第136話:十年前の再放送、ただし標的は息子の一人
大体ヘンリーのせい
オールド・サラム城塞。
冷たい雨が窓を叩く午後、私は机いっぱいに広げた羊皮紙の切れ端と、
商人たちから拾い集めた断片的な報せを睨みつけていた。
正式な報告書なんて、当然こちらには回ってこない。
ボルドーから来た商人の話。
ノルマンディーを通った旅人の噂。
荷物に紛れて届いた短い書き付け。
そういうものを一つずつ繋ぎ合わせて、
ようやく外で何が起きているのかが見えてくる。
その作業を何度繰り返しても、出てくる答えは同じだった。
「……ねえ、侍女長。もう一回言って」
「はい」
侍女長は少し困った顔をしながら、手元の覚え書きを見た。
「若王アンリ殿下とジェフリー殿下が、アキテーヌ方面の諸侯と
接触しておられるようです。
リチャード殿下の統治に不満を持つ者たちも、これに呼応しているとのことです」
「……つまり?」
「若王殿下とジェフリー殿下、それにアキテーヌの反リチャード派諸侯が、
同じ側に集まりつつある、ということでございます」
私はしばらく黙った。
それから、ゆっくり両手で顔を覆った。
「お前ら……」
侍女長が身構える。
「十年前の大反乱を、今度は兄弟相手にそのまま
再放送してんじゃないわよォォォォ!!」
思わず机を叩いた。
十年前。
若ヘンリーも、リチャードも、ジェフリーも、それぞれ違う不満を抱えながら
、それでも父ヘンリー二世という巨大な共通敵を前にして手を組んだ。
そこへフランス王や諸侯が乗っかり、
利害だけで出来上がった巨大な反ヘンリー連合が完成した。
そして今。
若ヘンリーは王として認められたい。
ジェフリーは自分の立場を守りたい。
アキテーヌの諸侯はリチャードの締め付けを弱めたい。
理由は全員バラバラなのに、
「リチャードが邪魔」
という一点だけで見事に集まっている。
「相手を親父から弟に変えただけじゃないの!」
私は頭を抱えた。
「何なのよ、この家!
共通の敵を作ってまとまる方法だけ十年間で異様に上達してるじゃない!」
「……否定はいたしかねます」
「そこは否定してよ!」
だが、叫んでいるうちにふと、何かが引っかかった。
私は顔を上げる。
「……待って」
侍女長がこちらを見る。
「今回の標的って、本当にリチャードなのよね?」
「はい」
「若ヘンリーとジェフリーが、アキテーヌの諸侯まで味方につけて、
リチャードと戦おうとしてるの?」
「そのようでございます」
その瞬間、さっきまでの怒りがすっと引いた。
代わりに、胸の奥へ冷たいものが落ちていく。
十年前は、三人一緒だった。
まだ若くて、何をやっているのかも半分分からないまま、
それでも兄弟三人で同じ方向を向いていた。
若ヘンリーも
リチャードも
ジェフリーも
一緒に父親へ反抗して、一緒に失敗して、一緒に叱られた。
その三人が
今度は、二人で一人を敵に回そうとしている。
「……嫌だな」
思わず、ぽつりと漏れた。
侍女長は何も言わなかった。
私は机の上の羊皮紙へ目を落とした。
もちろん、若ヘンリーの気持ちがまったく分からないわけじゃない。
王冠を被っているのに、実際の権限は少ない。
長男なのに、弟から主君として認めてもらえない。
しかも父親は、いつ何をどこまで渡すのか、
相変わらず全部自分の頭の中だけで決めている。
不安にもなるだろうし、腹も立つだろう。
ジェフリーだって、自分のブルターニュを守らなければならない。
ジョンももう子どもではないのに、いまだに大きな所領を持たず、
父親が将来どう扱うつもりなのか誰にも分からない。
その不透明さが、兄たちの疑心暗鬼をさらに煽っていることも分かる。
分かる。
そこまでは分かる。
でも。
「……アキテーヌなのよ」
私は窓の向こうを見た。
雨に煙る灰色の空の、そのさらに向こう。
あそこに、私の”故郷”がある。
前世の記憶も、未来の歴史もろくに知らない私が、この時代に放り込まれて、
それでも唯一「これは私のものだ」と胸を張って言えた土地。
ルイと結婚していた時も、
ヘンリーと結婚してからも、
”何があっても手放したくなかった場所”。
そして今
私が帰れない間、そこを守っているのがリチャードだ。
あの子は、ただ私の息子というだけではない。
私の子どもたちは全員可愛い。
アンリも、ジェフリーも、ジョンも、もちろん大切だ。
でも、リチャードとはそれだけじゃない。
あの子とは、一緒にアキテーヌを見てきた。
南の風も
葡萄の匂いも
扱いにくい領主たちも
あの土地がどれほど広く、どれほど面倒で、どれほど美しいかも
『知っている』
そして、私がいなくなったあとも、あの子はそこに残った。
反乱を鎮め
城を落とし
恨まれながらも統治を続け
いつの間にか「母親の留守番」ではなく、
自分自身の足でアキテーヌに立つ公爵になった。
「……そこを」
私は窓枠へ手を置いた。
「そこを、兄弟喧嘩の戦場にするの?」
胸の奥で、何かが切れた。
「王なのに弟に臣従されないのが悔しい? 長男として立ててほしい?
