第138話:和平の使者、帰る理由がなくなった件
あんまり出てこないジェフリーの考え回
ジェフリーは、和平の使者として若ヘンリーの陣営へ入った。
少なくとも、父ヘンリー二世から与えられた役目はそうだった。
若ヘンリーとアキテーヌの諸侯を説得し、これ以上戦を広げないよう
話をまとめる。相手の条件を聞き、必要なら父のもとへ持ち帰る。
それだけのはずだった。
「父上は、これ以上の内撃ちは望んでいない」
集まった者たちを前に、ジェフリーは淡々と告げた。
そこには若ヘンリーだけではなく、
リチャードの統治に反発するアキテーヌの諸侯たちもいる。
彼らは誰も、すぐには返事をしなかった。
やがて若ヘンリーが口を開く。
「それで、父上は何を寄越すつもりなんだ?」
「停戦に応じるなら、こちらも条件を聞く用意はあるそうです」
若ヘンリーは鼻で笑った。
「条件を聞く、か」
その言い方だけで、ジェフリーには兄が何を考えているのか分かった。
父は話を聞く
事情も聞く
不満も聞く
そして最後には、自分が正しいと思った答えを出す。
相手がその答えに納得しているかどうかとは、別の話だ。
「父上は昔からそうだ」
若ヘンリーは吐き捨てるように言った。
「聞くことは聞く。考えるとも言う。だが、最後に決めるのはいつも自分だ」
ジェフリーは否定しなかった。
否定できなかった。
「リチャードは?」
若ヘンリーが尋ねる。
「父上の援軍を得ています」
その場の空気が、少しだけ重くなった。
ジェフリーは黙ったまま、そこにいる者たちの顔を眺めた。
やはり、父とリチャードが組んだ。
ならば、このまま進めばどうなるか。
父には軍がある。
金もある。
そして何より、戦争になった時のあの男は恐ろしく強い。
そこへリチャードが加わる。
アキテーヌで何年も戦い、この土地の道も城も、諸侯たちの癖も知っている男だ。
正面からぶつかれば、こちらが楽に勝てる相手ではない。
むしろ、このままなら父とリチャードの側へ天秤が傾く。
”では、その先はどうなる?”
若ヘンリーは、さらに立場を失う。
父は、自分の判断が正しかったと思うだろう。
リチャードは、今まで以上にアキテーヌで強くなる。
そして自分は………
また、父親の決めた場所へ戻る。
ブルターニュがある。
妻もいる。
守るべきものもある。
だからこそ、兄二人のどちらか一人が強くなりすぎるのは困る。
若ヘンリーが圧倒的な勝者になっても困る。
リチャードが父の力を借りてアキテーヌを完全に押さえ込んでも困る。
父がすべてを自分の手の中へ戻してしまえば、もっと困る。
ジェフリーが欲しいのは、誰か一人の勝利ではなかった。
誰も一人では全部を決められない状態。
互いに牽制し合い、誰かの力を必要とする状態。
その中でこそ、自分の立場にも意味が生まれる。
「ジェフリー」
若ヘンリーが呼んだ。
「何です?」
「お前は父上のところへ戻るのか」
ジェフリーは兄を見た。
言葉通りの質問ではないことくらい、分かっている。
父の使者として帰るのか。
それとも、ここに残るのか。
周囲の諸侯たちも黙って答えを待っていた。
ジェフリーは少しだけ考えた。
父のもとへ戻れば、停戦条件を伝えることになる。
父が聞く
父が考える
父が決める
そして自分は、その決定に従う
”いつも通り”だ。
「……父上は」
ジェフリーは静かに口を開いた。
「私なら話をまとめられると思っているようです」
若ヘンリーが眉を上げる。
「違うのか?」
「半分は合っています」
ジェフリーは少し笑った。
「話を聞くことはできます」
父は、自分に判断力があると思ったから使者に選んだ。
ならば、その判断力を使えばいい。
父親の望む答えを持ち帰るためではなく、
自分が最も損をしない答えを選ぶために。
「しばらく、ここに残ります」
若ヘンリーが目を細めた。
「父上は怒るぞ」
「でしょうね」
「かなり」
「知っています」
それでも、ジェフリーは席を立たなかった。
父とリチャードへ傾き始めた天秤を、少し戻す。
若ヘンリーを勝たせたいわけではない。
リチャードを潰したいわけでもない。
父を倒したいわけでもない。
ただ、誰か一人にすべてを握らせる気はなかった。
それが、自分にとって一番都合がいい。
「父上には、何と伝える?」
若ヘンリーが尋ねた。
ジェフリーは少し考えた。
「何も」
「何も?」
「ええ」
ジェフリーは目の前の地図へ視線を落とした。
「どうせ、すぐ分かるでしょう」
和平のために送り出された三男は、自分なりに状況を考え抜いた末に、
父親のところへ帰らないことを選んだ。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




