第149話:母親、息子が一人減ったのに揉め事が減らない件
8点ちゃん視点?
オールド・サラム城塞の居室。
長男アンリの喪に服すため、部屋のカーテンを地味な色へ替え、
私は珍しく静かにハーブティーを飲んでいた。
ここ数日は、さすがの私もあまり騒ぐ気になれなかった。
アンリが死んだ。
その事実は、まだ頭のどこかでうまく形になっていない。
だから今日くらいは静かに過ごそう。
そう思っていた。
大陸から、新しい報告が届くまでは。
羊皮紙へ目を落とした私は、そのままカップを持った姿勢で固まった。
「……は?」
侍女長が控えめに頷く。
「はい」
「……ジョンを、ポワトゥーに?」
「ヘンリー陛下は、ジョン殿下にポワトゥーで相応の立場を与えるお考え
のようです。そのため、リチャード殿下に対し、
ジョン殿下からの臣従を受けるよう求められたとのことで」
「…………」
私はゆっくりとカップを置いた。
カチャリ、と静かな音がした。
そして、深く息を吸った。
「ヘンリーィィィィィィッ!!」
オールド・サラムの石壁に、私の声が響き渡った。
「お前、アンリが死んだ直後に何してんのよォォォォォォッ!!」
侍女長が、何も言わずに少しだけ耳を塞いだ。
「息子が一人減ったのよ!? 長男が!
まだ葬儀の香の匂いだって残ってそうな時期なのよ!?」
私は机を叩いた。
「なのに何で揉め事の総量が減ってないどころか、火力が上がってんのよ!!」
「……陛下にも、お考えがあるのでしょう」
「あるんでしょうね! だから余計に腹立つのよ!」
何も考えていないなら、まだ救いがある。
問題は、あの男が毎回ちゃんと考えていることだった。
本人としては合理的なのだ。
長男がいなくなった。
リチャードは今後ますます重要になる。
しかし、一人に力を集中させすぎるのは危険。
ならば末っ子にも立場を与え、兄弟間で均衡を取ればいい。
たぶんヘンリーの頭の中では、その程度には綺麗な計算になっている。
「でもねえ!」
私はまた机を叩いた。
「ポワトゥーっていうのは、
ただ地図に線を引いて分けられる空き地じゃないのよ!」
アキテーヌの中でも重要な地域。
私の故郷。
そして今では、リチャードが何年もかけて諸侯とぶつかり、城を落とし、
反乱を鎮めながら支配を固めてきた場所でもある。
「そこに急に、『はい、今日から弟にも席を作ります』って言われて、
リチャードが素直に『分かりました父上』って言うと思う!?」
「……思いません」
「でしょう!?」
あの子は昔から素直ではない。
今ではさらに悪化している。
何年もアキテーヌの現場で揉まれた結果、すっかり一人前の公爵になった。
言い換えれば
自分の領域へ勝手に手を突っ込まれれば、全力で噛みつくタイプの公爵である。
「絶対怒ったでしょ」
「そのようです」
「どのくらい」
侍女長が少し考える。
「……かなり」
「でしょうね!!」
聞かなくても分かる。
たぶん机くらい叩いている。
下手をすると父親も叩いている。
いや、それはさすがに止めてほしい。
「それでジョンは?」
「ジョン殿下ですか?」
「そう。本人よ」
侍女長は、報告書の続きを確認した。
「詳しくは分かりませんが、会議の後、たいそう困惑されていたという話は」
「ほら見なさいよ!」
私は天井を仰いだ。
「絶対あの子、
自分から『ポワトゥーに行きたい』なんて言ってないでしょ!」
今のジョンはまだ十六歳。
兄たちのように、
自分から軍勢を率いて領地を奪い取りに行くほどの立場でもない。
ましてやリチャードが何年も治めてきた場所へ、
真正面から割って入る理由もない。
それなのに父親が勝手に、
『可愛い末っ子にも立派な領地を』
と考えた結果。
一番怒らせてはいけない兄の縄張りへ、いきなり名前だけ放り込まれている。
「ヘンリー」
私は両手で頭を抱えた。
「ジョンを可愛がるのはいいのよ」
そこは別に否定しない。
末っ子だから可愛い。
それは分かる。
「でも可愛い息子を、何で毎回兄弟喧嘩の真ん中に配置するのよ!」
侍女長が黙っている。
「前だって、ジョンに何か与えようとするたびに揉めたじゃない!」
まただ。
本当にまただ。
同じ家族で、
同じ父親が、
同じように領地を動かして、
同じように息子が怒っている。
私はしばらく黙ってから、ぽつりと言った。
「……これ、また同じこと繰り返してない?」
「……そのようにも見えます」
「見えるわよね?」
「はい」
「私の気のせいじゃないわよね?」
「おそらく」
「よかった。私だけがおかしくなったのかと思った」
よくない。
全然よくない。
私は椅子に腰を下ろし、冷めかけたハーブティーを一口飲んだ。
お茶がまずい。
さっきまで普通だったのに、急にまずい。
たぶん気分の問題だ。
「アンリがいなくなったら」
私はカップを見つめながら言った。
「少しくらい静かになるのかと思ったのよ」
侍女長は答えなかった。
「一人減ったんだから、揉め事も一人分くらい減ると思うじゃない」
「どうやら、そう単純ではないようでございます」
私は顔を上げた。
「でしょうね!! 見れば分かるわよ!!」
再び部屋に声が響いた。
長男がいなくなった。
人数は減った。
なのに、家族会議は相変わらず揉めている。
むしろ空いた席をどう埋めるかという、新しい問題まで増えている。
アンジュー家。
人数は減ったが問題の総量は、なぜか減らなかった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




