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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第112話:有給休暇、勤務地変更のお知らせ(※次の赴任先はイングランドです)

まだまだ続く幽閉生活

シノン城塞、最上階の客間。

秋晴れの心地よい午後、私はベッドの上で背中にクッションをいくつも挟み、

侍女に剥いてもらった葡萄を口へ放り込んでいた。


足元には温かな湯たんぽ。膝の上には読みかけの騎士道物語。

つい数か月前まで、

自分が大反乱の首謀者扱いをされていたとは思えないほど平和だった。


「……ふぅ。静かって最高ねえ」


監禁生活も長くなれば、人は慣れる。

最初こそ腹を立てていたものの、暖かい部屋があり、

食事が出て、本も読めて、誰にも政務を押しつけられない。


気がつけば私は、この生活を勝手に「強制有給休暇」と呼ぶまでになっていた。


そんな午後。

重い扉が控えめに叩かれた。


「どうぞ」


入ってきたのは、この城を預かる騎士だった。


手には一通の羊皮紙。

表情はいつも通り真面目だが、どことなく空気が違う。


「王妃殿下。前線より報せが届いております」


私は葡萄を飲み込み、体を起こした。


「何?」


「モンルイにて、陛下と若君方との和議が成立いたしました」


「おお!」


思わず声が明るくなる。


「やっと終わったのね!」


「はい。若きアンリ殿、リチャード殿、ジェフリー殿とも、

それぞれ条件を与えられ、父君との争いを終えられたとのことです」


「よかったじゃん!」


私は心の底からほっとした。


本当に、何度最初からそうしろと言ったことか。


「ほらね! 結局、話し合いで終わったでしょ!」


騎士は何とも言えない顔をしている。

私は気にせず、勢いよくベッドから足を下ろした。


「じゃあ、こっちも終わりよね?」


「……と、申されますと」


「いやいや」


私は笑った。


「反乱終わったんでしょ。息子たちも父親と和解したんでしょ。

だったら私もそろそろ帰れるじゃない」


真っ先に思い浮かんだのはポワティエだった。


季節はもう秋。

庭の葡萄も収穫の時期に入っているだろう。


城の空気も、

人々の顔も、

何もかも、

久しぶりに見たかった。


「荷物まとめるわ。馬車の用意をお願い」


騎士は一度視線を伏せた。


それから。


「すでに、旅支度の命が出ております」


「ほら!」


私は手を叩いた。


「やっぱり帰れるんじゃない!」


「ただし」


その一言で、嫌な予感がした。


「ただし?」


騎士は慎重に言葉を選ぶ。


「行き先は、アキテーヌではございません」


「…………」


「海を渡られます」


「…………」


私は固まった。


「……どこへ?」


「イングランドへ」


沈黙………

私は笑顔のまま、数秒動かなかった。


「……ごめん。今なんて?」


「イングランドへ移られるように、と」


「アキテーヌじゃなくて?」


「はい」


「ポワティエでもなく?」


「はい」


「イングランド?」


「はい」


「なんで???」


声が裏返った。

私は立ち上がると、そのまま騎士へ詰め寄った。


「ちょっと待って。整理させて」


「はい」


「反乱は?」


「終わりました」


「息子たちは?」


「陛下と和解されました」


「私、このところ何してた?」


騎士は少しだけ考えた。


「……読書とお昼寝を」


「そうよね!?」


「はい」


「あと?」


「よくお菓子を召し上がっておられました」


「そこは細かく言わなくていい!」


私は頭を抱えた。


「じゃあ何で、私だけ海を越えて移動なのよ!」


話が違う。

完全に話が違う。


私はてっきり

『反乱が続いているから一時的に動きを制限されているだけだ』

と思っていた。


戦が終われば

息子たちとヘンリーが和解すれば

自分も元の生活へ戻れる。


そう考えていた。


だがどうやら違ったらしい。


騎士が、もう一通の書状を差し出す。


「陛下からです」


嫌な予感しかしない。


私は渋々受け取った。

文面は短かった。


戦は終わった。

息子たちとの争いも終えた。

しかし、”それとアリエノールを自由にすることは別問題”である。

大陸に留まれば、アキテーヌの諸侯たちは再び彼女を中心に動くかもしれない。

ゆえに今後しばらくはイングランド側で身柄を預かる。


そんな内容だった。

私は最後まで読み終えるとゆっくり紙を下ろした。


「…………」


頭の中で。


何かがきれいに崩れた。


私は勘違いしていた。

これは、反乱中だけの「一時的な自宅待機」ではなかったのだ。


戦争が終われば終了する。


そんな軽い話ではない。


ヘンリーにとって、私はもうただの妻ではない。

ただの元共同統治者でもない。

自分で何か命令しなくても

そこにいるだけで人が集まる

諸侯が期待する

息子たちが寄ってくる


”そういう存在として見られている”


だからアキテーヌから遠ざける。


海の向こうへ移す。

人と距離を取らせる。

その判断なのだろう。


私はしばらく無言のまま、手の中の書状を見つめた。

やがて、掠れた声で呟く。


「……ちょっと待って」


「はい」


「これ」


「はい」


「有給休暇じゃない」


騎士は答えに困った顔をした。


私はゆっくり顔を上げた。


「……転勤じゃん」


「……そうとも申せるかと」


「しかも、海外転勤じゃん」


「……はい」


「しかも私、希望出してないんだけど」


「存じております」


「片道っぽいんだけど」


今度こそ騎士は黙った。

その沈黙が何より怖かった。


私は窓の外へ視線を向けた。


中庭ではすでに旅支度が始まっている。


護衛の兵

荷を積む馬車

移動のために動き回る人々

どう見ても、ちょっとしたお出かけではない。


本格的な”移送”だった。


「……長くなるわ、これ」


ぽつりと漏れた。

誰も否定しなかった。


私はベッドへ戻るとそのまま力なく座り込んだ。


さっきまで、

葡萄を食べながら一件落着だと思っていた。

息子たちは和解した。

戦争も終わった。

自分もそのうち帰れる。


そう思っていた。


なのに実際にはみんなの戦争が終わった瞬間から

私だけ次の章へ突入していた。


「……イングランドかあ」


私は天井を見上げた。


「雨多いのよねえ……」


現実逃避気味にどうでもいいことを口にする。


騎士は何も言わなかった。

そして私は手の中の書状をもう一度見た。


『強制有給休暇改め長期出張』


世界史八点ちゃん(アリエノール)の、海を越えた新しい監禁生活が

静かに始まろうとしていた。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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