第124話:ちょっと待って、私が閉じ込められてる間に全員勝手に成長してない?
実際長生きするよね
オールド・サラム城塞、上階の客室。
暖炉の前で、私は羊皮紙の束を絨毯の上にずらりと並べ、
両膝を抱えてじっと見つめていた。
「……ねえ、侍女長」
「はい、王妃殿下」
「ちょっと待ちなさいよ。私がこの雨ばっかり降る島で
引きこもりを極めてる間に、全員、勝手に成長して勝手に揉めてない?」
「……左様に見受けられます」
侍女長が至極淡々と相槌を打つ。
ここ数年、娘たちからの手紙、商人の噂話、たまに届く
領内の断片的な情報をパズルのようにつなぎ合わせた結果、
家庭内の情報量があまりにも過密になっていた。
元OL、久々の家庭内プロジェクト進捗確認である。
私は羊皮紙を指先でトントンと叩きながら、頭の中の相関図を整理し始めた。
「まず、長男の若ヘンリー」
王冠を被っているのに仕事がない「名ばかり副社長」。
「相変わらず実権はほとんどないまま、各地のトーナメントで名声を稼いで、
派手に金を使って、借金まで作ってるらしいわね。
挙句の果てに、他所の家の戴冠式を見て
『なんであいつには仕事があるんだ』
って拗ねてるとか……完全にこじらせた長男ムーブじゃないの」
「続きまして、リチャード殿下」
「アキテーヌの現場で泥まみれになってる実質工場長ね」
私は別の羊皮紙を指した。
「反乱諸侯を叩き、城を押さえ、領地を立て直して、
必死に収入を確保してる。その一方で、兄の借金の後始末に
王家の金が使われたと聞いて、父親と兄に不満を募らせている、と」
まあ、そうなる。
現場で働いている側から見れば、兄が華やかなトーナメントで
歓声を浴びている間に、自分は泥と血と帳簿にまみれている。
そこへ金まで持っていかれたように見えれば、面白いわけがない。
「三男のジェフリーは?」
「ブルターニュにて、兄君方の動向をよく見ておられるようでございます」
「相変わらず一番読みにくいわね、あの子」
私は眉をひそめた。
「若ヘンリーみたいに全部顔に出すでもないし、リチャードみたいに
真正面から怒るでもない。絶対、自分の立場が一番得になる形を考えてるでしょ」
「そして、末子のジョン殿下は、陛下のお側でお育ちになっていると」
「そこが一番危なっかしいのよ」
私はため息をついた。
「上の兄たちがそれぞれ不満を抱えてる横で、末っ子だけ
父親のそばですくすく育ってるんでしょ。ジョン本人は何も悪くないけど、
兄弟間の感情って、そういうところからこじれるのよ」
そして、息子たちだけではない。
娘たちの人生も、私の知らないところでどんどん進んでいた。
長女マリーはシャンパーニュの宮廷で文化人や詩人たちに囲まれながら、
夫の不在時には領地経営にも関わっている。
次女アリスも、ブロワ伯夫人として自分の宮廷を持ち、
すでに完全に別の家の人間として暮らしている。
マティルダの夫ハインリヒ獅子公は、神聖ローマ皇帝との関係が
どんどん悪くなっているらしい。
レオノールは遠いカスティーリャで王妃となり、スペインの強い日差しの下、
こちらとはまるで違う宮廷で暮らしている。
そして末娘ジョーンは、さらに遠いシチリアで王妃になり、
海の見えるパレルモから手紙を送ってくる。
「……娘たちまで、全員それぞれの国で人生進めてるんだけど」
「皆様、ご立派に成長されました」
「それはそうなんだけどさあ」
複雑だった。
嬉しくないわけではない。
むしろ、元気に生きているなら、それで十分だと思う。
ただ少しくらい、母親にも途中経過を見せてほしかった。
そして極めつけが、お隣のフランスである。
元夫ルイは体調を崩し、十四歳になったフィリップがランスで王冠を戴いた。
「で、大元の元凶であるヘンリー二世は?」
「相変わらず、重要な決裁の多くをご自身で握っておられるようです」
「……でしょうね」
私は深々と頭を抱えた。
「何この一家。私がいない方が話進んでない?」
私がポワティエで「話し合いなさい」と走り回っていた頃より、
よほど大きく、よほど勝手に、全員の人生が前へ進んでいる。
若ヘンリーは名声に逃げ。
リチャードは領主として鍛えられ。
ジェフリーは状況を見ることを覚え。
ジョンは父親のそばで育ち。
娘たちは、それぞれの国で妻となり、王妃となり、伯夫人となっている。
そして私は……
そのほとんどを、遠くから聞くだけだった。
「……みんな、大きくなったのよね」
呟いてから、私は膝の上の羊皮紙を一枚、指先でそっとなぞった。
若ヘンリーの背丈が今どれくらいなのか、私は知らない。
リチャードが戦場でどんな顔をしているのかも、自分の目では見ていない。
ジェフリーが大人びた声でどんな話し方をするようになったのかも、
ジョンが今どれほど父親に懐いているのかも、
娘たちが夫や子供の前でどんな表情を見せているのかも。
私は母親なのに、その成長のほとんどを見届けていない。
暖炉の薪が静かに爆ぜた。
部屋は暖かい。
食事も悪くない。
寝具も整っている。
それでも、”ここから出られない”。
その事実だけは、何年経っても変わらない。
「……やっぱり、出られないんだよな」
自分でも驚くほど、小さな声が出た。
どれだけ快適でも、
私はここに閉じ込められている。
『子どもたちの人生の中へ、自由に戻っていくことはできない』
そう思うと、胸の奥が少しだけ痛んだ。
私はしばらく黙っていた。
それから、息を吐いて膝を叩いた。
「……まあ、考えても出られないもんは出られないしね」
侍女長がこちらを見る。
私は立ち上がった。
湿っぽくなっていても、扉が開くわけではない。
なら、今できることをするしかない。
「侍女長」
「はい」
「今日の夕飯、何?」
「鹿肉のローストに、果実を煮詰めたソースを添えたものと、
カブのスープにございます」
「よし。ソース多めにしてもらって。あと、ちょっと冷えてきたから薪も足して」
「かしこまりました」
私は絨毯の上に広げていた羊皮紙を、一枚ずつまとめ始めた。
『長生きしてやる』
あの子たちがこれからどんな人生を選ぶのか。
ヘンリーが最後まで何も手放さず、一人で全部抱え込むつもりなのか。
そして、この家族が最後にどこへ辿り着くのか。
それを見届けるまでは”絶対に元気で生きていてやる”。
私は最後の羊皮紙を束ねると、
夕食を美味しく食べるために、さっさと席を整え始めた。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




