ジョンが一歩下がる。
「何て書いてあるの?」
「言いません!」
「僕のことも書いてある?」
「書いてあります!」
「何て?」
「言いませんってば!」
ジェフリーは笑った。
「じゃあ、だいたい分かった」
「何がですか!」
「ろくなこと書かれてないんだろうなって」
ジョンは黙った。
その通りだった。
ジェフリーはさらに近づこうとした。
「見せてよ」
「嫌です!」
「兄弟じゃないか」
「母上が
『ジェフリー兄上が覗き込んできたら隠せ』
って書いてました!」
「母上」
ジェフリーが立ち止まった。
「ひどくない?」
「当たってるじゃないですか!」
ジョンは手紙を抱えたまま逃げた。
廊下の角を曲がる直前、もう一度だけ母の手紙を見た。
『リチャード兄上には、最優先で弁明しなさい。
「僕は何も言ってません」
これだけでいいです。』
ジョンは深く息を吸った。
「……よし」
決めた。
リチャード兄上に会いに行こう。
怖いけど、非常に怖いけど、ここで黙っている方が、もっと怖い。
十六歳の末っ子は、その日、
自分の政治生命を守るための第一歩を踏み出した。
なおその記念すべき第一歩は、
「兄に『僕は何もやってません』と言い訳しに行く」
であった。
アンジュー家において、生存戦略とは大体そんなものである。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