親父が何を考えてるか分からなくて不安?」
私は吐き捨てた。
「分かるわよ。そこまでは分かるわよ、アンリ」
けれど、次の言葉は自分でも驚くほどはっきり出た。
「だからって、リチャードを潰していい理由にはならないでしょうが」
侍女長が黙ってこちらを見る。
「まして、アキテーヌまで巻き込むなら話は別よ」
私は拳を握った。
「今回は、私はリチャードの味方」
口にした瞬間、不思議なくらい迷いはなかった。
母親として公平でいよう
全員の話を聞こう
全員を止めよう
そう思ってきた。
でも、今回だけは無理だった。
「アキテーヌを守っているあの子の側に立つ。そこだけは譲らない」
そう言ってから、私は苦笑した。
「……立つって言っても、ここから一歩も出られないんだけどね」
言葉にした途端、現実が戻ってくる。
私はイングランドにいる。
扉の外には衛兵がいる。
自由に手紙も送れない。
軍を動かすどころか、リチャードに「母上は味方だ」と伝えることすら、
簡単ではない。
「……何もできないじゃない」
悔しさがこみ上げた。
そこへ侍女長が、もう一枚の紙を取り上げた。
「あの、王妃殿下」
「何?」
「続きがございます」
「まだあるの?」
「ヘンリー陛下が、リチャード殿下を支援するため南下されたとの報せが」
私は止まった。
「……え?」
「リチャード殿下から援軍を求められ、
陛下ご自身も軍を率いてアキテーヌ方面へ向かわれた、と」
数秒。
本気で理解できなかった。
「……そこは助けるの?」
「そのようでございます」
「いや、助けてくれていいのよ?」
「はい」
「むしろ助けなさいよ。親なんだから」
「はい」
「でもさ」
私はゆっくり立ち上がった。
侍女長が一歩下がる。
「そもそも誰が『兄に臣従しろ』って無理やり序列決めようとしたの?」
「……陛下でございます」
「誰がリチャードの自尊心を全力で踏み潰したの?」
「……陛下でございます」
「誰がアンリに『お前が兄で王なんだから従わせろ』みたいな空気作ったの?」
侍女長は答えなかった。
私は両手で机を叩いた。
「お前が火をつけたんじゃろが!くそがァァァァァ!!!!」
城塞中に響きそうな声が出た。
「自分で油撒いて! 火花散らして! 燃え上がったら
『大変だ! リチャードを助けなければ!』
って消火活動に走ってんじゃないわよ!! 何してんのよ、あの男!!」
「王妃殿下、どうかお声を」
「無理!」
もう無理だった。
「兄弟の序列を整えようとしたら兄弟戦争になって!
その兄弟戦争止めるために本人が軍隊連れて南下してるって、
完全に自作自演の災害じゃないの!」
侍女長は何とも言えない顔をしている。
私は頭を抱えた。
ヘンリーは、リチャードを見捨てているわけではない。
むしろ、本当に危険になれば助けに行く。
息子への情がないわけでもない。
”だから余計に始末が悪い”
「……愛情はあるのよねぇ」
私は深いため息をついた。
「あるのに、なんで運用がこんな壊滅的なのよ」
それが、「ヘンリー二世という男」なのだ。
息子たちを大切に思っていないわけではない。
家族を守りたい気持ちもある。
なのに、自分が一番正しく全体を動かせると信じて、
全部を自分で決めようとする。
そして誰かが反発すると、さらに力で押さえようとする。
その結果。
『火事になる』
そして本人が消火に走る。
「……もう嫌、この家」
私は椅子へ沈み込んだ。
それでも…
ヘンリーがリチャードの側へ向かったと聞いて、
胸の奥が少しだけ軽くなったのも事実だった。
少なくとも、あの子は完全に一人ではない。
私は動けない
でも、父親は動いた
なら今は、それに賭けるしかない。
「……ヘンリー」
私は雨の向こうを睨んだ。
「今回はちゃんと消しなさいよ」
自分で火をつけたんだから、最後まで責任持って。
世界史八点ちゃんは、遠いアキテーヌで始まった家族総出の大火災が、
これ以上燃え広がらないことを祈りながら、
盛大な頭痛を覚えて額を押さえたのだった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




