第119話:名ばかり役員の憂鬱、推し活(トーナメント)でクレカ限度額を突破する件
今でもそういう人いるわな( ˘ω˘ )
フランス北部、初夏。
広い平原には色鮮やかな天幕が立ち並び、
諸侯や騎士たちの紋章旗が風にはためいていた。
響き渡る角笛。大地を揺らす馬蹄の音。そして、何百という観客の歓声。
「若き王だ!」
「アンリ王が出るぞ!」
その声に応えるように、一騎の騎士が勢いよく駆け抜けた。
豪奢なサーコートを翻し、見事な駿馬を操る若ヘンリーである。
まだ二十代前半。
艶やかな赤毛に整った顔立ち。王冠を戴くにふさわしい華やかな容姿に、
騎士としての腕も決して悪くない。
槍を構えた若ヘンリーが相手の騎士へ突っ込み、
鮮やかな一撃を決めると、観客席から一斉に歓声が上がった。
試合を終え、兜を脱いだ若ヘンリーは、汗に濡れた髪をかき上げて笑う。
その姿に、また歓声が大きくなる。
吟遊詩人は彼を「騎士道の華」と称え、若い騎士たちは憧れの目を向けた。
誰も彼を、父親の許可がなければまともに政治もできない名ばかりの王とは見ない。
少なくとも”ここでは”。
夕暮れになると、若ヘンリーの天幕では盛大な宴が始まった。
肉が運ばれ、ワインが注がれ、今日の試合について
騎士たちが好き勝手に語り合う。
「若君、本日の突撃は見事でした!」
「相手の騎士へ馬も武具も返されたとか。なんと寛大な!」
「さすが若き王!」
褒められるたび、若ヘンリーの機嫌は目に見えて良くなっていった。
「当然だ。名誉を競う場で、金に執着してどうする」
盃を掲げる。
「今夜は私が出そう。存分に飲め!」
歓声が上がった。
「若君、万歳!」
その宴の端で、一人だけまったく笑っていない男がいた。
『ウィリアム・マーシャル』
若ヘンリーに仕え、トーナメントでも彼を支える歴戦の騎士である。
手には一枚の羊皮紙。
顔には、どう見ても
「もう嫌だ」
と書いてあった。
「若君」
「なんだ、マーシャル。そんな顔をして。今日くらい飲め」
「今日くらい、が何度続きましたかな」
「…………」
マーシャルは羊皮紙を広げた。
「新しい馬具。壊れた槍と盾の補充。馬の飼料。同行する騎士や従者の費用。
衣服。それから今夜の宴席」
「うむ」
「さらに、戦利品を気前よく返しておられます」
「名誉のためだ」
「吟遊詩人にも随分と気前よく報奨を」
「私の名声を歌わせるのだから当然だ」
「そうですか」
マーシャルは一度目を閉じた。
そして静かに告げた。
「では、金がありません」
「…………」
若ヘンリーの笑顔が止まった。
「……何?」
「金がありません」
「いや、父上から金は出ているだろう」
「出ております」
「ならば」
「使い切りました」
若ヘンリーが固まった。
マーシャルは容赦なく続ける。
「それどころか、すでに商人たちへの支払いも残っております。
このまま同じ調子で各地のトーナメントを巡れば、
次の遠征費をどうするか真面目に考えなければなりませぬ」
「…………」
若ヘンリーはゆっくり盃を置いた。
「そんなに使ったか?」
「使いました」
「……私が?」
「若君が」
しばし沈黙が落ちた。
周囲の騎士たちは、そっと目を逸らした。
若ヘンリーは納得できないように腕を組む。
「だが、王たる者がみすぼらしい格好でトーナメントに
出るわけにはいかないだろう」
「程度というものがございます」
「騎士たちを粗末に扱えば、誰が私についてくる」
「ですから程度というものが」
「宴も必要だ。寛大でなければ王とは呼ばれない」
「その寛大さの原資が借金になりつつあると申し上げております」
若ヘンリーは顔をしかめた。
「……父上がもっと金を寄越せば済む話ではないか」
マーシャルは天を仰いだ。
出た、全部そこへ行く。
若ヘンリーにも言い分はあった。
反乱の後、
父ヘンリー二世との和解によって、以前より収入も立場も多少は改善した。
だが、王冠を戴いている。
それなのに政治の中枢は父親が握ったまま。
重大な決定を下すのも父親。
諸侯への命令も、
外交も、
軍事も、
若ヘンリーには「王」としての華やかな肩書があるのに、
その肩書に見合う仕事がほとんどない。
会社でいえば
名刺には「共同社長」と書いてある。
だが会議で何か言えば、
『本社社長の承認は取られましたか?』
と返される、そんな立場である。
「政治の場では、誰も私を王として扱わない」
若ヘンリーは低い声で呟いた。
「父上の前では、私はいつまで経ってもただの息子だ」
