第116話:娘たちからの近況報告、欧州全土からツッコミ待ちの手紙が届く件
娘たちはヨーロッパじゅうに散っています(`・ω・´)
オールド・サラムでの生活が始まってから、数年が過ぎた。
最初の頃こそ「いつ出られるのか」と侍女たちを困らせていた私も、
今ではすっかり諦めがついている。
暖炉の煙突は何度も掃除させ、寝具も増やし、
部屋の隙間風が入りやすい場所まで把握した。
長期滞在における環境構築だけなら、もはや完璧である。
問題は、外の世界だった。
私自身は相変わらず好き勝手に城を出られないし、
誰とでも自由に手紙を交わせるわけではない。
特に息子たちとの書状は厳しく見られているらしく、
こちらが何か書いても届いたのかどうかすら分からないことがある。
ところが。
「……ねえ、侍女長」
「はい、王妃殿下」
私は机の上に積まれた手紙を眺めた。
「息子たちの手紙はろくに通さないくせに、娘たちからの便りだけ妙に通りがよくない?」
侍女長は一瞬だけ困った顔をした。
「娘君方からの私的なお便りについては、
内容を確認した上でお渡ししてよいとのことでございます」
「あのジャイアン、娘たちは反乱しないと思ってるわね」
まあいい。
外界から切り離された私にとって、娘たちから届く便りは貴重な情報源であり、
何より数少ない娯楽でもある。
私は温かい飲み物をすすりながら、最初の手紙を開いた。
差出人は、前夫ルイとの長女、シャンパーニュ伯妃マリーだった。
『母上、お健やかにお過ごしでしょうか。こちらトロワでは、
詩人や騎士たちを招いて恋や騎士道について語る機会が増えました。
クレティアンという詩人が、王妃に恋する騎士の物語を書いております。
騎士が愛する婦人のためにどこまで恥を忍べるか、という話なのですが、
宮廷の婦人方には大変評判です』
私は途中まで読んで、そっと手紙を膝へ置いた。
「……マリー」
侍女長がこちらを見る。
「はい?」
「いや、あなたじゃない」
私は額を押さえた。
「お母さん今、夫に警戒されて何年も軟禁されてるんだけど、
そのタイミングで『人妻の王妃に恋する騎士』の物語を宮廷で流行らせるの、
ちょっと危機管理どうなってるの?」
もちろんマリーが私をモデルにしたわけではない。
たぶん…おそらく。
そうであってほしい。
だが、よりによって王妃と騎士の恋愛物語が娘の宮廷で大人気だと聞くと、
妙に居心地が悪かった。
「恋愛ものはもっと平和な家庭でやりなさいよ……」
ぶつぶつ言いながら、次の手紙を開く。
今度は同じくルイとの娘、ブロワ伯妃アリスだった。
『母上、ご無事で何よりです。こちらでは戦の後始末もようやく落ち着きました。
夫は相変わらず領地と名誉の話ばかりしておりますが、
私はまず家計を立て直すべきだと思っております。
父上も以前よりお疲れのご様子です。
男たちはどうして、戦を始める前に費用を計算しないのでしょう』
「……この子、私に似たわね」
思わず頷いた。
誰がどう見ても、完全に家計簿を見る側の人間である。
カペー家の血も入っているはずなのに、戦争そのものより
「で、いくら使ったの?」
を気にするあたり、思考回路のかなりの部分を私から受け継いでしまったらしい。
「ブロワ伯、頑張れ。うちの娘、たぶん財布には厳しいわよ」
三通目は、現夫ヘンリーとの長女マティルダ。
ザクセンへ嫁いだ娘からの便りだった。
『母上。夫ハインリヒと皇帝フリードリヒの関係が、
少しずつ悪くなっております。夫は自分の力をかなり信じておりますし、
周囲にも敵が多いため、見ているこちらとしては少々心配です。
今すぐどうこうという話ではありませんが、何事もなければよいのですが』
「……ああ」
私は思わず天井を仰いだ。
まただ。
また夫が強すぎて周囲と揉める娘がいる。
「マティルダ。
夫が『俺は強いから大丈夫』って言い始めた時が一番危ないのよ。
それ、お母さん二十年以上見てきたから」
血筋なのか。
結婚相手を選ぶ環境なのか。
