第120話:息子の推し活代、親会社へ請求される(※社長ブチ切れ)
今でもあるわなこういうの(2回目)( ˘ω˘ )
ノルマンディー公領ルーアン、国王執務室。
窓の外には穏やかなセーヌ川が流れ、
室内には羊皮紙をめくる規則正しい音だけが響いていた。
ヘンリー二世は、すこぶる機嫌が良かった。
大反乱は叩き潰した。スコットランド王は屈服させた。
フランス王ルイもいったん引き下がり、妻のアリエノールは
海の向こうへ移して、少なくとも当面は政治の中心から切り離してある。
領地経営は順調。
諸侯も、今のところは大人しい。
帝国は再び、自分の手の中に戻った。
ヘンリーは書類へ目を通しながら、内心ひどく満足していた。
結局のところ
自分が全部見て、自分が全部決め、自分が全部動かすのが一番早い。
そう確信していた。
――そこへ。
執務室の扉が、妙に遠慮がちに開いた。
「陛下」
長年、王室財政に関わってきた古参の財務官が、
何とも言えない顔で入ってくる。
「少々、ご決裁いただきたい件がございます」
「何だ。また教会の免税特権か?」
ヘンリーは書類から顔も上げなかった。
「それなら却下だ」
「いえ。その……若王殿下についてでございます」
ヘンリーの手が止まった。
「アンリが?」
ようやく顔を上げる。
「また何をした」
「金銭の件で」
「…………」
嫌な予感がした。
非常に嫌な予感がした。
「出せ」
差し出されたのは、何枚もの羊皮紙を束ねた会計記録だった。
ヘンリーは一枚ずつめくる。
トーナメント遠征に同行する騎士や従者の維持費。
馬具や武具の補修
壊れた槍や盾の補充
衣服
宴席
贈答
吟遊詩人への報奨
そして、各地の商人や貸し手からの借財
最後に…
見覚えのある長男の筆跡で、実に堂々とこう書かれていた。
『王としての威信を維持するため、収入の増額を願う』
「…………」
ヘンリー二世の顔から、ゆっくりと表情が消えた。
財務官は一歩だけ後ろへ下がった。
ヘンリーは深く息を吸った。
それは、怒鳴る直前の男がする呼吸だった。
「何の威信だァァァァァァァッ!!」
机が大きく揺れ、インク壺が危うく倒れかけた。
「馬に乗って槍を振り回し、騎士どもに酒を奢り、
気前よく金をばら撒くことが王の威信だとでも言うのか!? ただの道楽だろうが!!」
「陛下」
「何だ!」
「少々、お声を」
「これが静かに話していられるか!!」
ルーアン城の一角に、国王の怒号が響き渡る。
ヘンリーは会計記録を机へ叩きつけた。
「金は与えている! 城も与えた! 収入も以前より増やした!
それで足りないから借金だと!? あいつは何を考えている!」
財務官は、しばらく黙ってから慎重に口を開いた。
「しかし陛下。若王殿下は、すでに正式に戴冠された王でもございます」
「それがどうした」
「王としての体面を保つには、相応の家政を構え、騎士を従え、
贈答や歓待を行う必要がございます。
まったく金を使わずに済む立場ではございません」
「だから、それを見越して金を出していると言っている!」
「その額が十分かどうかは……」
「十分だ!!」
即答だった。
財務官は目を伏せる。
「ですが、若王殿下ご本人は、そうはお考えでないようでして」
「だから借金していいことにはならんだろうがァァァァァッ!!」
今度の怒鳴り声には。
海の向こうのオールド・サラムで、同じ頃。
『仕事を渡さず王としての体面だけ要求したら、
そりゃ金はかかるでしょうが! でも借金はすんなバカ息子!!』
と頭を抱えているアリエノールの魂が、奇跡的に完全一致していた。
夫婦の結論は同じである。
ただし、そこへ至る道筋は真逆だった。
アリエノールは、王として祭り上げた以上は、
それなりの権限と予算を与えろと思っている。
ヘンリー二世は、すでに予算は与えているのだから、
その範囲でやりくりしろと思っている。
そして若ヘンリーは若ヘンリーで、王冠を戴いているのに
実際の政治はほとんど父親が握ったままだという不満を抱えている。
全員に、それぞれ言い分はある。
そして全員、少しずつ面倒くさい。
それがプランタジネット家である。
ヘンリーは荒い息を吐きながら、机へ両手をついた。
「……マーシャルは何をしている」
財務官が瞬きをする。
「は?」
「ウィリアム・マーシャルだ。あれを側に置いているだろう。なぜ止めない」
「止めてはおられるようです」
「もっと止めろ!」
「止まらないそうです」
「なぜだ!」
財務官は、どう答えるべきか少し迷った。
「……若王殿下ですので」
ヘンリーのこめかみに血管が浮いた。
「王なら帳簿くらい読め!!」
また机が鳴った。
しばらくして
ようやく怒鳴り疲れたヘンリーは、椅子へどっかりと腰を落とした。
肩で息をしながら、乱暴に髪を掻き上げる。
財務官は、その姿を見届けてから最も言いたくない話を切り出した。
「……それで、陛下」
「まだ何かあるのか」
「若王殿下からの、収入増額のご要求については」
「却下だ」
「承知いたしました」
「一ペニーたりとも増やさん」
「では」
財務官は、手元の会計記録を整えた。
「すでに生じております借財については、いかがいたしましょう」
ヘンリーの顔が止まった。
「……本人に払わせろ」
「それができれば、私どもも苦労はいたしません」
「ならば、払えないものは払えないと突っぱねろ」
財務官は困ったように眉を下げた。
「若王殿下の借財を完全に放置すれば、今後、王家との
取引そのものを警戒する商人が出ても不思議ではございません。
殿下一人の問題では済まなくなる可能性がございます」
「…………」
ヘンリーは黙った。
払いたくない。
あんな息子の道楽の後始末など、一銭たりとも引き受けたくない。
それが”本音”だった。
だが若ヘンリーはただの放蕩貴族ではない。
自分の息子であり、
正式に戴冠された若王であり、
何よりプランタジネット家の看板を背負っている。
その信用が落ちれば
困るのは、結局こちらなのだ。
「……あいつ……」
ヘンリーは両手で顔を覆った。
戦争なら勝てる。
反乱なら叩き潰せる。
諸侯なら従わせられる。
フランス王とだって渡り合える。
なのにどうして。
実の息子の帳簿一つで、こんなにも頭を抱えなければならないのか。
「……払う」
財務官が静かに聞き返す。
「よろしいので?」
「全部そのまま払えとは言っていない。交渉しろ。
減らせるところは減らせ。条件も見直せ。
払うにしても、こちらの損を最小限にしろ」
「かしこまりました」
財務官は一礼した。
そして退室しかけたところで、背後から低い声が飛んできた。
「それと」
「はい」
「アンリには、二度と同じ真似をするなと伝えろ」
財務官は少しだけ迷った。
「……お聞きになるでしょうか」
ヘンリーは机に突っ伏した。
「聞かせろ」
「はい」
「何としてでも聞かせろ……」
その声には、もはや先ほどまでの覇気はなかった。
全欧州を相手にしても滅多に折れない男が、
その日、実の息子のリボ払い請求書にはしっかりと敗北していた。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




