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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第106話:各個撃破のお時間です(※ヘンリー二世、軍事だけは本当に強い)

人の話を聞かないから強いのではなかろうか( ˘ω˘ )

パリ、シテ島のフランス王宮。

作戦会議に使われている広間には、数日前までの「親父の浮気糾弾大会」とは

打って変わって、妙な高揚感が漂っていた。


机いっぱいに広げられた地図の前で、若ヘンリーが勢いよく身を乗り出す。


「各地で動きが始まった!」


指先が地図の上を走る。


「ノルマンディーでは父上に反発する勢力が動き、北では

スコットランド王が国境へ圧力をかけている。

ブルターニュでも不穏な動きが広がっている。

これだけ同時に火が上がれば、父上とて全部を押さえ込めるはずがない!」


十八歳の長男の顔には、久しぶりに自信が戻っていた。

リチャードも地図を見ながら頷く。


「一か所へ兵を集めれば、別の場所が空く。なら、そこを突けばいい」


ジェフリーは少し考えてから口を挟んだ。


「問題は、皆が同じ時に動けるかですね。でも、これだけ

広い範囲で同時に圧力がかかれば、さすがに父上も手が足りなくなるでしょう」


理屈としては間違っていない。


東でも、西でも、北でも、あちこちで敵が動けば、

一つに対応するたび別の場所が薄くなる。

戦力には限りがあり、時間にも限りがある。人間の体は一つしかない。


だから三兄弟は、今度こそ父親を追い詰められると思っていた。


”そのはず”だった。


「報告!」


扉が勢いよく開き、砂埃にまみれた伝令が大広間へ飛び込んでくる。

若ヘンリーがすぐに振り返った。


「どうした!」


「ノルマンディー方面でございます! 王側の守備隊、

いまだ崩れておりません。各地の城も持ちこたえております!」


「……何?」


若ヘンリーの表情がわずかに曇った。


「まだ始まったばかりだ」


リチャードがそう言った直後、また別の伝令が入ってきた。


「ブルターニュ方面より報告! 蜂起した勢力の一部が王側の部隊に押し返されております!」


ジェフリーが顔を上げる。


「もう?」


「はい!」


若ヘンリーが眉をひそめた。


「……早すぎないか」


だが、報告はそれで終わらなかった。


イングランドでは王側についた者たちが各地で踏ん張り、

北でも思ったほど簡単には崩れない。

ノルマンディーでは城と補給路が維持され、

反乱側が期待していたような連鎖的な崩壊は起きていなかった。


そして、さらに別の伝令が駆け込んでくる。


「急報! ヘンリー王、自ら兵を率いて移動を開始したとのこと!」


その一言で、部屋の空気が変わった。


若ヘンリーが地図を見る。

リチャードも黙る。

ジェフリーの眉が寄る。


「どこへ向かっている」


ルイ七世が尋ねた。


「詳しい進路はまだ。ただ、各地の状況に合わせて兵を動かし、

反乱側の動きを次々に押さえているとの報せが」


ルイの顔がゆっくりと険しくなった。


「……まずいな」


若ヘンリーが振り返る。


「何がです?」


ルイはしばらく地図を見つめ、それから重い声で言った。


「あの男は、追い詰められた時ほど強い」


「……父上が?」


「ああ」


ルイは深く息を吐いた。


長年、ヘンリー二世とは何度も争ってきた。領地を巡り、外交でぶつかり、

何度も策を講じて、そのたびに「今度こそ追い込んだ」と思った。


だが、そう思った時ほど、あの男は妙な強さを発揮した。


家庭では、人の話を聞かず、譲らず、自分で決めたことをなかなか曲げない。

その頑固さは、夫としても父親としても厄介極まりない。


ところが戦場では、その性質が別の形で現れる。


迷わない

決断が速い

命令がぶれない

一度方針を決めれば、すぐ動く

しかも本人の体力がおかしい。


「普通の人間なら、複数の場所で同時に問題が起これば、どこを優先するか迷う」


ルイは地図の上を指でなぞった。


「だが、あの男は迷っている間に一つ処理し、そのまま次へ向かう」


若ヘンリーの顔から、少しずつ余裕が消えていく。


「だ、だからといって……すべてを押さえられるわけでは」


「もちろんだ。ヘンリーとて神ではない」


ルイは頷いた。


「だが、こちらが同時に動いているつもりでも、足並みが揃っていなければ意味がない」


三兄弟は黙った。


フランス側

ブルターニュ

北の勢力

各地の諸侯

彼らは皆、ヘンリー二世に圧力をかけている。


だが、欲しいものも、動く理由も、動く速度も同じではない。

”一枚岩ではない”のだ。


対して、王側の指揮の中心には、異常なまでに判断の速い男が一人いる。

ジェフリーが地図を見つめたまま、小さく呟いた。


「……一つずつ、押し返されている」


まだ十四歳の彼に、すべてが見えているわけではない。

ただ、自分たちが最初に思い描いていたほど簡単な戦ではないことだけは、

もう分かる。


その横で、リチャードが低く息を吐いた。


「……強い」


若ヘンリーが振り返った。


「何?」


「父上だ」


リチャードは地図から目を離さなかった。


「腹は立つし、傲慢だし、人の話も聞かない。けれど……戦う相手としては、強い」


十五歳の少年は、そこだけは認めざるを得なかった。

父親としてどう思うかと、戦う相手としてどう見るかは別の話だった。


「まだだ!」


若ヘンリーが机を叩く。


「まだ終わっていない!」


誰も否定しなかった。

実際、戦はまだ続いている。


ただ、数日前まで広間にあった「これだけ囲めば父上も終わりだ」という楽観だけは、

すでにどこにも残っていなかった。


その頃、シノン城塞。

暖炉の前で、私は焼いた林檎を小さく切りながら、侍女の話を聞いていた。


「……陛下の軍勢が、各地でかなり健闘しているとの噂がございます」


手が止まる。


「へえ」


できるだけ興味なさそうに返事をした。


侍女は続ける。


「反乱側も各地で動いているそうですが、王側も簡単には崩れていないとか」


私は焼いた林檎を一口食べた。

甘くて、普通においしい。

それなのに、聞こえてくる話は嫌な予感しかしない。


「……やっぱり」


思わず呟いた。


「はい?」


「何でもない」


私はもう一口食べた。


知っている。

四十年近く、あの男を見てきた。

普段は腹が立つほど話を聞かず、人の都合を考えず、

何でも自分で決めようとする。

なのに危機になると、その欠点みたいな性格が全部いい方向へ噛み合ってしまう。


「……戦争だけは、クソ強いのよね」


思わず本音が漏れた。

侍女が困った顔をした。


私は皿を膝へ置き、窓の向こうを見た。

北の空のどこかで、夫と息子たちが本気でぶつかろうとしている。


「……ねえ、ジャイアン」


本人には届かないと分かっていて、私は小さく呟いた。


「その危機対応能力の一割でいいから、

息子と話し合う方に使えなかったわけ?」


危機が起きた後の処理能力は、どう考えても異常なのに

危機を起こさない能力だけは、なぜこうも壊滅的なのか。


私はため息をつき、残っていた焼き林檎を口へ入れた。


外では歴史に残る大反乱。

中では監禁中の王妃が、おやつを食べながら夫の軍事能力に呆れている。


世界史八点ちゃんは今日もまた、自分の夫の能力配分が根本的に

どこか間違っていると確信するのであった。


※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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