マーシャルは黙った。
「だが、ここでは違う」
天幕の外から、騎士たちの笑い声が聞こえる。
若ヘンリーはそちらへ目を向けた。
「ここでは皆が私を王と呼ぶ。私が勝てば歓声を上げる。
私が騎士を厚遇すれば、寛大な君主だと讃える」
少しだけ声が苦くなる。
「私には、ここしかないんだ」
マーシャルはしばらく何も言わなかった。
その気持ち自体は分からなくもなかった。
王冠だけを与えられ、王としての権限は与えられない。
ならばせめて、”王らしく振る舞える場所”を求める。
トーナメントの華やかな世界は、若ヘンリーにとって名誉を競う場、
であると同時に、自分が「王」であることを実感できる数少ない場所でもあった。
ただし、
それと会計は別問題である。
「若君」
「なんだ」
「お気持ちは分かります」
若ヘンリーが少し顔を上げた。
「ですが」
マーシャルは帳簿を指さした。
「お気持ちでは馬の餌は買えませぬ」
「…………」
「ワインも買えません」
「…………」
「借金も消えません」
「……分かった」
「本当に?」
「分かったと言っているだろう!」
若ヘンリーは勢いよく立ち上がった。
そして数歩歩き回ったあと、突然振り返る。
「マーシャル」
「はい」
「父上に手紙を書こう」
嫌な予感しかしない。
「……何と?」
若ヘンリーは堂々と言った。
「王としての威信を維持するため、収入の増額を要求する」
マーシャルは目を閉じた。
やっぱり。
「若君」
「なんだ」
「一応確認いたしますが」
マーシャルは疲れきった顔で尋ねた。
「支出を減らす、という選択肢は?」
若ヘンリーは少し考えた。
「……それでは威信が落ちる」
「左様でございますか」
”もう知らん”
マーシャルは静かに帳簿を丸めた。
数週間後、海を隔てたオールド・サラム。
「…………え?」
私は刺繍の手を止めた。
侍女長が、やや困った顔をして立っている。
「もう一回言って」
「若ヘンリー殿下が、最近は各地のトーナメントへ
頻繁に出場されているそうでございます」
「それは聞いた。騎士道なんちゃらで人気なんでしょ?」
「はい。非常に評判がよろしいとか」
「へえ。あの子、そういう才能あったんだ」
そこまではいい。
問題は次だった。
「ただ、その……かなり派手に騎士や従者を抱えておられ、
宴席などにも相当な費用をお使いになっているとのことで」
「うん」
「借財も増えているという噂がございます」
「…………」
私はゆっくり天井を見上げた。
王冠はある
実権はない
仕事もない
承認欲求だけは満タン
そこでトーナメントへ行き、”勝つ”。
褒められる
気分が良くなる
奢る
また褒められる
さらに奢る
金がなくなる
………借りる。
「……あの子、何やってんの?」
侍女長は返答に困ったらしい。
「王としての名声を高めておられるのでは……」
「借金してまで名声を高めんな!!」
思わず叫んだ。
壁際にいた侍女がびくりとする。
「あ、ごめん」
私は額を押さえた。
いや、分かる、分かるのだ。
あの子の気持ちも。
王として戴冠した
みんなが王と呼ぶ
なのに政治をやらせてもらえない
父親は何でも自分で決める
だったら、自分を本当に王として扱ってくれる場所へ行きたくなる
そこで歓声を浴びれば………
そこから離れたくなくなる。
それは分からなくもない。
「……ヘンリー」
私は低く呟いた。
長男に仕事を渡さない。
けれど王としての格式は保てと言う。
当然、金はかかる。
「それ、一番めんどくさい育て方じゃないの……」
だからといって、
若ヘンリーの浪費が全部父親の責任になるわけでもない。
二十代である。
いい大人である。
帳簿くらい見ろ。
「で、若ヘンリー本人はなんて?」
「さらに収入を増やしていただきたいと、陛下へ申し入れているとか」
私は目を閉じた。
「…………」
要するに若ヘンリーの言い分は、
「仕事はくれ、金もくれ、でも出費は減らしたくない」である。
「……いや、それは知らんがな」
侍女長が、聞かなかったことにする顔をした。
「若ヘンリー……」
私はもう一度天井を仰ぐ。
「政治させてもらえないからって、
騎士道アイドル活動に全財産突っ込むんじゃないわよ……」
そして数秒後、
一番大事なことを付け加えた。
「だからって借金していい理由にはならんからな!!」
遠い大陸にいる息子には、もちろんまったく聞こえていなかった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




