第110話:モンルイの和議(※恐怖の三者面談、社長室にて開講)
8点ちゃん:だーかーーらああああああ!!!!(# ゜Д゜)
トゥールとアンボワーズの間、モンルイ。
秋風の吹き抜ける平原に大きな天幕が張られ、その中には、
戦場とはまた違った種類の緊張が満ちていた。
中央には長机が置かれ、その向こう側にヘンリー二世が座っている。
甲冑こそ脱いでいるものの、漂う威圧感は少しも薄れていない。
対する三兄弟は、その机の前に並んで立っていた。
若ヘンリー、十八歳。
リチャード、十五歳。
ジェフリー、十四歳。
ほんの少し前まで、父親に力ずくで自分たちの要求を認めさせようとしていた
息子たちである。
今は、誰も口を開かない。
視線も微妙に合わない。
完全に、問題を起こして呼び出された息子たちの顔だった。
ヘンリー二世は、手元の書状に目を落としたまま、しばらく何も言わなかった。
その沈黙の方が怒鳴られるより怖い。
若ヘンリーが耐えきれず、わずかに身じろぎした。
そこで初めて、ヘンリーが顔を上げた。
「……で?」
低い声だった。
三兄弟の背筋が、ほぼ同時に伸びる。
「何か言うことはあるか」
視線が若ヘンリーへ向く。
長男は一瞬だけ唇を引き結び、それから意を決したように口を開いた。
「私は、王としての立場を認めてほしかったのです」
ヘンリーの眉がわずかに動く。
「王として?」
「冠を戴きながら、何一つ自分で決められない。収入も、領地も、
実際の権限もほとんどない。私は、その状態を変えてほしかった」
若ヘンリーの声には、まだ悔しさが残っていた。
反乱に負けたからといって、
不満そのものまで消えたわけではない。
ヘンリーは息子の顔をしばらく見つめ、それから小さく鼻を鳴らした。
「だから、フランス王と組んで父親に戦を仕掛けたのか」
「……」
「随分と遠回りをしたものだな」
若ヘンリーは何も言えなかった。
ヘンリーは次に、リチャードを見る。
「お前は?」
リチャードは拳を握りしめた。
「俺は、アキテーヌでの立場をはっきりさせたかった。それと、母上のことも」
「アリエノールか」
ヘンリーの目が少し細くなる。
「今のところ、食事も寝床も十分に与えている。少なくとも、
お前が想像しているような扱いはしていない」
「なら、なぜ自由にしない」
「話は後だ」
短く切られ、リチャードは悔しそうに口を閉じた。
最後にヘンリーの視線がジェフリーへ向く。
「お前は?」
「……私は」
ジェフリーは少し考え、それから素直に答えた。
「自分に約束されたブルターニュが、本当に自分のものになるのか分からなかったのです」
「だから兄たちについて行った」
「……はい」
「自分で考えたのか」
「それなりには」
「それなり、か」
ヘンリーはため息をついた。
三人とも、言っていること自体は分からなくもない。
若ヘンリーは、王でありながら何も持っていない。
リチャードは、母の故地アキテーヌで自分の立場を求めている。
ジェフリーも、将来のブルターニュについて確かなものが欲しい。
問題はそれを父親に伝える方法として、
大陸の諸侯とフランス王とスコットランド王まで巻き込んだ
”大反乱を選んだ”ことだった。
ヘンリーは指先で机を軽く叩いた。
「では、こちらの条件を言う」
三兄弟の表情が一斉に引き締まる。
「若ヘンリー」
「はい」
「お前には、これまでより大きな収入を与える。ノルマンディーにも城を二つ持たせる」
若ヘンリーが顔を上げた。
「城を……?」
「ああ」
「では、実際の統治も?」
「そこまでは言っていない」
一瞬で表情が曇る。
ヘンリーは気にせず続けた。
「今のお前に、すべて任せるつもりはない。
ただし、今までより何も持たない状態にはしない」
完全勝利ではない。
だが完全敗北でもない。
若ヘンリーは複雑な顔のまま、黙って頷いた。
「次。リチャード」
「はい」
「お前には、ポワトゥーでの収入と城を与える」
リチャードの目がわずかに見開かれる。
「アキテーヌでの立場も?」
「それを認めるための条件だ。今後、お前がそこで何をするかは見ている」
「……分かった」
反抗的な返事ではなかった。
だが従順でもない。
十五歳の少年なりに、ようやく具体的なものを手にした顔だった。
「ジェフリー」
「はい」
「お前には、ブルターニュからの収入を認める。
ただし、婚姻と継承に関わることは勝手に決めるな」
「……承知しました」
ジェフリーは三人の中で一番早く受け入れた。
条件が出そろう。
