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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第113話:母上は海の向こうへ(※息子たち、自分たちだけ和解したことに気づく)

ここからまた長いんだよねぇ・・・どう持ってこうかなぁ

ポワトゥー、ポワティエ近郊の軍営。


モンルイの和議から数日が過ぎ、若ヘンリー、リチャード、ジェフリーの三兄弟は、

それぞれ父から与えられた城や収入についての手続きに追われていた。


『戦は終わった』


誰も満足しているわけではないが、父親との争いもひとまず収まり、

数か月前のように次の戦場を考え続ける必要もなくなった。

少なくとも表向きには、家族は再び同じ側へ戻ったことになっている。


そんな軍営へ、一騎の早馬が駆け込んできた。

届けられたのは、王家からの簡潔な知らせだった。

アリエノールはシノンを離れ、海を渡ってイングランドへ移されたという。


「……海を渡った?」


若ヘンリーは手にした羊皮紙を見つめたまま、しばらく動かなかった。

リチャードがすぐに顔を上げる。


「母上が?」


「ああ。イングランドへ移されたと書いてある」


若ヘンリーはもう一度文面へ視線を落とした。

書かれているのは、それだけだった。


どこまで自由が許されるのか、いつまでそこにいるのか、

アキテーヌへ戻れる見込みがあるのか。

息子たちが知りたいことは、何一つ書かれていない。


「待て」


若ヘンリーの声が低くなる。


「父上はモンルイで、母上を自由にするつもりはないとは言った。

だが、海の向こうへ移すなどとは一言も言っていなかったではないか」


「言う必要がないと思ったんだろ」


リチャードが吐き捨てるように答えた。


「俺たちとの話は、俺たちとの話。母上をどうするかは別。

親父なら、そう考える」


若ヘンリーは何も言えなかった。

その考え方は、嫌になるほど父親らしかった。

リチャードは立ち上がると、落ち着かない様子で天幕の中を歩き始めた。


「俺たちには城を渡した。収入も増やした。

それで父上と争う理由を少し減らして、戦を終わらせた」


やがて足を止める。


「なのに、母上だけは自由になっていない。

むしろアキテーヌから、もっと遠くへ連れていかれた」


若ヘンリーの表情が曇った。

その事実は、言葉にされると余計に重かった。


自分たちは父親と和解した。

要求のすべてが通ったわけではないが、

反乱前には持っていなかったものをいくつか手に入れた。

それに対して、母親が得たものは何もない。

拘束されたまま、海を渡っただけだった。


「……俺たちのせいじゃないのか」


リチャードがぽつりと言った。

若ヘンリーが顔を上げる。


「何がだ」


「母上が、こうなったのは」


リチャードは拳を握りしめた。


「母上は俺たちの話を聞いた。父上にも、もっと俺たちのことを考えろと言った。

俺がパリへ行くことも止めなかった。でも、戦争だけはするなって言ってた」


それでも実際に兵を集め、諸侯を巻き込み、

父親と正面からぶつかったのは自分たちだった。

そして、その結果として父親は母をより危険な存在だと考えたのではないか。


リチャードには、そんな考えが頭から離れなかった。


「俺たちが動かなければ、親父だって母上をここまで警戒しなかったんじゃないのか」


若ヘンリーは答えなかった。

答えられなかった。

ジェフリーはしばらく黙って二人を見ていたが、やがて机の上の羊皮紙へ目を落とした。


「少なくとも、父上が母上を大陸から離した理由は分かります」


リチャードが鋭く睨む。


「何だと」


「母上本人が戦を望んでいたかどうかは、父上にとって重要ではないのでしょう」


「母上は戦争を止めようとしていた!」


「僕も知っています」


ジェフリーはすぐに答えた。


「でも、母上がアキテーヌに戻れば、周囲は母上を見ます。

母上自身が何も命じなくても、味方だと思う者は集まる。

父上は、それを嫌がっているんじゃないですか」


リチャードは言い返そうとして、口を閉じた。


腹は立つ。

だが、理解できない理屈ではなかった。


ジェフリーはそのまま続ける。


「僕たちには、それぞれ条件を与えて父上の側へ戻した。母上は海の向こうへ移して、

アキテーヌから距離を取らせる。父上にとっては、その方が全員を管理しやすいのでしょう」


「人を駒みたいに言うな」


リチャードが低く唸る。


「僕がそう思っているわけではありません。父上なら、そう考えるという話です」


その返事が、余計に腹立たしかった。

若ヘンリーは手にした羊皮紙を机へ置いた。


「つまり、私たちは和解したつもりでも、父上にとっては、

まだ家族の問題が全部終わったわけではないということか」


「少なくとも母上については、そうでしょうね」


ジェフリーの答えに、再び沈黙が落ちた。

やがてリチャードは天幕の外へ出た。


冷たい秋風が吹き抜け、雲の流れる空が遠くまで広がっている。

その先には海があり、さらにその向こうにイングランドがある。


母親は、もうそこにいる。


「……母上」


小さく呼んでみても、もちろん返事はない。


リチャードは自分の手を見た。

十五歳の自分には、まだ何もできない。

父親に真正面から挑んでも勝てなかった。


”母親を自由にする力もない”


それが、悔しかった。

いつか、自分の力で何かを変えられるくらいには強くなりたい。

今のリチャードに言えるのは、それくらいだった。


その頃。

海の向こう、オールド・サラムの王城では

アリエノールが暖炉の前で、眉間に皺を寄せていた。


「……ねえ、この暖炉、シノンより弱くない?」


侍女が振り返る。


「風が強うございますので、少々冷えやすいのかと」


「やっぱり? 薪、もう少し足してくれる?」


「承知いたしました」


アリエノールは椅子へ戻ると、毛布を膝へ掛け直した。

窓の外には、いかにもイングランドらしい灰色の空が広がっている。


「寒いのよねえ……」


ぼやきながら机の上の皿へ目を向ける。


焼いた肉とパン、温かいスープ。

予想していたより、ずっと普通だった。


「イングランドの料理って聞いて、かなり覚悟してたんだけど」


一口食べる。


「……普通に食べられるわね」


侍女が困ったように微笑んだ。

アリエノールは満足そうに頷き、もう一口食べる。


「あと、寝具もう一枚増やせる?」


「はい」


「じゃあお願い」


海の向こうでは、息子たちが母親の境遇を思って落ち込んでいる。


自分たちのせいで母の拘束が長引いたのではないかと悩み、

寒い城の中で悲しみに暮れている姿まで勝手に想像している。


だが、当の本人はというと。


新しい部屋の暖房効率を確認し、寝具の追加を頼み、

食事が思ったよりまともだったことに安堵していた。


親の心子知らず、とはよく言う。

だがアンジュー家の場合は、子の心もまた、親にはあまり伝わっていなかった。


海を一つ隔てても、そのあたりだけは相変わらずだった。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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