第147話:長男が死んだので、家族会議をやり直します
ヘンリーも学ぼうよ・・・
若ヘンリーの葬儀で焚かれた香の匂いが、まだ衣服の奥に残っているような頃。
アンジュー家は、驚くほどの速さで次の問題へ移行していた。
悲しんでいないわけではない。
ヘンリー二世だって、息子を失った。
リチャードも、ジェフリーも、ジョンも、兄を失った。
だが。
この一家には、喪に服して静かに座っているだけで済むほど、
領地も肩書きも息子も少なくなかった。
ルーアン、国王の執務室。
長机の上には、イングランド、ノルマンディー、アンジュー、ブルターニュ、
アキテーヌと、見ているだけで胃が痛くなる規模の領地図が広げられている。
その向こう側に、ヘンリー二世が座っていた。
目の前には、残された息子たち。
リチャード
ジェフリー
そしてジョン
三人とも、何となく嫌な予感がしていた。
「……アンリがいなくなった以上」
ヘンリー二世は、重々しく口を開いた。
「今後の領地配分と継承について、改めて整理する必要がある」
「まあ、そうでしょうね」
リチャードが腕を組んだ。
「でしょうね」
ジェフリーも頷く。
ジョンだけが、少し遅れて手を上げた。
「あの」
三人の視線が集まる。
「僕も、いるんですか?」
ヘンリー二世が眉を寄せた。
「当たり前だ。お前もこの家の一員だ」
「いや、今までこういう話、大体兄上たちだけで進んでたので……」
「今日は関係がある」
その一言で、ジョンの顔が曇った。
”関係がある”
非常に嫌な響きだった。
一方、リチャードは父親をじっと見ていた。
若ヘンリーがいなくなった。
ならば普通に考えれば、自分が次だ。
誰も口には出していない。
だが、この部屋にいる全員がそう考えている。
イングランド
ノルマンディー
アンジュー
父の持つ主要な領域を、将来誰が継ぐのか。
順番だけを見れば、答えは決まっている。
リチャードは黙って待った。
――お前が次だ。
たったそれだけ言えばいい。
その一言が出れば、少なくとも今日の会議は比較的平和に終わる。
たぶん、
おそらく、
願わくば。
しかし、ヘンリー二世は、その一言を言わなかった。
「そこで」
嫌な言葉が来た。
リチャードの眉がわずかに動く。
「ポワトゥーとジョンの扱いだが」
「…………」
ジェフリーが目を伏せた。
ジョンが小さく息を呑んだ。
リチャードだけが、ゆっくり父親を見た。
「……父上」
「何だ」
「今、何の話をしていました?」
「だから、今後の領地配分だ」
「そうですね」
「それでポワトゥーだが」
「何でそこへ行くんです?」
ヘンリー二世が怪訝な顔をした。
「何がだ」
「今の流れなら普通、次に誰が後継者になるかの話では?」
「それも含めて整理している」
「含めて」
「そうだ」
「まだ言ってませんよね」
「何を」
「俺が次だと」
部屋が静かになった。
ジョンがそっとジェフリーを見る。
ジェフリーは、わずかに肩をすくめた。
”知らん、俺を見るな”
そういう顔だった。
ヘンリー二世は、少し間を置いて答えた。
「お前が重要な立場になることは間違いない」
「重要な立場」
「そうだ」
「後継者ではなく?」
「その話は後でいい」
リチャードのこめかみに、目に見えて血管が浮いた。
ジェフリーが視線を逸らした。
これはまずい。
非常にまずい。
ヘンリー二世は、そんな空気など気にせず地図の南西部を指した。
「まず、ジョンの立場を整える必要がある」
「なぜ」
「末子だからだ」
「理由になってません」
「お前は黙って聞け」
リチャードは黙らなかった。
当然である。
「ジョンには、ポワトゥーについてお前に臣従させる」
一瞬、誰も意味を理解できなかった。
ジョン本人を含めて。
「……僕が?」
「そうだ」
「ポワトゥーで?」
「そうだ」
「リチャード兄上に?」
「そうだ」
ジョンは困った顔でリチャードを見る。
「兄上」
「俺を見るな」
「でも僕、今名前出されてるので」
「知ってる」
リチャードはゆっくり立ち上がった。
「父上」
「何だ」
「確認します」
声が低い。
非常に低い。
「俺が何年もかけて治めて、反乱を鎮めて、城を落として、
諸侯どもと喧嘩しながら守ってきたポワトゥーに」
「うむ」
「まだそこで統治したことも戦ったこともないジョンの席を作る、と?」
「そうだ」
「俺に相談もなく?」
「今している」
「これは相談じゃなくて通告でしょうが」
ヘンリー二世が机を叩いた。
「家族全体の均衡を考えているのだ!」
「またそれか!」
リチャードも机を叩いた。
ジョンがびくっとした。
ジェフリーは、とうとう天井を見た。
ああ、、また始まった。
兄が一人死んだ。
普通なら少しくらい、家族の結束が強くなってもよさそうなものだ。
ところがこの家では、空いた椅子を見た父親が最初に考えたことが、
『では次に誰をどこへ配置するか』
だった。
そしてその配置先として、よりによってリチャードが命をかけて
守ってきた土地へ、ジョンをねじ込もうとしている。
実にヘンリー二世らしい。
最悪の意味で。
「俺は認めません」
リチャードが言った。
「リチャード」
「認めない」
「家族のためだ」
「その言葉で何回戦争になったと思ってるんです?」
ジェフリーが小さく咳き込んだ。
笑ったわけではない。
たぶん。
「お前はアキテーヌを自分のもののように扱いすぎている!」
「公爵なんだから自分の領地として扱うでしょうが!」
「元は母親の領地だ!」
「だから余計に勝手に触るなと言ってるんです!」
ジョンが、また恐る恐る手を上げた。
「あの」
誰も見ない。
「あのー」
まだ誰も見ない。
「僕、別にポワトゥー欲しいって言ってないんですけど」
二人が同時に振り向いた。
ジョンは肩をすくめた。
「いや、だって。急に名前出されて、僕も困ってるので」
リチャードは数秒ジョンを見た。
「……お前は悪くない」
ジョンの顔が少し明るくなる。
「兄上」
「黙って座ってろ。今は親父と話してる」
「はい」
即座に座った。
ヘンリー二世が眉を吊り上げる。
「お前たちは何だ、その態度は!」
リチャードが振り向く。
「父上が勝手に俺の土地で末弟の配属先を決めるからでしょう!」
「私は全体を見ている!」
「だからその全体に、俺の意見を入れろと言っている!」
「私が一番よく分かっている!」
「出たよ!」
ジェフリーがとうとう片手で顔を覆った。
「……何だ」
ヘンリー二世が睨む。
「いえ」
「言え」
「父上、それを言うたびに大体揉めてます」
静寂……。
ジョンが目を丸くした。
リチャードがゆっくりジェフリーを見る。
「お前、たまには良いこと言うな」
「たまには余計ですよ」
ヘンリー二世の額に血管が浮いた。
「お前たちは――!」
怒鳴り声が部屋中に響く。
若ヘンリーがいなくなったことで、家族会議の人数は一人減った。
だから少しは静かになるかと思えば、そんなことはなかった。
むしろ一人分空いた席を巡って、残った男たちが即座に揉め始めた。
『アンジュー家』
反省という機能は、どうやら標準装備されていないらしい。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