誰も完全には満足していない。
だが
誰も、もう戦の続きを望んではいなかった。
若ヘンリーが、しばらく迷ったあとで一歩前へ出る。
そして父の前に跪こうとした。
「父上。では、改めて臣従を――」
「やめろ」
若ヘンリーの動きが止まった。
「……え?」
ヘンリーは、少しだけ険しい顔をした。
「お前は王だ」
「ですが」
「王であるお前が、今さら私の前で臣下のように跪く必要はない」
若ヘンリーは、困惑したまま父を見る。
ついさっきまで
散々叱られた
無茶をしたとも言われた
すべてを任せるつもりもないと言われた
それでも父親は
自分が王であるという体面だけは、守ろうとしている。
「……父上」
ヘンリーは目を逸らした。
「勘違いするな。お前のためだけではない。
王冠の権威を軽く扱うつもりがないだけだ」
「……はい」
妙に。
気まずい。
若ヘンリーはゆっくり立ち上がった。
リチャードが横目で兄を見る。
ジェフリーも何も言わない。
親子の間に流れたわずかな空気を、あえて誰も触れなかった。
やがて、ヘンリーは三人を見渡した。
「今回のことは終わりにする」
その一言に三兄弟が息を止める。
「だからといって、忘れたわけではない。
だが、いつまでも家族同士で戦を続けても意味がない」
若ヘンリーが小さく頷く。
リチャードも黙っている。
ジェフリーも視線を下げた。
ヘンリーは続ける。
「お前たちは私の息子だ。将来、この領地を継ぐ立場でもある。
だからこそ、今度は戦ではなく、自分が何を求めているのかを言葉で伝えろ」
「…………」
三人とも非常に聞き覚えのある言葉だった。
若ヘンリーがゆっくり顔を上げる。
リチャードが眉間に皺を寄せる。
ジェフリーが目を細める。
母親が数か月前からずっと言っていた言葉。
それがそのままだった。
「……父上」
若ヘンリーが恐る恐る口を開く。
「何だ」
「母上も、同じことを言っていました」
天幕の中が静まり返った。
ヘンリーの眉がぴくりと動く。
「……今、その話をする必要があるか?」
「いえ」
「ありません」
「僕もそう思います」
三兄弟は即座に引いた。
空気を読む能力だけはこの数か月で少し成長したらしい。
ヘンリーは深く息を吐いた。
「もういい。今日はここまでだ」
若ヘンリーたちが、ようやく緊張を緩める。
”少なくとも父親との戦争はこれで終わった”
そう思った時だった。
「ああ、それと」
三人の足が止まる。
嫌な予感しかしない。
リチャードが先に振り返った。
「……何です」
「母親のことだ」
その瞬間リチャードの表情が変わった。
「母上を自由にするのですか」
ヘンリーは首を横に振る。
「当面、そのつもりはない」
「なぜ!」
リチャードの声が跳ね上がった。
「戦は終わったんでしょう!?」
「だからだ」
ヘンリーの声は静かだった。
「また同じことを起こさせないために、しばらくは私の管理下に置く」
「母上は戦争を望んでいなかった!」
「それでも、あいつが動けば人が集まる」
「それは父上が――」
「リチャード」
低い声で名を呼ばれ少年は言葉を飲み込んだ。
ヘンリーは三人を順番に見た。
「今回、アリエノール自身がどこまで何を望んでいたのか、
それと政治的にどれだけ影響を与えたのかは別の話だ。
あいつが自由に動けば、それだけで周囲が意味を見出す」
それはヘンリーが以前から繰り返している理屈だった。
そして息子たちには、その理屈が理解できるからこそ
余計に腹が立つ。
「……いつまでです」
若ヘンリーが訊いた。
「決めていない」
「父上」
「決めていないと言った」
それ以上は誰も何も言えなかった。
こうしてモンルイの和議は成立した。
息子たちは父と和解し、
収入と城を与えられ、
父親の支配下へ戻っていく。
戦争は終わった。
少なくとも表向きは。
けれど、家族の問題まで終わったわけではない。
むしろ形を変えただけだった。
天幕の外へ出た三兄弟は、しばらく誰も口を開かなかった。
やがて若ヘンリーがぽつりと呟く。
「……結局、母上の言っていた通りになったな」
リチャードが嫌そうな顔をする。
「言うな」
ジェフリーも小さく頷いた。
「今は、それを言わない方がいいですね」
三人は同時にため息をついた。
”次に母親へ会う時一体どんな顔をすればいいのか”
それだけは父親との和議より難しい問題として最後まで残っていた。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




