第111話:反乱は終わりました(※なお請求書と胃痛は残ります)
ずっと見てて考えた結果のフィリップ君(ΦωΦ)
パリ、シテ島のフランス王宮。
数日前まで軍議の怒号が飛び交っていた部屋は、嘘のように静まり返っていた。
机の上には、モンルイで交わされた和議の写し。
その隣には、今回の軍事行動にかかった出費や損害をまとめた報告書が、
見るだけで胃が重くなりそうな高さまで積み上げられている。
上座の椅子で、フランス国王ルイ七世は両手で顔を覆ったまま、しばらく動かなかった。
「……ねえ、財務官」
「は、はい」
控えていた財務官が、おそるおそる返事をする。
ルイは指の隙間から、死人のような声を出した。
「今回の件で、こちらがどれくらい使ったのか。もう一度、簡単に説明してくれるかな」
「承知いたしました」
財務官は羊皮紙を広げ、慎重に読み上げ始めた。
「まず、ノルマンディー方面への出兵費用。
兵への支払い、補給、馬、輸送、それに攻城戦の準備費用がございます」
「うん」
ルイの右手が、静かにみぞおちへ移動した。
「さらに、長期化した軍事行動に伴う追加の支出。
国境周辺の防衛拠点にも損害が出ておりますので、その修繕費も必要となります」
「うん」
今度は左手まで腹へ移った。
財務官は一瞬だけ読み上げるのをためらったが、仕事なので続ける。
「そして、今回の当事者であられた若きアンリ殿、リチャード殿、
ジェフリー殿は、ヘンリー王との和議に応じ、
それぞれ収入や城など一定の条件を与えられた上で、父君との争いを終えております」
「…………」
ルイは、ゆっくりと顔を上げた。
顔色が悪い。
ものすごく悪い。
「兵を出したね」
「はい」
「金もかなり使った」
「はい」
「国境も荒れた」
「はい」
「城も傷んだ」
「はい」
「そして、あの子たちは」
ルイは一度言葉を切った。
「父親と話し合って、条件をもらって、帰っていった」
「……はい」
沈黙……
ルイは静かに息を吸った。
そして、ゆっくり吐いた。
「……で?」
財務官の背筋が伸びる。
「フランスには、何が残ったんだい?」
「…………」
答えづらい。
非常に答えづらい。
財務官は視線を泳がせた。
「その……ヘンリー王家内部の力関係に、一定の変化を……」
「もっと分かりやすく」
「……ございません」
「だよね」
ルイは天井を見上げた。
もちろん、自分にも思惑はあった。
ヘンリー二世を弱らせられるなら、フランス王として悪い話ではなかった。
若ヘンリーたちが父親に反旗を翻し、その周辺で諸侯まで動き始めた時には、
これは機会だと思った。
思ったのだ。
だから兵も出した。
金も使った。
支援もした。
その判断まで他人のせいにするつもりはない。
ないのだが。
「こちらにも狙いはあった!」
突然、ルイが机を叩いた。
財務官が飛び上がる。
「あったとも! ヘンリーを弱らせる好機だと思った!
だから乗った! そこは認める!」
「は、はい」
「だが!」
ルイは山のような報告書を指差した。
「なぜ最後に残ったのが、他人の親子の和解と請求書なんだ!」
財務官は何も言えなかった。
「兵を動かして! 金を使って! あちこち駆け回って!
最後は『では父上と話し合いましょう』だぞ!」
「……はい」
「最初からやれ!」
とうとう出た。
ルイ七世、心からの叫び。
言った本人も分かっている。
自分だって途中から全力で参加していた。
だから余計につらい。
最初から話し合ってくれていれば、
自分も「これは好機だ」と乗らずに済んだかもしれない。
たぶん…おそらく。
……いや、ヘンリー二世を弱らせられるなら、結局乗った可能性も高い。
それがまた嫌だった。
「……胃が痛い」
ルイは机に突っ伏した。
もはや誰のせいにすればいいのかも分からない。
ヘンリー二世か。
息子たちか。
自分か。
それとも”あの一族全体”か。
「あの家に関わると、どうしてこうなるんだ……」
そんな父親の足元へ、小さな足音が近づいてきた。
九歳になったフィリップである。
手には、厨房からもらってきた焼き林檎を持っていた。
「父上」
「……ああ、フィリップ」
ルイはかろうじて顔を上げた。
「すまないね。少し疲れているだけだよ」
フィリップは焼き林檎を一口かじりながら、静まり返った部屋を見回した。
「終わったんですよね」
「ああ」
「アンリ殿たちは、もうここにはいないのですか?」
「それぞれ戻っていったよ」
「では、もう大声で喧嘩したり、机を叩いたりもしないのですね」
ルイは少しだけ遠い目をした。
「……そうだね」
フィリップは満足そうに頷いた。
「静かになりますね」
「…………」
「父上?」
「いや。そうだね。本当に静かになるよ」
それだけなら、まだよかった。
フィリップはさらに焼き林檎を食べながら、
机の上に積み上がった羊皮紙の山を眺めた。
「でも」
「うん?」
「他人の喧嘩を応援するのは、割に合わないんですね」
ルイの動きが止まった。
「……まあ」
否定しづらい。
今回に関しては、かなり否定しづらい。
「そういう場合もあるね」
フィリップは少し考え込んだ。
それから、いかにも子供らしい顔で尋ねる。
「では、次からは、どちらか一方を応援するのをやめたらどうですか?」
ルイは眉を上げた。
「どういうことだい?」
「だって、どちらかを助けると、お金を使うのでしょう?」
「そうだね」
「なら、喧嘩したい人たちの両方から、お金をもらえばいいのでは?」
「…………」
ルイは固まった。
フィリップはまだ続ける。
「馬とか、武器とか、食べ物とか。喧嘩するなら、たくさん必要ですよね」
「……必要だね」
「それを売れば、父上のお金は減らないのでは?」
部屋が静まり返った。
財務官までフィリップを見ている。
九歳の少年は、特に恐ろしいことを言ったつもりはない。
ただ、今回の騒動を最初から最後まで見て
父親が大量のお金を使い、最後に頭を抱えているのを見て。
「なら、次は損をしなければいい」
と考えただけである。
それだけ。
本当にそれだけなのだが。
ルイはゆっくりと息子を見つめた。
「フィリップ」
「はい」
「それは」
一度言葉を選ぶ。
「もう少し大きくなってから考えようか」
「なぜです?」
「父上にも分からない」
「?」
フィリップは首を傾げた。
それから、もう興味をなくしたらしく、残っていた焼き林檎を口へ放り込んだ。
反乱は終わった。
王宮は静かになった。
息子たちは父親と和解し、それぞれの場所へ戻っていった。
そしてフランスには。
大量の支出記録と、修繕の必要な城と、疲れ切った王が残った。
ルイ七世は再び机に突っ伏しながら、深々とため息をついた。
「……次は、絶対もう少し考えてから他人の家族喧嘩に乗ろう」
その足元で
フィリップは、何も知らない顔で最後の林檎の欠片を噛みしめていた。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




