第115話:母上のいないアキテーヌで、後始末を全部やらされることになりました
雑な人物紹介
ヘンリー2世 = 危機対応は神だが家庭内マネジメントが死んでるワンマン社長
若ヘンリー = 名ばかり副社長、肩書きだけ立派で決裁権なし、でも接待費と遠征費は盛大
リチャード = 現場叩き上げ、支社の治安維持でゴリラ化した工場長
ジェフリー = 社内政治と転職市場を同時に見てる三男
ジョン = 配属先未定なのに役員会で毎回話題にされる末っ子
アリエノール (8点ちゃん)= 「その予算どこから出るんですか?」を最初に言う元OL兼最大株主
別枠
フィリップ2世=競合他社の若社長。敵会社の内紛を見て「今は買収仕掛けるな、勝手に弱る」と判断するタイプ
ポワトゥー南境。
黒煙と石埃の向こうで、城壁の一部が大きな音を立てて崩れ落ちた。
投石機の一撃を受けた石が斜面を転がり、周囲では兵たちの怒号が飛び交っている。
その様子を、十六歳になったリチャードは馬上から黙って見つめていた。
モンルイの和議から、まだそう長い時間は経っていない。
父ヘンリー二世と和解したリチャードは、今度はアキテーヌで秩序を立て直す側に
回されていた。反抗を続ける諸侯を抑え、城を押さえ、
自分がこの土地の支配者として立つ覚悟を示さなければならない。
ついこの前まで、自分自身が反乱側にいたというのに。
「……おい」
リチャードは隣に控えていた古参の副官へ、低い声で話しかけた。
「はっ、若君」
「俺、少し前まであっち側だったよな」
副官は返事に詰まり、視線を遠くの城壁へ逃がした。
「答えにくいのは分かる」
リチャードは小さく息を吐いた。
父親に逆らい、兄弟とともにフランス王のもとへ走り、
アキテーヌの諸侯にも味方を求めた。
その自分が今は父の側へ戻り、反抗を続ける同じ土地の領主たちを相手に
軍を率いている。
笑える話ではない。
城門の近くから、一人の領主が兵に連れられてきた。
衣服は汚れ、額には血が滲んでいたが、目だけはまだ死んでいない。
「リチャード」
低い声で名前を呼ばれる。
「父親に屈したか」
リチャードは何も答えなかった。
「我らには立てと言い、自分は先に和解した。
今度は父親の命令で、こちらを潰しに来たのか」
その言葉は、胸の奥に鈍く刺さった。
すべてが正しいとは思わない。だが、すべてが間違っているとも言い切れない。
「若君」
副官が静かに問いかける。
「この者を、いかがなさいますか」
リチャードは捕らえられた領主を見たあと、崩れた城壁へ目を向けた。
殺すこと自体は簡単だ。
首を落とせば、この男の反抗はそこで終わる。
だが、それでこの土地まで静かになるのか。
男の一族はどう動く。配下の騎士たちは。周囲の諸侯は。
考え始めると、途端に話が複雑になる。
その時、ふと母親の顔が浮かんだ。
「……母上なら、どうしただろうな」
副官が振り返る。
「はい?」
リチャードは少し居心地悪そうに眉を寄せた。
「こういう時だ。母上なら、この領主をどう扱った」
副官はしばらく考え込んだ。
「王妃殿下であれば、まず相手が何を持ち、
何を失えば二度と逆らえないかをご覧になったでしょう」
「何を持っているか?」
「土地、金、人脈、周囲の諸侯との関係です。
何を取り上げれば十分な罰になるのか、逆に何を残せば恨みが広がらないのか。
そういうことを、いつもよく見ておられました」
リチャードは黙って聞いていた。
「城を壊すこともあったでしょうし、金を取ることもあったでしょう。
身内を保証として預かることもあったでしょう。
ただ、必要以上に血を流すことは好まれませんでした」
「なぜだ」
「殺せば終わる話もあります。ですが、殺したことで始まる話もございます」
その言葉に、リチャードは眉をひそめた。
分かるような、まだ分かりきらないような感覚だった。
副官は崩れた城壁を見上げながら続ける。
「この城は以前から周囲と揉めております。街道を押さえ、
勝手に通行料を取ることも多かった。要塞として残せば、また火種になるでしょう」
「なら、城は壊すべきか」
「はい。ただし、城主の一族まで滅ぼせば、今度は別の火種が生まれます」
リチャードはしばらく黙った。
剣を振るうことなら分かる。敵へ突っ込むことなら怖くない。
だが、人を殺すか生かすか、土地をどう残すか、誰から金を取り、
誰に譲るかという話になると、途端に難しくなる。
「……母上は、ずっとこんなことをやっていたのか」
副官が小さく頷いた。
「はい」
その一言が、妙に重かった。
母のいないアキテーヌには、華やかな宮廷も、吟遊詩人の歌も、
母の呆れたような小言もない。
目の前にあるのは、人と土地と利害が絡み合う、ひどく泥臭い現実だけだった。
リチャードは馬から降りると、捕らえられた領主の前まで歩いた。
「城は壊す」
領主が顔を上げる。
「二度と要塞として使えないようにする。ただし、お前の首は取らない」
周囲の兵たちが静かに耳を傾ける。
「財産の一部を差し出せ。今後はこちらへ逆らわないと誓え。
それを守るなら、生きろ」
領主はしばらくリチャードを見つめた。
「……なぜだ」
問われたリチャードは、一瞬だけ考えた。
「分からん」
正直に答える。
「ただ、殺せば全部片づくほど、この土地は簡単ではないらしい」
副官がわずかに笑った。
リチャードはまだ、母親のように考えられるわけではない。
父親のように全体を見通せるわけでもない。
それでも、剣以外のものを見ようとはし始めていた。
軍勢が次の城へ向けて動き始める。
馬へ戻る途中、リチャードはもう一度だけ崩れた城壁を振り返った。
「……母上なら、次はどうするんだろうな」
答えはない。
だから、自分で考えるしかない。
たぶん、それがアキテーヌを継ぐということなのだろう。
その頃、海の向こうのオールド・サラムでは、
アリエノールが暖炉の前で眉をひそめていた。
「ねえ侍女長。今日の煮込み、ちょっと塩気足りなくない?」
「厨房へ申し伝えます」
「あと暖炉。やっぱり煙の抜けが悪いわ。煤払いできる人、呼べる?」
「確認いたします」
アリエノールは満足そうに頷き、膝の毛布を掛け直した。
「長期戦なんだから、住環境は大事なのよ」
海の向こうで息子が、
母のいない土地をどう治めるか頭を悩ませていることなど知らない。
そしてリチャードもまた、
母が今日も暖炉と煮込みの塩加減を気にしているとは知らない。
アンジュー家の親子は、離れていても相変わらず少しずつ噛み合っていなかった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




