第129話:親父の言い分、かなり合理的(※ただし家庭内では最悪)
ワンマン社長というか、頑固おやじというか?
ルアン、国王執務室。
夜更けの静かな部屋で、ヘンリー二世は机いっぱいに広げられた帳簿と書状を、
次々に確認していた。
ノルマンディーの防衛費。イングランドから届いた収入の報告。
南から送られてきたアキテーヌの情勢。各地の城塞、軍役、領主たちの動向。
広大な領地から集まってくる情報は膨大だったが、
ヘンリーの頭の中では驚くほど正確に整理されている。
何が足りないのか。
どこに火種があるのか。
誰が信用できて、誰を見張る必要があるのか。
そういうことを考えさせれば、この男は恐ろしく強かった。
「……ふむ」
ヘンリーは一通の報告書へ目を落とした。
息子たち三人が、ルアン近郊の狩猟用の館で顔を合わせていたらしい。
それを読んで、ヘンリーはしばらく黙った。
そして、心底不思議そうに呟いた。
「……あいつらは、いったい何が不満なのだ?」
部屋の隅に控えていた古参の側近が、ほんの少しだけ目を伏せた。
”また始まった”
国を動かすことに関しては抜群に有能なくせに、
息子たちの話になると急に「私は十分やっているだろう」という顔になる。
ヘンリーは報告書を机へ置き、指を一本ずつ折りながら整理し始めた。
「アンリは、すでに共同国王として戴冠している。
将来、イングランドとノルマンディーを継ぐ立場なのは明らかだ」
一本。
「リチャードには、アリエノールのアキテーヌを任せている。
あれだけ広い土地で、好きなだけ腕を振るっているではないか」
二本。
「ジェフリーも、コンスタンスとの婚姻を通じてブルターニュで立場を持っている」
三本。
そして最後に、小さく眉を寄せる。
「ジョンには、まだまとまった所領がない。だからこそ、
いずれ相応のものを与えなければならん」
ヘンリーは腕を組んだ。
「それぞれに将来は用意している。何も与えていないわけではない。
それでも足りないというのか」
側近は答えなかった。
答えられなかった、と言った方が正しい。
ヘンリーの言葉には、確かに理屈がある。
若ヘンリーには王冠がある。
リチャードにはアキテーヌがある。
ジェフリーにはブルターニュでの立場がある。
ジョンにも、いずれ何かを与えなければならない。
誰か一人だけを露骨に切り捨てているわけではない。
だが問題は、そこではなかった。
「アンリが早く実権を欲しがっていることは分かっている」
ヘンリーは続けた。
「だが、今すぐあれに好きなだけ金と権限を持たせれば、どうなると思う」
側近は沈黙した。
「トーナメントへ出て、派手に金を使う。気前よく振る舞い、
周囲に持ち上げられ、また金が足りないと言い出す。それでは困る」
口調は冷静だった。
感情で否定しているわけではない。
本気で危険だと考えているのだ。
「だから、まだすべてを任せるわけにはいかん」
ヘンリーは次に、別の書状へ目を落とした。
「リチャードも同じだ。アキテーヌでよく働いていることは認めている。
反抗的な領主どもを押さえ込み、現地で結果を出している」
少しだけ、口元に満足げな色が浮かぶ。
「だが、あれは力で押し切りすぎる。若い。血の気も多い。
全てを好きにさせれば、必要以上に敵を増やす可能性がある」
これも、まったく根拠のない心配ではない。
だからこそ、ヘンリーは思う。
まだ早い。
もう少し見ておくべきだ。
もう少し自分が最終判断を握っていた方が安全だ。
それは彼自身の中では、至って筋の通った結論だった。
「私が見ているうちは、大きく間違えることはない」
ぽつりと呟く。
側近は、その言葉を聞いてから、慎重に口を開いた。
「……陛下のお考えには、確かに道理がございます」
「だろう」
「ですが」
ヘンリーの眉がわずかに動いた。
側近は一度息を整えてから続けた。
「殿下方は、”陛下が何をお考えなのか分からぬこと自体”を、
恐れておられるのではございませんか」
「分からぬ?」
「はい」
側近は言葉を選ぶ。
「いつ、何を任されるのか。何を期待されているのか。
どこまでが自分の裁量なのか。そして、将来の取り決めが変わる可能性があるのか」
ヘンリーは黙った。
「殿下方から見れば、陛下は多くのことを決めておられます。
しかし、その理由や先々のお考えが、いつも十分に伝わっているとは限りませぬ」
しばらく沈黙が続いた。
やがてヘンリーは、少し心外そうに鼻を鳴らした。
「何を言う。必要な時には説明している」
側近は一瞬、返事に詰まった。
「……恐れながら、陛下」
「何だ」
「陛下にとっての『必要な時』とは、具体的にはいつなのでございましょうか」
ヘンリーはごく自然に答えた。
「私が必要だと思った時だ」
「…………」
側近は静かに目を閉じた。
そこなのだ。
まさにそこなのだが。
ヘンリー本人には、その答えの”何が問題なのか分かっていない”。
彼は説明を拒んでいるつもりはない。
必要だと判断すれば話す。
決めるべき時には決める。
危険だと思えば止める。
任せられると思えば任せる。
『ただし、その基準はすべて自分の中にある。』
相手がいつ知りたいのか。
いつ任せてほしいのか。
何を不安に思っているのか。
そういうものより先に、「自分が正しい時機を判断する」という考えがある。
国を動かす時には、それでうまくいくことも多い。
だが家族は、領地でも軍隊でも帳簿でもない。
息子たちはもう、自分の判断だけで動く子どもではなかった。
それぞれが自分の立場を持ち、自分の不満を抱え、
自分の未来を考える年齢になっている。
それでもヘンリーは、まだ心のどこかで思っていた。
最終的には自分が見ていた方が安全だ、と。
「……では、この件はしばらく様子を見る」
ヘンリーは再び書類へ手を伸ばした。
「三人が会っていたからといって、すぐに何か起こるわけでもあるまい」
「……左様でございますか」
「不満があるなら、そのうち言ってくるだろう」
側近は、今度こそ何も言わなかった。
父親への不信を抱えたまま、息子たちが互いの腹まで探り始めていること。
そして、その不信の一部が
「何を考えているのか分からない父親」
自身から生まれていること。
ヘンリーは、まだ深刻には受け止めていなかった。
政治と軍事の場では、誰より早く火種を見つけて潰す男が
家庭の中でだけは火種が自分の足元にあることに、なかなか気づかなかった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




