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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第130話:息子たちが権限争いしている頃、娘は普通に国を回していました

マリーはリチャードやジェフリーとは仲が良かったようです。

シャンパーニュ伯領、トロワ。

宮殿の執務室には、羽ペンが羊皮紙の上を走る乾いた音が絶え間なく響いていた。


「定期市の商人からの関税免除申請、承認。橋の修繕費は高すぎるから

詰め直して再提出。巡回警備は騎士団のサボりを減らして頭数を揃えなさい。次」


「は、はい!」


机の前に並んだ書記官たちは、次々に書類を差し替えていく。


その向こう側に座っているのは、シャンパーニュ伯妃マリー。


夫アンリ一世が聖地へ旅立って以降、領国を預かり、

その夫が帰らぬ人となった後は、幼い息子のために

そのまま政務を担い続けている。


一息ついたところで、マリーは冷めた飲み物を口に含み、

空になった杯を机へ置いた。


「……で?」


部屋の隅に立つ古参の侍従へ視線を向ける。


「さっきから、何か言いたそうにしてるでしょう」


侍従は小さく咳払いをした。


「商人筋から、ノルマンディーとアキテーヌ方面の話が入りまして」


マリーの眉がぴくりと動いた。


「アンリたち?」


「……はい」


「また揉めてるの?」


「そのようでございます」


マリーはしばらく黙ったあと、眉間を指先で揉んだ。


「……あの子たち、暇なの?」


「いえ。恐らく、暇ではないかと」


「じゃあ仕事しなさいよ、仕事!」


机を軽く叩く。


「『父上が実権をくれない』だの、『自分の取り分はどうなる』だの、

集まるたびに似たようなことで揉めて。誰かに与えてもらうのを

待ってないで、目の前にある仕事を片づければいいでしょうに」


侍従が苦笑した。


「伯妃様は、若君方と幼少期を共にされたわけではございませんのに、

随分とお詳しいのでございますね」


「何年か前、あの子たちが父親に反抗して

パリへ転がり込んできた時のことを忘れたとでも?」


マリーは呆れた顔で天井を見上げた。


「アンリなんて、ほとんど初対面みたいなものだったのに、

勝手に私の部屋へ入ってきて、置いてあった焼き菓子を食べながら

『姉上、父上が酷いんだ』って延々愚痴ってたのよ」


「……若王殿下が」


「ええ。どこが華やかな若き王よ。中身は普通に甘えん坊だったわ」


侍従が返事に困って黙る。


「リチャードはもっと酷かったわね。最初は『近づくな、噛むぞ』

みたいな顔でこっちを睨んでたくせに、母上から昔もらった手紙を

見つけた途端、急に静かになったのよ」


マリーは思い出し笑いを浮かべた。


「さっきまで狂犬みたいだった男が、急にお茶を両手で持って黙り込むの。

何なの、あの落差」


「……想像がつきませぬ」


「私も目の前で見なかったら信じないわ」


そしてマリーは、少しだけ嫌そうな顔をした。


「一番面倒なのはジェフリーね」


「三男殿でございますか」


「兄二人が騒いでる間に、勝手に私の机の上の帳簿を覗き込んで、

『姉上、ここだけ数字の付け方が違いますけど、誰か誤魔化してません?』

って言ったのよ」


侍従が目を瞬かせた。


「お幾つの頃で?」


「十四か、そのくらい」


「……」


「十四の子どもが、よその領地の帳簿見て不正の気配を拾うんじゃないわよ。

怖いでしょうが」


思い出すだけで頭が痛い。


同じ家で育ったわけではない。

幼い頃から姉弟として暮らしてきたわけでもない。


それでも、何度か顔を合わせ、言葉を交わし、騒動に巻き込まれているうちに、

いつの間にかマリーにとって彼らは「母のところの子どもたち」ではなく

、普通に面倒な弟たちになっていた。


「まあ、ジェフリーは話が通じる時もあるのよ。

『姉上は一人で国を回してるのに、うちの兄上たちは何を揉めてるんですかね』

とか言って」


「……それは、ごもっともなような」


「でしょう?」


マリーは大きくため息をついた。


「でも結局、全員手がかかるのよ」


机の引き出しを開ける。

中には、何重もの人の手を経て、海の向こうから届いた短い手紙がしまってあった。


母、アリエノールからのものだ。


内容は長くない

体調のこと

娘や孫のこと

そして最後には、やっぱり政務についての小言が少しだけ書かれている。


『帳簿は人任せにしすぎないように』


マリーはそれを見て、苦笑した。


「……ほんと、こういうところだけは変わらないのね」


母と暮らした日々の記憶は、もう断片的だった。


アキテーヌを治める母の背中を見て育ったわけでもないし、

母のようになろうと思ったこともない。


それでも今、自分もまた夫のいない土地で、幼い息子を守りながら、

諸侯と商人と書類の山を相手に毎日を回している。


泣き言を言っても、誰かが代わってくれるわけではない。

自分が止まれば、領地の仕事も止まる。


”なら、やるしかない”。


マリーは手紙をしまい、羽ペンを取り直した。


「……はい、愚痴は終わり」


「はっ」


「次の書類を持ってきなさい。あの子たちがまた何かやらかして

泣きついてきても、多少の援助くらい鼻で笑って出せる程度には、

シャンパーニュの金庫を潤しておかないとね」


侍従は一瞬だけ笑い、それから深く頭を下げた。


「承知いたしました、伯妃様」


母の背中を見て育ったわけではない。

母と同じ生き方を選んだつもりもない。


それなのに気づけば、同じような顔で帳簿の山を睨みながら、

男たちの騒ぎを横目に自分の領地を回している。


血というものは、案外しぶといらしい。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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