娘まで「強いけど周囲と揉める男」の妻になっている。
なんとなく嫌な既視感があった。
「頼むから、そっちは家庭内反乱まで発展させないでよ……」
四通目は、カスティーリャへ嫁いだレオノールからだった。
十代半ばになった娘の文字は、以前よりずっと落ち着いている。
『母上。こちらの宮廷にも少しずつ慣れてきました。
夫アルフォンソとは、領地や宮廷のことについて話す機会も増えています。
アキテーヌとは何もかも違いますが、音楽や詩を好む人々も多く、
私の故郷の話をすると皆とても興味を持ちます。
母上がお元気でおられることを祈っております』
私は手紙を二度読み返した。
「……ちゃんと王妃やってるわ」
少しだけ嬉しくなる。
遠く離れた土地で、まだ若い娘が自分なりに居場所を作ろうとしている。
武勇を誇るでもなく、大げさなことを書くでもなく、異国の宮廷を
観察しながら少しずつ馴染もうとしている様子が、文面から伝わってきた。
「よしよし。そのまま無理せず生きなさい」
そして最後の一通。
封を見ただけで、私は少し姿勢を正した。
シチリアへ渡った末娘ジョーンからだった。
まだ幼さの残る筆跡で、一生懸命書かれている。
『母上。パレルモの海はとても青いです。
宮殿には金色の絵がたくさんあって、とても綺麗です。
こちらの言葉はまだ難しいですが、皆やさしくしてくれます。
母上はいつシチリアへ来てくださいますか。海を見せて差し上げたいです』
「…………」
今度は、すぐにツッコミが出てこなかった。
私は手紙を静かに胸元へ寄せた。
「……行けないのよ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「今は、どこにも行けないの」
娘たちは、それぞれ別の土地で人生を始めている。
フランスにいる娘
ドイツにいる娘
カスティーリャにいる娘
シチリアへ渡った娘
自分の子供たちが、ヨーロッパのあちこちで別々の生活を送り始めているのに、
その母親だけが一つの城から動けない。
その事実が、今さらのように胸へ刺さった。
政治の都合で娘たちを遠い土地へ嫁がせることなど、
王族の家では珍しくない。
それを自分も受け入れてきたし、必要なことだと考えてきた。
けれど、手紙の文字を追うだけでは分からないものもある。
声も聞けない、
顔も見られない、
困っている時に駆けつけることもできない。
「……まあ」
私は少しだけ鼻をすすり、手紙を机に並べ直した。
「でも、みんなそれなりにやってるじゃない」
マリーは文化の中心で詩人たちを集め、アリスは家計と領地を睨み、
マティルダは夫と皇帝の間の空気を読み、
レオノールは異国の宮廷へ自分の居場所を作ろうとしている。
そしてジョーンも、遠いシチリアで新しい言葉と新しい暮らしを覚え始めている。
男たちが領地や王冠を巡って剣を抜いている間にも、
娘たちは娘たちなりの方法で、それぞれの場所に根を張っていた。
私は手紙を丁寧に重ね、机の引き出しへしまった。
「よし、返事を書くわ」
侍女長が羊皮紙を用意する。
「まずマリーには、恋愛物語もいいけど旦那と領地のことも忘れるなって書く。
アリスには、夫を締め上げすぎるな。マティルダには、
夫が皇帝相手に調子に乗り始めたら早めに止めろ。
レオノールには、そのままゆっくり慣れなさいって」
「ジョーン様には?」
私は少し考えて、それから笑った。
「海、いつか見に行きたいって書く」
行けるかどうかは分からない。
それでも
母親から娘へ返す言葉くらい、希望を持たせてもいいだろう。
オールド・サラムから一歩も出られない私の代わりに、
娘たちから届く手紙だけがヨーロッパ中を旅していた。
そしてその日も、世界史八点ちゃん(アリエノール)は城の一室から、
遠く離れた娘たちの家庭へ向けて、
頼まれてもいない助言とツッコミを書き送り続けたのだった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




