第140話:情報が届くたびに家族が悪化してる件
嵐の前
オールド・サラム城塞の居室。
机の上には、ボルドー方面から海を渡って届いた商人たちの話と、
ようやくこちらまで回ってきた断片的な報告が広げられていた。
私はそれらを何度も読み返したあと、両手で頭を抱えた。
「……ねえ、侍女長」
「はい」
「昨日までに届いてた話だと、ヘンリーが事態を収めるために南へ向かった、
ってところまでだったわよね?」
「そのように聞いております」
「なのに、今日届いた話は何?」
侍女長は、手元の紙へ慎重に目を落とした。
「ジェフリー殿下は、調停のために向かわれたあと、
そのまま若王殿下と反乱諸侯の側に留まっておられるようです」
私は黙った。
「……それだけ?」
「それから、ヘンリー陛下ご自身もリモージュで矢を浴び、
危うい目に遭われたとのことです」
「一日で何があったのよォォォォォ!!」
思わず机を叩いた。
もちろん、本当に一日で全部起きたわけじゃない。
大陸で起きた出来事が海を越え、さらにここまで届く頃には、
何日も経っている。
頭では分かっている。
分かっているけれど
「届くたびに悪化してるじゃない! 昨日は『父親が仲裁に向かいました』
だったのに、今日は『和平の使者が敵側に残りました』
『父親にも矢が飛びました』って、途中経過どこ行ったのよ!」
「こちらへ届く報せには、どうしても時間差がございますので」
「時間差で家族関係まで地獄に落ちる必要ないでしょうが!」
私は立ち上がり、部屋の中を歩き回った。
「ジェフリーも何してんのよ! 和平の使者として出ていって、
そのまま向こう側に残るって、どんな転職活動なの!?」
侍女長が視線を逸らす。
「それにヘンリー! 息子たちがいる陣営へ話をしに行ったら
普通に矢が飛んでくるって、父親としてどういう状況なのよ!」
自分で言っていて頭が痛くなってきた。
”これが、動けないということなのだ”
外へ出られない。
自由に手紙も送れない。
誰かに直接事情を聞くこともできない。
こちらが「少しまずいことになっているらしい」と知った頃には、
現地ではもう次の問題が起きている。
常に何歩も遅れて、燃え広がったあとの報告だけを読まされる。
「……嫌になるわね」
怒鳴る気力が少し抜けた。
私は机へ戻り、もう一度紙を眺めた。
リチャード
ヘンリー
ジェフリー
若ヘンリー
名前だけは、そこに並んでいる。
「……アンリは?」
侍女長が顔を上げた。
「若王殿下、でございますか」
「ええ」
「今も反乱諸侯と行動を共にしておられるようです」
「まだ引いてないのね」
「はい」
私は狭い窓辺へ歩み寄り、外の灰色の空を見上げた。
あの子も、もう子どもではない。
王冠を戴き、自分なりの誇りも立場も持っている。
だからこそ、簡単には引けないのだろう。
弟に臣従を拒まれ。
父親にも思うように認められず。
周囲には、自分を利用しようとする諸侯たちまで集まっている。
ここまで来て「やっぱりやめます」と言えるなら、
そもそもこんなことにはなっていない。
「……ほんと、全員面倒くさく育ったわね」
誰に言うでもなく呟いた。
それから私は、頭の中で今の家族の配置を整理してみた。
”リチャードは、父親の援軍を得てアキテーヌを守っている”
”ヘンリーは、
そのリチャードを助けながら戦争そのものを止めようとしている”
”ジェフリーは、和平の使者として向かったはずなのに、
なぜか若ヘンリーと反乱諸侯の側にいる”
”若ヘンリーは、王としての面子もあって今さら簡単には退けない”
”ジョンは、少なくとも今のところ、この戦争の中心にはいない”
そして私は………
”イングランドで監視されながら、何日も遅れて届く報告を読んでいる”
「…………」
何なの、この地獄のバランスシート。
父親と次男。
長男と三男。
その周囲には、それぞれの思惑で動く諸侯たち。
誰も同じものを見ていない。
誰も同じ未来を考えていない。
なのに、全員が同じ家族の名前を背負っている。
私はしばらく黙ったあと、ふと口を開いた。
「……ねえ、侍女長」
「はい」
「これさ」
自分でも、なぜそんなことを言ったのかは分からない。
「誰か一人でも倒れたら、一気に全部崩れるんじゃない?」
侍女長は答えなかった。
私だって、本当に誰かが倒れると思って言ったわけじゃない。
ただ
このまま全員が意地を張って、誰も引かず、誰も譲らず、
互いに相手が折れるのを待ち続けたら
『いつか、取り返しのつかないことになる』
そんな嫌な感じだけが、どうしても消えなかった。
窓の向こうでは、イングランドの空が重く曇っていた。
海の向こうで何が起きているのか、私はまだ知らない。
そして次の報せが届くまで、知ることもできなかった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




